第11話 魂魄反転の秘儀


 「……あ」


 ふいにランドラルヌーヴが後ろで声を出したので、サナは振り返った。

 ちょうどその時に冥王イーヴェダルトは彼女の肩に触れようと手を伸ばしており、指先が空を切ったため、む、としかめ面となった。


 ランドラルヌーヴはすでに大人ほどの大きさに戻っている。

 膝を揃えて座り、両手を前についている。鼻をふくふくとさせてやや上を向き、なにかを空中に探すような表情をしている。いまは人の肌は顔と首元ほどにしか見えず、あとは獣毛に覆われている。


 「いかがした、ランドラルヌーヴ」

 「あ……あの、追いかけてた二人が、ちょっと、その……」

 「ふたり?」


 サナが反応すると、ランドラルヌーヴは大きな三角の耳をぺたりと伏せた。


 「え、ええ……その、冥王さまのご指示で、ずっと後を追ってたんです。わたし夢魔むまなので、いちど視界に納めた相手の心に入り込めるので……相手の見ているもの、聴いている音、わかるんです」

 「……相手、二人って……もしかして」


 ランドラルヌーヴはちらりとイーヴェダルトを見る。冥王は片眉をあげ、ふん、というように顎を一回、上下させてみせた。


 「……はい、あの、その……剣士エルガさま、魔法使いネイゼリアさまです……ひあっ」


 その名が出ると同時にサナは跳ね上がるように立ち上がり、ランドラルヌーヴに走り寄って肩をがっしりと掴んだ。ぐいと引き寄せ、犬獣人の少女のような瞳をまっすぐに見据える。


 「エルガとネイゼリア、無事なの、ねえ、二人は生きているの、どうなの……!」

 「あうう、だ、大丈夫です、お二人とも、ご無事です」


 がくがくと前後に激しく振られながら出したランドラルヌーヴの声に、サナは動きを止め、呆然と目を見開いて宙を見つめ、それからへたりと腰を床に落としてしまった。しばらくそのまま動かなかったが、やがて目の端からぽろぽろと大量の滴をこぼしはじめた。口をきゅうと噛み締め、嗚咽を堪えている。


 「……よ、よか、った……エルガ……ネイゼリア……ほんとに、よかった……」


 後ろで冥王が、眉根を寄せてしかめつらをし、こほんと咳をする。


 「念のため、言うておくが……我はあの二人も、客人として迎えるつもりだったのだぞ。そなたの身に起こったことはすべて見ておった。冤罪に問われたことも、その責めとして我を討伐する命を受けたことも。だから三人ともしばらくこの冥宮で保護するつもりだったが……あの二人、王座の間に通すとすぐに攻撃してきおって」

 「だからってあんなに痛めつけること、ないじゃない」


 サナが振り返って、涙をいっぱいに溜めた目を険しくしてみせると、冥王は、う、と喉が詰まったような表情を浮かべ、横を向いた。

 

 「……受けた技を跳ね返しただけだったのだが」

 「手加減、って、わかりますか」

 「……した」

 「した?」

 「……つもり、で、あった」


 と、サナが睨み、冥王が目を泳がせるという構図の後ろから、ランドラルヌーヴがおずおずと声をかける。


 「……ただ、その……お二人に、ひとつ……問題が」


 サナには聞かせたくないというような小さな声で、ランドラルヌーヴはつぶやいた。それほどならば言わねば良いというものだが、この犬型の夢魔は、あるいは冥王本人を含めてこの冥宮の住人たちは、包み隠すということが下手なのである。

 サナが冥王を睨む目線のままでそちらを見たので、ランドラルヌーヴは怯えた。


 「ひ」

 「どうしたの、なにかあったの、あの二人に」

 「はい、あの……実は、お二人、いま王宮におられて……」

 「……王宮に、戻ったのね。冥王には迫ったけれど討ち果たすことはならなかった、サナは冥王に殺されたって、ちゃんと報告してくれたかな」


 できれば王国に戻らず逃げて欲しかったが、最悪でもそう報告すれば二人の命だけは助かるはず、と、サナは考えていた。


 「えと、はい、サナさまは……黒の聖女は亡くなったって、王太子っていう偉い人にそう言った、んですが……」

 「信じてもらえなかったの?」

 「いえ、その後、なんか魔法使いの女の人が……ええと、自分は黒の聖女である、死んだサナさまの霊が降りてきている、って、言い出して……」

 「えっ」

 「何のために」


 サナとイーヴェダルトが同時に声を上げた。ランドラルヌーヴはしばらく脳裏をさぐるような顔をしていたが、やがて、うんと頷いた。


 「王宮の偉い人のところに潜り込んで、サナさまを陥れた犯人を見つけ出す、そうして真実を明らかにする……って」

 「……なんで、そんなこと……」

 「サナさまのため、って、二人とも強く考えているみたいです……名誉のため、そして、復讐のため……かな。でも、やっぱり怪しまれて、ええと……白の聖女っていう人が、何かの術で正体を暴く、ってなってます……明かしの秘儀、って、言ってたかな」

 「……真実を答えなければ、ただちに消滅させられる秘儀!」


 サナはしばし呆然としていたが、やがて、ばん、と立ち上がった。

 出口を目指そうとする背に、イーヴェダルトが声をかける。


 「どこへゆく」

 「救けに。二人を」

 「どうやって」

 「わかりません」


 言いながら、サナは扉をぐいと引開けようとする。が、開かない。イーヴェダルトが指先を持ち上げ、扉を施錠したのだ。


 「間に合わぬ。どうやって王国へ戻るつもりだ」


 サナは扉を押し引きしていたが、やがて冥王のほうへきっと振り返り、その場で腰を落とした。目を薄く閉じ、すうと息を吸い、胸に手を当てる。

 その全身をゆっくりと、蒼い光の粒が覆いはじめる。転送の秘儀の発動である。

 冥王はその様子をしばらく見ていたが、やがてふうと息をひとつ吐き、右手をすっと前に差し出した。手のひらをくるっと一度回してみせると、サナの周囲の光が消失した。


 「……なにをするの」


 サナが上目に冥王を睨みつける。

 それを正面から受け止め、イーヴェダルトは、細く整った金色の眉尻を山形に落としてみせた。


 「封じた。その秘儀を使えばどうなるか、わかっておるだろう」

 「……二人は、わたしのためにまた、危険に身を晒してる。止めなきゃいけない。わたしの命に代えても」

 「言ったはずだ。そなたの命は、この地上のどんなものより……」


 サナの深い漆黒の瞳が、冥王をまっすぐに射抜いている。

 しばらくじっと見つめていたイーヴェダルトは、ふっと微笑して、頷いた。


 「……我もまた、学ばねばならぬ。そうであったな」


 言いながら、身を起こす。黒の装束が揺れる。サナの瞳と同質の、冥界の力に根ざす深淵の闇。その闇を両手とともにばさりと跳ね上げ、次の瞬間にイーヴェダルトはサナとランドラルヌーヴの前に立っていた。

 

 「ランドラルヌーヴ。魂魄こんぱく反転、使えるな」

 「え、な、あの……」

 「魂をふたつの身体の間で入れ替える術。夢魔たる貴様の秘儀のひとつであるはずだが。遠方であっても、魂を覗くことさえできれば、可能だな」

 「あ、はい……大丈夫、です。たぶん。あんまりやったこと、ないけど……」

 「そうか。では」


 イーヴェダルトはサナの手を右手にとり、持ち上げた。左手をランドラルヌーヴの肩に置く。訝しげに見上げるサナの目を見ながら、静かに言葉を送った。


 「我が魂を、遠方の剣士の男、エルガと。サナの魂は魔法使いの女、ネイゼリアと、それぞれ入れ替えよ。貴様はここにいて、我とサナの目を通じて様子を見ておれ。何かあれば……あとのことは、貴様に託す」


 

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