応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 冬樹がいいんじゃない?への応援コメント

    とても興味深く拝読しました。

    「表現」について、(私自身は創作に関しては全くの素人ですが)二十年以上前に「気の利いた俳句・短歌を作りたいという願望のための人生最後の悪あがき」として、正岡子規の著作を一気読みしたことがあります。その際の自己流の理解では、江戸末期に形式化・陳腐化してしまった月並調から脱却するために「打率を上げる方法」が書いてありましたが、子規自身が、「セオリー通り」であるか否かに関係なく「駄作は駄作」「傑作は傑作」であるという趣旨のことを強調していたのが印象的でした。

    いつの時代も、()の使い方を含めて「適切なスタイル」の問題は悩ましいですね。

    長文失礼しました。

    作者からの返信

    無名の方さま、
    コメントをありかとうございます。私は大学の卒論に「新古今集」を選び、和歌に触れた(噛んだのではなく、舐めた程度)ことがあり、今でも短歌が大好きです。近代では与謝野晶子が好きで、正岡子規は(全く詳しくないのですが)、「瓶にさす藤の花ぶさ」には、限界があるように思いました。歌は「写生」ではなく、「心」でしょう、とか思って。
    私も無名の方さまのコメントをとても興味深く読ませていただきました。どうもありがとうございました。


  • 編集済

    作家と映画への応援コメント

    なぜ……現象、本当にありますからね……(>_<)
    この映画だと、エージェントが良かったのかしら。
    勘どころのいい人がうまく作品と出版社を結び付けてくれると想わぬはじけ方をするかもしれません。
    日本でも同じシステムにならないかしら。

    追記)
    UAはユニークユーザー数です。
    同じアカウントからは何度アクセスしても一日につき1とカウントされます。
    なので正確な訪問者数はこのUAです。

    作者からの返信

    朝吹さん、今、溺愛にくださったコメントを読んだところです。私の長編は(完結したのは84話、継続中が今125話)10万字超えで、長すぎるのですが、「どうせならば箒」を読んで、書きたくなったところでした。「溺愛」は気持ちが悪いですが、「一途」と解釈するといいのだわと思って。ちょっと(恋に)鈍い女子はエリザベス・アシュレー、なぜか彼女を守り続けるの男子はチェザレ、このふたりのお子様ランチラブ。もうひとりの男子がニールで、女子がケイト。さて、ふたりの出会いは仮面舞踏会にしようかな。ロミオとジュリエットの(映画)のメロデーを口ずさんで、今回は☆はなくても、PV数で楽しめそう。1回目はPVがいつくあり、最後にはいくつになるのかな。で、募集要項を読んだら、小さな字で「国内居住者のみ」とありました。飛ぶ前に衣服で失格になったジャンプ選手みたい(笑)
    でも、アイデアは浮かんだので、いつか愛しきチェザレくんに出演のチャンスをあげたい。小説のコメントは、言ってくださったように、あとでまとめてにしますね。私の長編の時も、そのようにしてください。そのほうが、書くほうも、もらうほうも楽ですよね。
    いつもありがとうございます。あとでUAとは何か調べてみます。


  • 作家と映画への応援コメント

    映画の紹介、とても面白かったです。
    >「黒人の傷を描いた」と絶賛される。
    で笑ってしまいました。受け手の都合のいいように解釈されてしまうんですね。もがけばもがくほど社会がこうだと決めつけている方向へはめられてしまうのかも。
    エッセイのタイトルをそんなに気にされなくてもいいと思います。自由にのびのび書かれていて、何が出てくるか分からないお菓子箱みたいで楽しかったです。また何か書かれたら読ませていただきますね。

    作者からの返信

    柊さん、いつもありがとうございます。
    後先考えずに飛び出したbulletはここで落下ですが、次にまた何かを見つけて飛び出してしまうのを(それは何か、誰か、と)自分でも、楽しみにしています。それにしても、「犬とオオカミの間」はすてきなタイトル。セーヌのそばを歩いていく姿が見えます。少し哀愁があり、ロマンチックでもあり。

  • 母とチップ皿への応援コメント

    ははは、なるほどこの状況で脳が「バグった」んですね(笑)鏡を見て別人になってたら混乱しますよね。お母さんもきっと楽しそうに笑ってくれたでしょう。
    ところでこのトイレ番について、以前に読んだ記事を思い出しました。そのことを今度エッセイに書いてみたいなと思います。

    作者からの返信

    はい、この話でした。柊さんの場合は白飯だと思って食べたおにぎりが酢飯で「バグった」のでしたが、その表現をこれだと思って、パクらせていただきました。ありがとうございます。考えてみたら、突然の初体験にはバグりすよね。足がつったときも、そうだったなぁ。でも、何が起きたのかわかったら、(テレビでよく言う)おいしい話になる場合が多いですよね。
    柊さんの次のエッセイはトイレ番ですね。実体験ではなくて、記事から。どんな話なのかしら。次のテーマがわかっているというのも、とても楽しい。私の次のタイトルは、「作家と映画」です。


  • 編集済

    (次頁の「母とチップ皿」に書いたコメントへの返信です)
    中篇や長編はだいたい一回のPVが6~7なのです。しだいにそれも減って最終回のあたりはPV3くらいです。
    最終回まで15回分だと、100をようやく超えるくらいです。

    去年の同じ時期にあった公式コンテスト「嫁入りからのセカンドライフ」に出していた「貴方のもとに嫁ぐとき」の番外編「或る伯爵夫人の回想」がそのパターンでした。

    なので去年のその作品を参考にしたのですが、今回は初回でPV30ありましたので、早々に目標を修正したほうがよさそうです。

    作者からの返信

    朝吹さん、ありがとうございます。ああ、そういうそうなんだー。たぶん朝吹さんが想像されるより、その何倍も学ばせてまらいました。私、過去の作品を見たら、かなりのPVをもらっているのがあり、☆はくれなくても、えーっ、読んでくれている(素通りかもしれないけど)人がこんなにいたんだと気がつきました。
    今は新長編を二作用意中なのですが、これはだめだわと取り下げてしまった過去の(今、見たら、PVが驚くほど多い)作品を、ちゃんと書き直してみようかと思いました。
    いつも貴重なことを教えてくださって、ありがとうございます。

  • 母とチップ皿への応援コメント

    あの謎のトイレ番、チップと同じように日本人には戸惑いますよね。
    暇なのか編み物をしていて、給食のお皿みたいな平皿を横においていた光景だけをなぜかはっきりと覚えています。

    作者からの返信

    トイレおばさんにもいろんな人がいて、スイスの駅ではいちいち掃除をする人がいました。長い列が続いているというのに。
    ところで、七夕願いの150PVのことですけれど、あれ150万の間違いじゃないですよね。私は朝吹さんが言われるまで、カクヨムPVを一度も気にしたことがなかったのですが、さっそく見たところ、このエッセイ8回で、178PV。これは朝吹さん効果(紹介してくださったので)のおかげですが、この数、すごいのかなぁ。なにか、普通レベルの気がしますが。
    朝吹さんの溺愛15回なら、1500は軽いのではないですか。
    今日、【PV1000万超えました】と書いている人がいて、すごい人がいるものだと驚きました。

  • ポップコーンのオチ(笑) それにしてもその匂いの中でよく映画を最後まで観られましたね。
    どういう経緯かは人それぞれでしょうが、ある意味アンヴァリッドな彼らがアンヴァリッドに似た建物の地下にいるのが、なんともシュールです。

    作者からの返信

    そう言われてみると、そうですね。(大笑)。でも、あの時、逃げようという発想はゼロ。あの中で、ポップコーンを食べるつもりでしたから。あの部屋は狭くないし、それにニオイって、二十秒から一分で慣れますよね。大体、こちらの人は臭います。体臭もそうだし、それをカバーしようとするデオドラントのニオイもすごいし。
    そう言えば、向田邦子さんの作品にはニオイについてよく書かれているので、この方は鋭敏な嗅覚をもっておられると思っていました。日本って、変な臭いのするところは少なく、大体無臭ですよね。そういう場所にいると、嗅覚がするどくなるのかもしれません。
    いつか外国機で日本に帰り、実家の玄関をあけた時、「臭う」と言われたことがありました。ははは。

  • 会話の書き方への応援コメント

    >「あなたはずいぶん変わったみたいですね」と僕は言った。「なんだか印象が違います」

    こういう書き方は、小松左京氏とか筒井康隆氏とか昭和のSFやミステリー界隈ではよく見たように思います。「喋った後に動作を挟んで続きを喋る」事は日常生活でもよくあるので、読む側にしたら誰の台詞なのかが判り易いです。西村京太郎氏の作品は或る時期から「と言った。」が目立つようになった、と耳にした気がします。売れっ子が量産し続ける為にはそれが便利だったのかも知れません。

    作者からの返信

    そうざそん。コメントありがとうございます。
    私はSFやミステリーを読まないので、気がつかなかったです。純文学系の作家では少なくて、でも、ある意味、村上さんは大衆文学系だと思っていたので、すごく納得しました。彼はフィッツジェラルドに憧れていると書いてあったのを読んだことがありましたが、フィッツジェラルドも、ヘミングウェイも、エンタテイメント文学ですよね。まずアメリカには純文学と大衆文学とかいう区別がないんじゃないかと思います。芥川賞と直木賞の区別みたいなのが。それを今朝、考えていたところでした。

  • 会話の書き方への応援コメント

    さすがは九月ソナタさんです。
    今日の近況ノートでこれについて触れさせてもらいました。
    村上春樹さんの作品はあの感性にうまくシンクロできると、はまるのでしょうね。
    「視点のブレ」なんかもよく槍玉に上がりますが、わたしが好きな作家は視点ブレブレです。それが魅力になっている文体なのです。

    作者からの返信

    「視点のブレ」ですか。気がついたことはなかったのですが、おもしろいです。なぜかわくわくしてきました。これから、そのことについて、考えてみたい。いつもありがとうございます。近況ノート、楽しみです。

  • 会話の書き方への応援コメント

    こちらのエッセイ、読者視点でも面白いですが、創作論としても面白いですね。セリフを一旦切って続ける、という書き方も深く考えたことありませんでした。個人的にはリズムがあって好きです。

    作者からの返信

    私はそのやり方、以前は普通に使っていました。
    「いつもありがとう」と彼女が言った。「でもね、それって・・・・・・」という具合に。

    でも最近は、そういう書き方はよくないのかと思い、
    「いつもありがとう」
     彼女はそう言ってから一拍おいて(息を吸って、でも、空を見てでもいいかな)、「でもね、・・・・・」
    というように書くようにしていました。
    なんか、わざとらしいですよね。
    でも、今回、村上さんが平気でそういう書き方をしているのをはっきりと認識したので、元のスタイルで大丈夫なのかもしれない(何か言われた時に、反論できるじゃないですか)とちらりと思いました。


  • 編集済

    鈴の音への応援コメント

    比喩ってとても個人的な感覚だから、ハマる人はいいけど距離が出ちゃうときもあるでしょうね。なるだけ多くの人に伝わる言い方がいいのかも知れないけど、そうすると凡庸になりがちだったり、難しいですね。

    作者からの返信

    比喩は考えるのは楽しいですよね。なかなかうまくはいかないけど。
    今、ぱっと頭に浮かんだのは三島由紀夫のエッセイ。たしか、「青春とは、ヨーロッパの汽車の中から見る教会の尖塔」と書いていた。通り過ぎて振り返ると、ぴかぴか輝いていると。だから、旅をして、車窓から教会が見えると、彼の言葉を思い出します。青春が通り過ぎていくー、と。

    編集済
  • 冬樹がいいんじゃない?への応援コメント

    ()ってちょっと狡いやり方ですよね。読まなくてもいいよ、付け加えだから、と見せかけて、実は意外と目立つし筆者の本音がチラリと見える、という役割もある(全部がそうではないけど)←こういう風に言い訳にも使える。狡いってのは言葉のあやですが。
    作家に対するイメージ、昔の人の方が作風と見た目に違和感ないのかも。ていうか作家の顔なんて知らない方が幸せかもしれません。
    でも九月さんも読ませ方お上手ですよ。長くなったので続きは次回!って笑
    気になるので読みに行きます!

    作者からの返信

    村上さんの小説は()が多いから、そのたびに、ずるいよと思いながら読んています。()を使わないで書くというのが小説の原則だと思っていたのですが。彼の場合には、そこまで言い訳しなくてもいいんじゃない?、という類のもあり、(彼が)文句を言われないように釈明している相手は編集者でも、読者でもなくて、奥さんじゃないのかな、と思ったりして・・・・・、続きます。へへへ

  • 石のまくらへの応援コメント

    ハルキスト、フランスにも多いですね。僕はなぜか生きている作家より死んだ作家のものを読んでしまう傾向があるので、読んだことがありません。でもこの詩を読んで、こういう言葉選びがムラカミなんだろうなと思いました。
    このところ実社会の毒を吸い過ぎたので、ここで文学の空気を深呼吸させてもらいますね。笑

    作者からの返信

    柊さん、コメントをありがとうございます。
    死んだ作家の作品の作品を読む、おもしろいなぁ。伝統的な美術館では、死んだ画家の絵しか買わないと聞いています。死んだら人間はいなくなるけど、作品はそこから生きる、時には大きくなる、ということですよね。
    私は今年は長編に専念と言っていたのに、図書館で、村上さんの短編を読んだら、急に書きたくなってしまいました。去年のモーパッサンの時もそうでしたが、短編は勢いで書いてしまうタイプみたい。だから、あまり考えないで「図書館にて」なんていうタイトルをつけてしまったので、それに足を引っぱられています。図書館から飛び出たいのに。

    編集済
  • 外反母趾じゃないねへの応援コメント

    お大事に。でもアメリカ人の親友、一発で言い当てるとはすごいですね。
    あちらではポピュラーな症状なのでしょうか?

    作者からの返信

    朝吹さん、ありがとうございます。
    イタリア系の彼女とは赴任先で知り合いましたが、それまで外国人と親友になれるとは思っていませんでしたが、今では真のベストフレンドという稀なケース。それも、向うからアプローチされたのですよ。彼女から学んだことは多く、そのひとつはすぐに医者に行くこと。行くのいやじゃない?と訊いたら、心配するより、まず医者ですって。もうひとつは計画的に、家を改善、修理すること。壊れるのを待たないでという意味。
    この靴皮膚病がここではポピュラーかどうか、どうなんでしょうかね。

  • 石のまくらへの応援コメント

    村上春樹さんの短歌、素直に素敵……と想っちゃいました。小説の方はちょっとついていけない派なのですが。
    熱狂的なハルキニストが世界中にいるわけです。さまざまな批判にもめげ自分の世界を確立するって大切ですね。首を刎ねられて死ぬイメージが、おそらく十代の頃から、彼の中にずっとあるんだろうな。

    作者からの返信

    朝吹さん、私もこの短歌を見て、思わずエッセイを書いてしまいました。
    朝吹さんの言われた「おもしろい」短歌とはこういう作品だったのかと思いました。
    私も彼の小説にはついていけない派でしたが、この短編集はエッセイ風なのでわかりやすかったし、春樹さん、歳を取ったのかなぁと思うところもありました。