第9話 名乗りなさい


 「熱でもおありですか、聖女さま」


 早足で歩きながら、イルは、くぐもった声を主、白の聖女の背に投げた。


 痩せている、という表現を通り越し、骨格に皮が張り付いているかのような面貌。

 白の聖女ウェルディードの出身家であるボディフ家から彼女付きの側づとめとして送り込まれ、常にすべての策謀の実行を担ってきた彼は、自らが立て、あるいは主であるウェルディードが考案した企みの毒性によって身を侵されたのであろうか、なにを食べても栄養とならず、常に窪んだ目の底にぎょろぎょろとした光を湛えていた。


 「そのような戯言を、お信じになられたのですか」

 「信じたわけじゃない」


 王宮に付設された神殿、その長く細く暗い廊下をいま、ウェルディードとイルは移動している。

 半刻ほど前、地下牢で王太子とともに面会した、反逆者サナの盟友、剣士エルガと魔法使いネイゼリア。ウェルディードの懇請により、王太子は彼女が直接に会話することを許可したのだ。


 そこでウェルディードは、二人からサナが冥王の前でどう振る舞ったか、冥王がサナにどんな態度をとったかを確認するつもりだった。

 自分の場合と同じであったか。白の聖女が冥王の前に立った数ヶ月前と異なる様子はあったか、どうか。

 その時のことを思えば、いつでも彼女の腹の底には熱い溶岩が噴出したのである。

 

 そうして、その時の二人の様子次第ではあるが、サナの後を追うこと、自ら死に向かうことこそがサナと王国のためになると説き伏せ、冥王のもとに再度向かわせるつもりだった。

 併せて冥王には、今回の出来事、討伐の遠征はサナと二人が助命の条件として自ら提案して勝手に行ったこと、ついては命で償わせる、そしてこの機会に冥界と王国は和睦し、改めてともに世界をよくしてゆこうと、提案するつもりであった。

 王太子、王室に、そう言わせる予定であった。


 が、二人の様子がおかしかった。

 魔法使いに、サナの霊が憑いた、というのだ。

 

 「あたしはぜんぜん信じてないけど、リオルのアホが、さ」

 「リオル王太子殿下は、なんと」

 「いやもう、泣いちゃって泣いちゃって。サナ、すまぬ、許してくれって。馬鹿みたい。あんなの、あたしの懐に飛び込むための演技に決まってるじゃない。どうせこの後、サナにしかわからない冥王の秘密を握っている、とか言い出すよ、あれ」

 「ならば、なぜそう言って拒否されなかったのです。明かしの秘儀……相手の正体を白日に曝す秘儀の実施など、するまでもない」


 ウェルディードは後ろの声に、肩をすくめて見せた。


 「あいつらがどうやって誤魔化すのか、興味あったし。それに万が一ほんとにサナの霊が降りてるとしたって別にビビることはないじゃない。あたしらが仕掛けたってバレてるわけじゃないしね。なによりほんと、うるさかったんだよ、アホ王太子」


 言っているうちに、二人は神殿の中央部、聖殿の扉の前に到着した。イルが前に出て把手に手をかけ、いったん動きをやめて振り返り、彼の年下の主の白い顔を見上げた。


 「お忘れなきよう。ご一族、ボディフ家の悲願を」

 「……わかってる」

 「白の神法、神界の力で世を統一する。冥界の力などもはや不要、白の聖女の輩出家であるボディフの紋章を、王家の紋章とする……おわかりですな」

 「わかってるってば」


 わずかな苛つきを見せるウェルディードに、イルはふっと歪んだ笑みを浮かべて頷き、扉を引き開けた。


 ぶわ、と噴き出る風の向こうは聖殿の広間。

 奥の正面に巨大なモチーフが掲げられている。神界の象徴である太陽、冥界の象徴である月。その両者が世界を支えているという絵柄だ。天井の明かり取りから差し込む細い陽光に浮かび上がっている。

 モチーフの下、祭壇の横には一段高く、王家のものが座る場所。いまはそこに王太子リオルが座している。身を乗り出し、そわそわと落ち着かない。

 その手前に数人の人影。

 衛士に囲まれ、後ろ手に縄をかけられて石の床に座らされている、剣士エルガと魔法使いネイゼリアだった。

 が、ネイゼリアは遠目にもわかるほどに、大きく悶えている。背を丸め、頭を振り、苦しそうに肩を上下させている。


 「ウェル……白の聖女」


 ウェルディードとイルの姿を見つけて、王太子は立ち上がった。


 「秘儀の支度は終わったのかい。さあ、早く……まことにサナの霊であるのか、あるいは冥界の魔物のいたずらか。早く、早く見極めてくれ」


 命を繋いで王室に入り込む機会を伺う虚言だとは思えないのだな、と、ウェルディードはうんざりしたような気持ちになりながら、聖衣の裾を持ち上げ、慇懃に礼をとってみせた。


 「ただいま、すぐに」

 「頼んだぞ。誠にサナであれば……サナであれば」

 「ただちに封じまする」


 ウェルディードの後ろに控えていたイルが、王太子の言葉を遮り、低く、しかしよく通る声を出した。大変な非礼だが、この場の誰も苦情は言わない。

 それが白の聖女とその身内の、この王宮での立場であった。


 「叛逆の徒、しかも悪霊。その魔法使いの身体ごと、白の神法にて滅却いたします。そうですな、聖女さま」

 「……そうね」


 ウェルディードは呟きながら、エルガとネイゼリアの前に立った。ふ、と息を吐き、膝立ちしている二人を冷たく見下ろす。

 その白銀の瞳の温度の低さに、エルガは心底から震えた。白の聖女をこれだけ間近に見るのは初めてなのである。

 聖女の力、巨大な神法そのものは、サナとともに過ごした時間でいくらでも体験している。が、黒の聖女サナの暖かく包み込むような力と異なり、ウェルディードのそれは、魂の底までをも容赦なく貫く鋭い氷塊のような力だった。

 

 これは、仕挫しくじるかもしれない。

 エルガは強い目でウェルディードを見返しているが、流れる汗を止めることができなかった。

 そしてそれは、エルガの隣で苦悶の表情を浮かべているネイゼリアも同様だった。

 白の聖女が神法により、偽りを暴く方法を持つことは魔法使いであるネイゼリアにはわかっていた。それに対抗する術も持ち合わせているつもりだった。

 だが、いま。彼女はあえぐように口を開けて激しい呼吸をしており、それはもはや演技ではない。


 「……名乗りなさい」


 静かに問うウェルディードに、ネイゼリアは正面から目を見返すことができなかった。

 聖女の純白の聖衣がかすかに発光している。ウェルディードがすでに秘儀を展開し始めている証左だった。


 「さ、な……黒の聖女、サナ」

 「偽りはありませんか」

 「……う、う」

 「偽りは、ありませんか」


 問われた上で偽りを答えれば、命はない。

 そのことがわかったから、ネイゼリアは言葉をつなげない。が、ウェルディードは容赦がなかった。


 「答えがなくば、ただちにあなたの魂を実体化します。万が一、姿が変わらなかった場合、サナ以外の者の姿であった場合は……わかっておりますね」


 ネイゼリアの応答を待たずに、ウェルディードは大きく手を広げた。聖堂の天井、明かり取りに向けて腕を差し向ける。

 と、小さな光の粒が空中に生じた。揺れながら、粒は数を増した。やがてそれはネイゼリアのもとに降り、その周囲を包んで回転を始めた。

 ネイゼリアは、声に出さずに抵抗の詠唱を唱えている。強力な秘匿の魔法、隠蔽の術であり、国内のほとんどの魔法使いなり術師は彼女の正体を暴くことができない。


 が、光の粒がその額に降りたとき、ネイゼリアは悟った。

 小さく隣のエルガに目線を送り、二人にだけ通ずる符牒を伝えた。


 ごめん。

 あとでちゃんと、謝るから。

 サナのところ……冥界に、行ってから。



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