第12話 ああもう!

 

 王宮の聖殿、広間。

 冷たい石敷きの床に、後ろ手に縛られた剣士エルガと魔法使いネイゼリアが膝立ちに座らされている。

 二人ともに苦悶の表情。

 両手をかざして光を呼び、明かしの秘儀を実行しようとしている白の聖女、ウェルディードの神法が魂に及ぼす圧力により、あるいは企てが破れようとしていることへの恐れにより。


 「もう一度、問います」


 ウェルディードは顔を上に向けたまま、冷たく見下ろすような視線をネイゼリアに向けた。


 「あなたは、黒の聖女……いいえ、叛逆者、サナ。間違いありませんか」

 「……」


 ネイゼリアは唇を噛み締めたまま、俯いている。なにも言えない。この場を切り抜ける方策を必死に思案している。

 エルガも動けない。ちらとネイゼリアを横目に見て、素早く周囲の衛士たちの配置を読む。後ろでに縛られたままでも一人ふたりなら倒せる自信があるが、王太子の左右から彼らの背後にかけて、十人ほどが展開している。

 結局、ネイゼリアと同じように俯いた。


 「……これが、最後の問いかけになります」


 ウェルディードの右手がふいに強い光を帯びた。瞳がうっすら紅を帯びる。強い神法の力をその身に集約している。上にかざしていた右手を下ろし、手のひらをネイゼリアに向ける。


 「名乗りなさい。あなたの名を」


 ウェルディードがわずかに口角をあげたが、それは目の前の二人にも、他の誰にも見取られていない。後ろにいる彼女の腹心、イルにしても同様だ


 ネイゼリアは顔を背けた。横のエルガに、再び目線で別れを告げる。

 エルガがなにか言おうとしたが、ネイゼリアは小さな微笑でそれを遮り、顔を起こした。すうと息を吸い込む。

 最期だな、と、サナの顔を思い浮かべている。

 数拍後に砕け散るであろう、自分の肉体と魂のかたちを想像している。


 と。

 その場のすべてのものが、しん、という音を聴いた。

 鋭い刃を振るような、温度がいちどきに下がって生じる空気のひずみのような。

 

 「……なに」


 ウェルディードは眉根を寄せ、左右を見回す。恐ろしく強い力を感じたのだ。神法ではない。といって、目の前の魔法使いのものとも思えない。

 もっと深く遠いところ、根源に根差したもの。

 神界に由来するものでないとすれば、それは……。


 そのとき、ネイゼリアががくりと首を落とした。居眠りをするような仕草のあと、身体をゆすり、ゆっくりと顔を上げる。目を眠そうに薄めていたが、やがてふと我に返ったように見開き、エルガに振り向いた。


 「……あ……」


 エルガは声をあげ、ぽかんと口を開いた。

 ネイゼリアの紅い髪も瞳も、銀の額当ても、もちろんなにひとつ変わらない。

 が、エルガにはわかった。これは、ネイゼリアではない。


 ネイゼリアは立ち尽くしているウェルディードの方に向き直り、その冷たい表情をしばらくしげしげと見つめていたが、やがてふっと微笑した。


 「わたしの名は、サナ。久しぶりね、ウェルディード」

 

 穏やかに告げたネイゼリアの声に、ウェルディードは無意識に後ずさった。

 幼い頃からともに神殿で学び、いくども笑いあい、ともに泣いて、そうして最後に裏切り捨てた友の匂い。

 理性で否定しながら、ウェルディードは目の前にいるのがサナであることを確信している。

 それでも明かしの秘儀を展開したまま、右手を振り上げ、ネイゼリアに叩きつけるように振り下ろす。帯を描いて光の束がネイゼリアに降り注ぎ、だがそれは彼女のなにも傷つけることはなく、やがてふわりと漂ったのちに霧散した。


 「……ウェルディード。訊きたいことがあります」


 じっとウェルディードを見上げながら、膝立ちのままのネイゼリアは柔らかな声を出した。直後に小さく口のなかでなにかを呟く。すると、彼女を後ろ手に拘束していた枷が、かちり、という音とともに開錠され、落ちた。

 衛士たちが一斉に動こうとしたが、手を挙げてそれを止めたのは、王太子リオルだった。


 「……サナ……ほんとうに、サナ、なのかい……?」


 立ち上がりながら、震える声を出す。

 壇上から降りて歩み寄ろうとするのを、イルが身体を入れて静止した。


 「なりません。謀反者どもの企みでしょう。危険です」

 「でも、でも、あの表情……ああ、サナ、ごめんよ、僕を許しておくれ……」


 いまにも膝から崩れそうな王太子の様子をちらりと見て、そのことによりかえって落ち着きを取り戻したウェルディードは、ふん、と鼻を鳴らしてから、王太子に向けて声を張った。


 「この者たちはサナとずっと一緒におりました。わたしと同じくらい、幼い頃から。ですからサナの癖、喋り方、個人的なこともよく知っているに違いありません。どうやって明かしの秘儀をかいくぐったのかはわかりませんが、冥界から戻ってくるなど……」

 「ウェルディード、こちらを見て。わたしの目を」


 声を遮って、ネイゼリア……サナは、ウェルディードに呼びかけた。

 ゆっくりと、怯えるようにそちらに振り返る白の聖女。

 じっと相手の目を見ながら、サナは静かに諭すような声を繋いだ。

 

 「訊きたいことがあるのです。わたしは、いま、冥界に……その入り口に、確かにおります。わたしの魂は、冥王イーヴェダルトの手の内にあるのです」

 「……なに、を」

 「魂にじかに触れられています。わたしも冥王の魂を感じています。ですから、いろいろなことが分かりました。冥王が、冥界が、どのような存在であるのか。冥王はたしかに、恐ろしい力の使い手です。わたしも、ネイゼリアやエルガも、まったく敵う相手ではありませんでした。その気になればおそらく、王国を滅ぼすことなど訳もないでしょう」


 ウェルディードはサナが何を言わんとしているのか、気づいた。口を開けて言葉を挟もうとしたが、被せるようにサナが強い声を出した。


 「わたしは、黒の聖女は、魔物を王国に呼び込むようなことはしていない。そして……冥王イーヴェダルトも、魔物を使って王国を脅かすようなことは、絶対にしない。そのことをわたしは確信しました。でも、魔物の侵入は事実なのでしょう。だとすれば……」


 サナは王太子の方へ目線を投げて、許しを乞うように目を伏せてみせた。

 王太子リオルは呆然とした表情を向けている。


 「……だとすれば、他に魔物を操り、王国に導き入れた者がいる。とても強い力です。冥王の支配を抜け出させるほどの影響を与えることができる力。そのようなことができるひとを、わたしはひとり、知っています」

 「……はっ!」


 ふいに、ウェルディードが高い声を上げた。

 冷たく美しい白の聖女の表情が失せている。

 引き攣るように口の端を持ち上げ、眉を逆立てている。


 「なにを言い出すかと思えば。馬鹿馬鹿しい。わたしがやったとでも言うの? 白の聖女が冥界の魔物を操作して王国に引き込んだ、って? そんなことを誰が信じるのよ。ぜんぶ冥王のしわざに決まってるじゃない。だいたいさ、あんた、殺される前から冥王と繋がってたんじゃないの? そう、きっとそうよ。なにかの拍子に殺されちゃったけど、ほんとは討伐を引き受けたのだって計算ずくでさ。ふん、いかにも下劣な冥界のやり方……」

 「その薄汚い口を閉じろ」


 重く暗い声。

 サナのものではない。


 「女。見た顔だな。いく月前だったか、冥宮の我の元までやってきて、自分と手を組め、そうすれば人間界を自由に蹂躙してよい、代わりに自分には世界の半分をよこせと、そう言った女を我は、ひとり知っている」


 エルガが立ち上がっていた。

 その目に蒼い炎が宿っている。

 両手の拘束も解かれ、かすかな燐光を帯びてゆらりと立っている。ただそれだけなのに、滲み出る力の凄まじさに周囲の空気が歪み、石敷きの床がびりびりと震えている。

 気圧されたウェルディードは数歩退がり、へたりと座り込んだ。

 その姿を見下ろしながら息を吐くエルガ……冥王イーヴェダルトの口からは、薄い蒼の炎が漏れ出ている。


 「我が妻を、魂の片割れを……サナを、下劣と呼んだな」


 一歩踏みだす。王太子を含めた全員が後ずさった。


 「下衆が。貴様など、我が冥界に呼ぶことすら厭われる。その魂、この場で滅してくれよう。いや……生ぬるい。貴様のようなくずを生んだこの世界ごと、人類ごと殲滅してくれるわ」


 きいいん、という音とともに、上に向けた冥王の手のひらが蒼く光る。ばちばちと小さな雷がその身体から放射される。瞳が金色に明るく輝き、持ち上げられた口角に牙が覗く。手を高く振り上げた。天に向かって一筋の光が走る。

 終焉の冥法と呼ばれる究極の秘儀だった。

 世界が終末に向けた機序を開始した。


 が、その機序は、すん、という音ともに小さな煙を生じて停止した。

 サナが冥王の後頭部をぱちんと叩いたためである。

 

 「ああもう! わたしのために人類殲滅とか世界滅亡とかやめて!」 

 

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