第2話 斑鳩・今

 そんな思い出を抱いたまま・・時が過ぎた。


 で、今年(2024年)のことだ。5月に奈良に行くことがあった。前回は家族連れだったが、今回は僕一人だった。でも、僕は斑鳩の思い出の道をもう一度歩いてみたいと思ったのだ。


 だが、前はどこをどう歩いたのか記憶があいまいだった。そこで、インターネットを調べてみた。すると、法隆寺から法輪寺と法起寺に行くには、JR法隆寺駅前からバスに乗って、中宮寺前バス停で降りるとよいと書いてあった。中宮寺前バス停は法隆寺の近くだ。インターネットには、法隆寺からは道しるべがあちこちにあるので、それに従っていけば迷うことはないと書いてあった。


 こうして、今年5月のある日の午後、僕は勇躍、JR法隆寺駅前からバスに乗ったのだ。


 中宮寺前バス停でバスを降りると、眼の前は大きな交差点になっていた。四つ角をたくさんの車が行きかっている。交差点を向こう側に渡ると、さっそく法隆寺の方向を示す標識があった。大きな矢印が書いてあって、法隆寺まで700mとある。


 僕は標識の矢印の方向に歩き始めた。周囲は真新しい住宅地だ。家々に挟まれたコンクリートの道を歩いていくと、地蔵堂があった。いかにも地域の氏神様といった風情のお堂の中に、お地蔵さんが鎮座している。


 地蔵堂の横にカーブミラーがあって、ミラーの上に、法隆寺の方向を示す標識があった。僕は矢印の方向に曲がった。


 コンクリートの道の両側は閑静な住宅が並んでいる。人通りはなかった。ときおり、車とすれ違うくらいだ。観光客ともすれ違わない。


 さっきのカーブミラーの標識に従ってさらに進むと、法隆寺を囲む築地塀ついじべいに出た。クリーム色をした土壁だ。壁自体が国の重要文化財に指定されている。


 僕は法隆寺には寄らず、その築地堀に沿って進んだ。さっきと変わらず、人通りはなかった。ときおり、車とすれ違う。法隆寺の横なのに・・観光客もほとんどいない。筑地塀の中は、法隆寺の境内だ。そこは、海外からの観光客やらで、人が一杯なのは間違いない。でも、筑地塀の外では、数組の観光客とすれ違っただけだった。


 法隆寺の長い築地堀が途切れると、やや大きな道路に出た。車がときどき行きかっている。道路の脇に、法輪寺と法起寺の方向を示す標識があった。標識に従って、道路を左折する。道路には歩道はなかった。僕は歩道のない道路の端を歩いた。


 ここで、初めて「あれっ、おかしいな」と思った。


 こんな車の通る道路や、住宅地といったものは、僕の記憶には全くないものだ。僕は道しるべの矢印に従って進んで行けば・・思い出の『田んぼの中のあぜ道』に出るものとばかり思っていたのだが・・どうも違うようなのだ。


 それに、歩道のない道路を歩くように・・と道しるべが示しているというのも、何だかおかしい。道路は真っ直ぐ前方に続いている。どう考えても、この道路がこの先で行き止まりになって、そこから、田んぼのあぜ道が始まるとは思えないのだ。


 でも、仕方がない。インターネットに「道しるべに従って歩くように」と書いてあって、その道しるべが、この道を行くようにと示しているんだから・・


 少し行くと、住宅の間にところどころ畑が現れた。でも、新興住宅地の中に、まだ残っている畑といった感じで、僕の記憶とはまるで違うのだ。


 頭に疑問符クエスチョンマークを点灯させながら、歩道のない道路の端をさらに歩いて行った。すると、前方に、法輪寺の三重塔が見えてきた。道路は真っ直ぐに法輪寺の山門まで続いている。


 僕はそのまま法輪寺に入って行った。


 法輪寺の周りも、びっしりと新興住宅が取り囲んでいた。法輪寺の境内の周りは、法隆寺のような土塀が取り囲んでいるのだが・・その土塀の上に、周りの住宅の2階が突き出しているので・・境内を歩いていると、周りの住宅の2階から見下ろされるような格好になるのだ。実際に2階から見下ろす人は誰もいなかったが。。。


 さて、こうして、僕は法輪寺のお参りを済ませた。


 法輪寺の山門を出ると、横に法起寺はこちらという道しるべがあった。その道しるべも、今までと同じような道路を指示している。今度も歩道はなかった。代わりに、自転車が走るサイクリングロードが付いていた。


 サイクリングロードを走る自転車はない。それで、僕はそのサイクリングロードを歩いた。横は車が走る道路だ。


 僕は、法隆寺から法輪寺、さらに法起寺と行くにしたがって、山の奥に入るわけだから、人家も車も少なくなると思っていたのだが、その期待は見事に裏切られた。


 歩いていくと、道がさらに大きな道路に合流していて、その大きな道路にはひっきりなしに車が通っていたのだ。道路の周りの人家も増えてきた。なんだか、どんどんにぎやかになるようだ。


 そして・・法起寺は、その車がじゃんじゃん走る道路の横にあった。


 僕は法起寺の前で呆然と立ちすくんでしまった。


 法起寺の裏側には畑が広がっていたが・・


 畑の中の道はコンクリートになっていて、畑の中にはカラフルなビニールシートがあちこちに張ってあって・・なんともハイカラで、思い出とは程遠い畑になっていた。


 僕は法起寺の受付で、拝観料の300円を支払いながら、お坊さんに聞いてみた。


 「ずいぶん前に、こちらにお参りさせていただいたのですが・・そのときは、法隆寺から田んぼと畑の間のあぜ道を歩いてきました。でも、今日、久しぶりに伺ってみると、お寺の周りが様変わりしていて、ビックリしました」


 お坊さんは苦笑いを浮かべながら、こう言った。


 「以前は確かにそうだったんですが・・今は道路が出来て、宅地化が進んで・・ご覧の通りのありさまですわ」


 お坊さんの話では・・法起寺や法輪寺には、みんな、車や観光バスでやって来るらしいのだ。たまに、観光客がさっきのサイクリングロードを使って、自転車で周っているぐらいで、・・僕のように歩いてくる人はほとんどいないらしい。インターネットに「道しるべに従っていくように」と書いてあったのは、車で行く人へのメッセージだったのだ。


 で、お坊さんが最後に笑えない冗談を言った。


 「でも、周囲は変わっても・・寺の中は大昔のままで、一切変わってまへんで」


 思い出は、はるか遠くになりにけり・・


 今どき、歩いて古寺巡りをするという僕が古いんでしょうなぁ・・


 ********


 近況ノートに写真があります。

 https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093080856035376


 上の写真が法起寺の前の、車がよく通る道路です。写真の右端(駐車場の白いバンの上)に、法起寺の国宝・三重塔が少し見えています。


 法起寺を中心にして、この道路の反対側、つまり法起寺の裏側には畑が広がっていました。法起寺の裏に周って、その畑の側から、法起寺の三重塔と土塀を撮った写真が下です。畑の中の道はコンクリートに代わっていました。カラフルなビニールハウスなんかが写りこまないように苦労して撮った写真です(笑)。


 下の写真が、かろうじて昔の思い出の雰囲気を残しています。でも、法起寺の周りには新興住宅が密集していますね(笑)。


                 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

斑鳩今昔 永嶋良一 @azuki-takuan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ