船を漕ぐ

うつそら

船を漕ぐ

 船を漕ぐ

 あいつが死んだのは雨の降る日だ。

 親友だった。

 俺が殺したけれど。

 いま俺は、一人船を漕いでいる。

 愛していたはずの妻を捨て、短い船旅に使わない荷物も全て捨て、長く住んだ家はそのままに、あいつが俺に宛てて書いた手紙は何処かに捨てた。

 少しでも遠く。俺たちがいたあの風景から少しでも遠くへと、船を漕いでいる。


 俺とあいつが住んでいたのは大陸の海岸に位置する小さな港町で、近くに町はなく貿易港としても使えない場所であったために外部から隔絶された場所だった。一小国として成り立っていたようにも思う。

 あの町には気色の悪い風習がある。

 今となっては、何故そんな風習がまかり通っていたのか甚だ疑問だ。それでも、俺とあいつ以外はそれを普通だと思っていたし、そんな周囲の人間に流されて上っ面だけは普通だと思うようにしてきた。

・慕う者は一人でなければいけない。

 たったそれだけ。

 明らかに変わっているが、ここまでは風習の域を出ない。

 けれども、そこに加えられる一つの決まりがそれを、底無し沼の如き深く暗い月夜の海をゆらゆらと泳ぐ白鯨のような気味の悪さにしていた。それを律儀に守ってしまった俺も、気味が悪い。

 あんな決まりを守るのならば、町を抜け出してどこまでも遠く逃げてしまえばよかったと、今になって思った。あいつと一緒に逃げてしまえばよかった。まぁ、そこで妻を選んだのだから、自業自得なのだけれど。

・慕うものは一人でなければいけない。

・もし二人以上いた場合は、選んだ一人を除いて五日後に処刑される。


 約五日前―――

 昼頃、町の喫茶店に俺たちはいた。

「どうだい仕事の方は」

 エイダンは椅子を引いて座りながら、俺に訊いてきた。昔から気障きざな口調で初めの頃は嫌いな奴だったが、趣味が同じだったこともあり一緒にいる時間が長くなった。今では親友と呼ぶに相応しい仲だ。

「まぁ、ぼちぼち。明後日からでかい仕事があるぐらいで平常運転。そっちはどうなんだ?今度、ファールートの方に行くんだろ?」

「私もぼちぼちだよ。校閲も明日には終わるかな」

 エイダンは小説家だ。と言っても、まだ文学賞に応募している段階で小説を書いて生計を立てているわけではない。今度は出版社に持ち込むらしく、この国の首都ファールートまで行くらしい。前に話した時は『十中八九突っぱねられるだろうけどね』と言っていた。仕事として扱えるようになるのは随分先の話だと、少し茶化しながらはにかんでいたのも覚えている。それでも『小説を書いていれば小説家であって、小説を書いて生計を立てることが小説家ではないんだよ』と言っているので、たぶん小説家なのだろう。

 学生時代、常に成績が良く優等生だったエイダンに比べて俺は随分と普通だった。何でそんなに仲がいいんだと同級生に訊かれるぐらいには一緒にいたと思う。実際は、あの決まりを懐疑的に思うマイノリティ同士で話が合うというぐらいの付き合いだ。

「シュラとはどうなんだい?そろそろ一年だろう?結婚してから」

「ああ。丁度でかい仕事が終わった頃だな。何か買いたいんだけど仕事も重なってるし、少し高い外食をして終わりかな。子どもが生まれた時のためにそれなりの蓄えは……って、それは言い訳か」

 あまり意識しないようにしていたが、いざ口にすると酸味が舌に乗ってしまい勢いよく飲み下した。それが表情に出ていたのか、エイダンがこんなことを言った。

「じゃあ、私が何か買ってこようか?ファールートの店なら、相応しいものが売ってるだろうからね。予算はいくらまでなんだい?」

「あー。大体、二〇〇ファールぐらいかな?」

 ファールはこの国で流通している通貨で、二〇〇ファールと言えば俺の稼ぎ六〇日分に相当する。首都の方では非常に高価な買い物というわけではないが、俺からすると値段を見て血の気が引くほどに高い。

「じゃあ、一五〇ファールぐらいのものを探すことにするよ」

「何で?二〇〇ファールぐらいが予算だけど」

 エイダンに訊いたところで、注文していたコーヒーが届いた。俺もエイダンも昔から砂糖も入れずブラックで飲んでいる。初めて飲んだ時こそ不味かったが、今は普通に美味い。

「君が無理をしているからだよ。この町に住む人間で二〇〇ファールと言ったら、相当高価な買い物だ。ファールートに住む連中にとっても決して安いものじゃない。一体、このコーヒー何杯分だろうね」

 いつもの気障さが消えた静かな顔でそう言いながら、エイダンは白い陶器のカップを持ち上げて焦がした茶色のように深い色の液体を啜った。

 たまに、エイダンのことを超能力者か何かかと思うことがある。

 昔から、勘が鋭いのか何を隠そうともすぐに見抜かれるし、シュラと交際を始めたばかりの頃にもすぐ言い当てられた。しかもご丁寧に相手までだ。

「じゃあ、それで頼む。先に払っとくか?」

「そうしてくれると助かるよ。私はファールートまでの旅費で精一杯だからね」

「ん。じゃあ……」

 そこまで言ったところで顔をしかめた。俺の顔を見たエイダンは表情から察したのか、背後の入口をちらりと見遣った。そしてまた俺の方を向くと、明瞭に声を小さくしてささやくように顔を寄せて言った。

「そんなにあからさまな表情だと、目をつけられるぞ」

「ああ……悪い……」

 歯切れの悪い言葉を返して、視線の先にいる黒いローブを羽織った如何にも怪しげな雰囲気を漂わせる奴から目を逸らした。さらにコーヒーの苦みで追い打ちをかけて、意識からも追い出した。

 アイツは占い師だ。

 それも町長お墨付きの。

 この町の決まりを適用するかどうかを判断している張本人でもある。年齢不詳、性別不詳、顔を見た者はおらず、何故あの占い師なのか、どうやって決めているのかも不明。杖をつきながら背中を丸めて歩いているため、相当な老人だと思われることぐらいの不確かな情報しかない。あの風習が存在している理由以上に謎めいた人物だ。この町一番の有名人かもしれない。

 影のような薄い黒墨が色を増していかない内に話を続けた。

「俺、明日も休みだから家まで持っていくよ」

「明日来るなら、夕方にしてもらえると助かる。校閲やらファールートに行く準備やらで忙しいからね」

「おう。ところでさ、この前」

 近況を報告し終わり俺が何気ない談笑を始めようとしたとき、耳をつんざくくような何かの割れる音が店内に響いた。豪雨でも強風でも雷でもないのに、窓が揺れる音がしたように思った。ついでに俺の心臓も揺れた。

 占い師を無視した俺達でも、流石に今の音には反応して音源の方を見た。

 もう一度、無いはずの音が俺の心臓を揺らした。

けがれじゃ……穢れた心を持った男がおるぞ!」

 壁に凭れ掛かった黒いローブから伸びる指が、真っ直ぐに俺を指していた。

 初めて見るが幾重にも皺が入っていて、やはり老人なのだと思った。声は中性的で性別はわからない。

 俺は至って冷静だ。冷や汗一つもかいていない。

 店の外から屈強な二人の男が入ってきた。警察官だろう。たぶん。俺の横に回り込むと、わきの下に手を入れて有無を言わせぬ様子で無理やり俺を立ち上がらせた。あまりに勢いよく引っ張られたため肩が外れそうだったし、コーヒーの味もした。

『今日はエイダンさんのところですか?』

『本当に仲がいいんですね。少し嫉妬しちゃいます』

『そんなに面と向かって言われると恥ずかしいですよ……私も、その……』

 いつもは澄ました顔をしているエイダンが、如何にも信じられないという顔をしていた。長い付き合いだが、初めて見る顔だった。視界が横に流れていく。周りの喧噪もよく聞こえる。

 俺は冷静だ。

 視線はエイダンのことを捉えていて、あいつは俺に背中を向けたまま座っていた。その少し先に、倒れたカップから零れ出たコーヒーが机の上で黒い水溜まりになっていた。俺の頭の中にも同じものが描かれた。

『愛してますよ』


「ラックス・バルト、二十七歳か。若けぇな」

 今は警察の取調室にいると思う。気絶してもいないのに確証が持てない理由は、先程からずっと目の焦点が定まらないからだろう。何もはっきりとした輪郭を帯びなかった。

「妻はシュラ・バルト、二十五歳で、掴まる前に喫茶クォートで一緒にいたのはエイダン・ワトソン、二十七歳で間違いないか?」

 机を挟んで俺の前にどかっと腰を下ろした男は、俺をここまで連れて来た奴に比べて細身で何事にも興味を抱かなそうな顔をしていた。

「……あの、何で俺、連れてこられたんですか……?」

「そら、慕ってる人間が二人以上いたからだろ。なに変なこと言ってんだ?」

――変なこと言ってんのはどっちだよ

 この町の人間は、あの風習について何も思わない。慕う者は必ず一人だし、そこの線引きをしっかりしている奴が殆どだ。だから仮にあの占い師に何かを言われたとしても、迷わず命を選べる。

「不倫じゃなさそうだから、このエイダンとかいう男のことだろ。珍しいけど、無い話じゃない。過去にも何件かあるからな。それよりどうする?まあこんなの、連れて来られた時点で答え出てんだろ」

「別に慕ってませんよ。あいつのこと」

 俺はあいつのことを慕っていないと明言できる。

 俺が愛しているのはシュラ一人だけだし、生涯を通してシュラ以上に愛すやつもいないだろう。どんな奴が俺を誘惑しても、俺が愛するのはシュラだけだ。

「じゃあ答え出てんだろ。早くこれ書いてくれる?長引くと面倒だから」

 気怠そうに投げやりな言い方でそう言いながら、男は俺の前に一枚の紙を滑らせた。

――紙一枚で誰かの人生終わらせられるのか

 噂には聞いていたが、この状況に置かれて改めてそう思う。初めて知った時もそんなことを思った気がする。

『愛してますよ』

 脳裏にシュラの言葉が響いた。今日、家を出る前に交わした何気ない会話だ。エイダンに嫉妬するシュラが可愛らしくて、思わず『愛してる』なんて言葉を口にした。その勢いのまましたキスはいつもより甘かった。

 体を椅子の背凭れに預けたまま、紙の横に置かれたペンに手を伸ばした。紙面にはシュラとエイダンの二人の名前が縦に並んでいて、それぞれの左隣にはチェックボックスがあった。一番下には署名欄がある。

 俺はとりあえず、自分の名前を書いた。いつもより乱雑な字で、ラックス・バルトというこれから人殺しになる男の名前を書いた。頭の中では、シュラの声が反芻している。

 今度はチェックボックスに矛先を向けた。シュラの名前が上で、エイダンの名前が下だ。俺は迷わず近い方を選ぶ。頭の中では、シュラの声が――

『どうだい?駄作だろう?』

 エイダンの声が聞こえた。学生時代、出会ってから二年ほど経った頃のことだ。


 全長十三センチの冷たい鈍色のペン。

 これが私の凶器である。

 これから私は一人の男を殺す。


 あいつならこんな状況をそう言うだろう。昔から気障な口調だった。

『くっくっ。よくわからないか。私もそう思うよ。理解し難い、陰鬱な話だ』

『君になら見せてもいいと思ったからだよ。冷静に分析するわけでもなく、足蹴にするわけでもない君になら、見せても私の心は痛まない』

『駄作でも心は痛むさ。人の言葉はそれほどまでに強く心に刻まれる。批評は特にね。君にならわかるだろう?』

『いや、わかるはずだ。君にならね』

 頭の中に、エイダンの声が溢れている。斜陽が差し込む教室の中で交わした言葉を走馬灯のように思い出す。矛先がピタリと止まった。

『愛してますよ』

 頭の中では、シュラの声が反芻している。

 俺はペンを突き刺した。

 ペン先からは真っ黒でどろっとした液体が滲み出し、白紙を黒く染めた。まるで眠っているように、苦痛に歪む顔もせず、断末魔の叫びも上げずにただいつもの澄まし顔でそこにいた。

 止めをさすように、矛先を横に払った。真っ黒な血が切り口に滲んでいた。

 それ以外は、何も変わらなかった。


 五日が経った。

 釈放されて家に帰ると、玄関には心配そうな顔でシュラが膝を抱えて座り込んでいた。

 帰ってきたのが俺だとわかると、勢いよく立ち上がって俺のことを抱きしめた。俺もそれに応えて、その日はいつものように夕飯を食べて一緒に寝た。

 深夜、自分の手が赤黒く染まっているような気がして抱き締めたシュラを見ると、いつもの白い服を着て静かに寝息を立てていた。その顔を見て俺は安堵してまた眠りについた。

 仕事の方は同僚に気を遣われて休みを取ることにした。風習でも人を殺すことに抵抗はあるのかと、少し疑問に思ったがすぐに忘れた。

 それから今日まで、俺たちは日常を過ごしていた。

「ラックス・バルトさん!郵便でーす!」

 昼食を終えて本を読んでいると、玄関先の方から若い男の声が聞こえた。

 パタンと本を閉じて傍らに置き急いで玄関から外へ出ると、普段から郵便物を届けに来る俺よりも若い男が縦長の白い封筒を片手に立っていた。

「ありがとう。いつも助かる」

 封筒を受け取ると、頬に雀斑そばかすを散らした男は何気ない世間話をする体で口を開いた。

「そういえば、聞きましたよ。大変でしたね」

「……ああ。あのことか。もう大丈夫だよ」

 一瞬だけ返答に迷ったが、自分でも不思議なほど大丈夫に思っていることに気付いてすぐに返した。

「昨日でしたっけ、その人が死んじゃうのって」

「さあ、明日じゃないかな」

「ですよね!俺も可笑しいと思ったんですよ。その手紙の送り主、その人だったと思うんで。死んでたら手紙なんて、送れっこないですもんね!」

 手癖のようにくるくると封筒の表裏を反転させていた指が止まった。

「あっ!やばっ!俺もう行きますね!」

 その声に応えることもなく、自転車の両輪が舗装されていない地面を踏みしめる音を聞いていた。カラカラと子気味のいい音を立てるチェーンの音が遠ざかり、柔らかい突風が地面から伸びる雑草を揺らすまで、俺は息を止めた。

――大丈夫って、何がだ……?

 持っている封筒に曇り空の色をした点が滲んだ。

 ただ本能の赴くままに命を狩る肉食獣に追われる鹿が、我が子を逃がそうとするような心持で俺は封を切った。喉を閉められていると言うよりも、喉周りの筋肉が俺を殺そうと働いているような息苦しさを感じる。

 死の恐怖感からの逃避というよりも、どうせ死ぬのならばせめてこれだけは、と呼ぶ方が正しい。

 無我夢中で封筒の中から便箋を一枚取り出す。雨粒に打たれているのにも、文字が滲んでいくのにも構わず、俺はあいつの文字を目で追った。


 家で待っている。

 私と君について、そして君の将来について話をしよう。


 たった二行分。その下に続く紙の無駄使いとも思えるほどの空白は、まるで返事を待っているかのように俺の目には映った。

 不意に雨が止んだ。

「どうしたんですか?傘もささずに」

 戻ってくるのが遅いのを心配したのか、傍らにはシュラが傘を差して立っていた。俺の背丈が収まるように、目一杯に腕を伸ばしている。手紙の内容は見えていないようだったので、訳も言わずにクシャッと丸めてポケットの中に隠した。

「夕飯は必ず食べるから」

 それだけ言い残して、俺は門を押し開けて道へ飛び出した。シュラが俺を呼んでいたが、構わずに走った。シャツが濡れるのは勿論のこと、ぬかるんだ地面を蹴って飛び散った泥も気にせずに足を繰り出した。

 あいつの家は、俺の家から大体歩いて三十分ほどのところにある。山道に入って暫く歩いたところにふと現れる古い家だ。昔はあいつとあいつの両親と弟の四人で暮らしていたが、あいつ以外は事故で死んだ。故にあいつは長らく一人暮らしをしている。

 途中で雨に打たれながら必死に自転車をこいでいる配達員の男にあった。そいつにも呼び止められたが、俺は気にせず走った。

 息は切れる。目には雨粒が入って、その度に目を擦ると長く座った後のように視界が霞む。運動は不得意ではないし仕事もそれなりに体を使うものであるため体力に自信はあったが、嫌な緊迫感が蛇のように喉を締め付け、心臓は幼児のそれに入れ替えられたかのように縮む心地がして、変に体力の消耗が激しかった。気持ちが滅入ると、その分足も機銃を抱えた時のように重くなった。

 それから暫く走り続けて山道に入りあいつの家が見えた時、駆けているというよりも重い両足を引き摺りながら這っているような気分だった。

 雨を払う素振りも見せずに玄関扉の取手を握って引き寄せると、自分の家と錯覚するほど簡単に動いた。親族でも来てるのかと思ったが、霞んだ意識でもはっきり無人だとわかった。

 後ろ手に扉を閉めて、あいつの部屋に真っ直ぐ向かった。

 華美な装飾が施された扉の前に立つ。この家を買った時から書斎だったらしく、改修をする際にあいつの両親の意向でこの扉は再利用したと以前聞いた。見る度に思うが、あいつに奇妙なほど相応しい。

 少し重いそれを押し開けると、湿った空気が流れ込んできた。右手に三つ並んだ縦に細長い窓を見遣ると、その内の一つが開け放たれていた。窓の下の床には小さな水溜まりが広がっていて、今も時折吹き荒び窓を揺らす風に乗って一滴、二滴と降り注いでいる。

 几帳面でそれなりに潔癖なあいつが開いた窓を放置しておくのは不自然だと思ったが、部屋の最奥、椅子に座れば扉は背後になる重厚そうな机の上に目を遣ってなるほどと思った。

 机上には俺の元に送られてきたものと同じ種類の便箋が三枚、あいつの口調からは想像もつかないほど乱雑に散らばっていた。確かにあいつの字だが、よく見ると字が走っている。机の隅に追いやられるように退かされた原稿用紙の束と比較すれば一目瞭然だ。

『エピローグ』と題されたその手紙を、俺は立ち尽くしたまま読み始めた。


 何かが落ちる耳障りな音を聞いて微睡んでいた意識を取り戻した。

 寝惚け眼のまま足元の床を見遣ると、握っていたはずの万年筆が壊れた状態で転がって中のインクが散っていた。父親が使っていたものを形見として愛用しているから、少しばかり申し訳なく思った。けれども所詮は道具で、愛着はあれど死んだ後にかしこまって謝罪をするほどのことでもない。まあ、そんなことは不可能だろうと知っているから、思うこと自体無駄なのだが。

 背を椅子に投げ出して天井を仰いだ。一見単調な造りに見えるが、私に似合わないほど職人の手が施された家の一部らしく、目を凝らすと至る所に細工が散りばめられている。

「二度も君を殺すことになるとはね」

 机上には親友に宛てた手紙が便せん三枚分の束になって乱雑に置かれている。

 どうやら私は、手紙を書いて一段落したところで眠ってしまったようだ。

 昨晩から不眠不休の中、原稿の上で踊る文字を睨み続け疲弊していたのだから無理もないだろう。それに、コーヒーをもってしても睡魔の命を狩ることはできなかったのだから。

 私はまた先程の夢に思いを馳せた。

 何とも陳腐で平凡な小説だろう。けれども私は手紙に綴ったことに反して、その結末を望んでいるように思えた。どちらも私の本心であるはずだが、確かに相反する二つの念が青天井を流れ行く羊雲のように浮かんで見えている。

 私は机に向き直り、床に落ちたのとは別の万年筆を手に取った。

 そしてこう綴った。


 これは後書きだが、君はこの手紙を読んで死ぬことを決意するかもしれない。

 さっきはあのようなことを書いたけれど、私はそれでも構わないと思っている。

 けれども、君がもし部屋を出て私と同じことを思ったと閃かなかったのならば、そのままこの家を後にしてくれ。そのとき君は、私を忘れることのできる私の一人の親友なのだから。そしてもしそうでないのならば、ここで言葉を用いるのは冗長だろう。なぜなら、その時の君と私は同類なのだから。

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