怪異

第1話 戦闘

 海彦うみひこ山彦やまひこに連れられてきたのは、あの上甲板でみた台形の構造物だ。

 艦を操る場所、発令室だと説明された。

「艦内に傾斜注意警報。バラストタンク釣合主缶注水! 水平を保てッ!」

 中央の1段高くなった席に副長が、壁に沿って5人ほどの船員が座っていた。正面はいくつもの丸い壁で外が見えている。外は……船体の左右から泡ぶくが大量に出て、斜めになった状態が改善されようとしていた。だが、すぐに傾斜は元に戻る。

 何かに捕まって船が海中に引きずり込まれているようだ。巨大な触手が何本も船体に取り付いているのが見えた。

「化けダコ!?」

 正体が見え、声を上げてしまった。艦体に絡まり、和邇号を海中へと引きずり込もうとしているのは、巨大なタコだった。目がギョロリとこちらを見たが……その大きさは人ほどもある。

「どうして、接近を許した!」

「申し訳ありません。交代時間だったもので」

 艦長が現れると副長はすぐに席を交代した。

「各トリムタンク釣合補助缶の調節では保てないか?」

「現在、調節中ですが艦体に負荷が掛かりすぎます」

 壁に計器が並ぶ場所にいる艦員が報告する。並んでいる計器の針が、ジワジワとマイナスのほうに向けて動いていった。海彦には判らなかったが、よくない数値を出しているようだ。

 その間にも船体が悲鳴を上げているかのように、軋むイヤな音が聞こえてきた。

「水平梶、上げ10度。機関一杯。振り切ってみせい!」

「承知。水平梶、上げ10度!」

 正面に座っている船員が、車輪のような操舵装置をいっぱいに引く。

両舷りょうげん、機関一杯!」

 別の船員がマイクに向かって叫んだ。すると、床下の方から僅かな振動と、少し甲高い回転音が聞こえてきた。


 ――船体を、化けダコから引き剥がそうとしているのか?


 海彦は何をしているのか判っていないが、急に耳が痛くなってきた。

「ツバを飲み込め。鼓膜がやられるぞ」

 耳を押さえている海彦を見て山彦は声をかけた。耳が痛いのは、和邇号が急激に海中に引きずり込まれたためだ。

「只今、深度約一〇九メートル一町を超えました」

「まだ振り切れぬか?」

「ダメです。彼奴は新種と思われます」

 副長の言葉に、艦長は手にしていた扇をポンポンと叩く。

帯艦たいかん電撃でんげきを使用する。機関長に連絡ッ!」

『――艦長、今どうなっているんじゃ? 朝飯をこぼしてしまったじゃないか!』

 年寄りの声が聞こえてくる。スピーカから流れてきたのは確かだ。

「源内師範、済まぬ。新種の化けダコに絡め取られた。機関長、帯艦電撃を使いたいんじゃが――」

『――帯艦電撃を使うのか? 機関を止める気か?』

「構わぬ。最大出力にするには、どれぐらい掛かる」

『――充電するのに30分四半刻ぐらいかかる』

「機関を切った場合、四半刻でどれぐらい沈められると思うか?」

 艦長の問いに、副長が答える。

約千メートル10町か……もう少し、深くなるかと」

「――我が艦の安全深度限界だな」

「しかし、相手は生物です。そこまで潜れるかどうか分かれません」

「この艦の性能に賭けるか」

 少し開いた扇をパタンと閉じた。

「できるだけ浮力を稼ぐ。全タンク釣合缶排水っ!」

「承知。全釣合缶排水します!」

 壁に計器の並んでいる場所にいる船員が、目の前に並んでいる小さな車輪を回す。

 ガタンと音と風の音が聞こえると、少しだけ沈む速さが遅くなったようだ。

「非常灯に切り替え。機関停止。電力を帯艦電撃のキャパシタ蓄電器へ」

「承知。非常灯に切り替え。機関停止」

 天井などに付いている筒から明かりが消え、艦内が暗くなる。そして、赤い光が少し付き始めた。


 ※※※


 化けダコに引きずり込まれる和邇号。

「只今、深度981メートル9町を超えました」

 すでに外は真っ暗だ。昼間なのに光が届かないほどの深さまで来たのであろう。

 赤い光に照らされている所為か、静まりかえった発令室は不気味な感じがする。

「音響室に連絡。追尾音響準備」

『――承知しました』

「今度は見逃す出ないぞ」

『――申し訳ありません』

 艦長は何か作戦があるのだろう。続けて、

「後部射出室に連絡。自走機雷2本、装填し待機」

『――承知』

 なにをする気なのか海彦には判らない。だが、化けダコを船体から引き剥がそうと……そして、反撃を試みようとしているようだ。

「機関室。蓄電器の充電はどうじゃ?」

『――九割半と言ったところか、使用は可能だぞい』

「師範、限界まで充電してくれ。相手が新種のようだ」

『――標本はくれるんだろうな』

「その要望には応えられないな」

 その時、今まで聞いたことのない軋みが響いた。

「まだ安全深度だぞ!」

「化けダコが船体を締め付けているようです」

 副長の報告では、船体に取り付いた触手が締め付け、潰そうとしているという。


 ――いくら化けダコとは言っても、鉄の船を潰せるのか!?


 海彦はそう思ったが、さらに軋む大きな音が響いた。

「只今、深度1090メートル10町を超えました!」

「各部、浸水報告!」

 艦長の命令に一時的に発令室が静まりかえった。その間にも船体が悲鳴を上げている。

『――第1層、浸水あり。現在対処中』

『――第2層異常なし』

『――第3層、浸水あり。現在対処中』

『――機関部異常なし』

「今のところ対応していますが、まだ引きずり込まれています。このままでは水圧で潰れる可能性があります」

 副長が状況を整理して艦長に報告した。

「機関長!」

『――充電完了。艦長、いつでもどうぞ!』

 艦長の声に応えるように返事が戻ってきた。

「よし! 帯艦電撃攻撃、準備。続けて後部射出室に連絡。後部射出口、開放!」

 だが、副長からの忠告が入る。

「艦長。この深度では後部射出口を開くと、浸水の可能性があります」

「使用可能深度に到達次第、開放せよ」

「承知!」

「帯艦電撃開始!」

 艦長の命令にあわせて、機械が操作されたのだろう。

 バリバリっと雷のような音が響き渡った。と、船体に取り付いた触手に電撃が走るのが目に見える。それどころか、触覚自体がパチパチと点滅して、船体への絡みつきが外れたように見えた。

 突然フワリとした浮いた感覚が襲った。引きずり込もうとした化けダコの力が弱まり、艦の浮上する力が勝ったのであろう。

「浮上、両舷機関一杯。水平梶、上げ15度。傾斜警報! 総員何かにつかまれッ!」

 続けて出した命令に、小刻みに振動と甲高い音が聞こえてくる。それに併せて艦首が上がり始めた。艦長が言っていた15度という角度は、聞いただけではどれほどのものか判らなかった。だが、いざ傾き始めると、海彦は踏ん張ってというわけには行かなかった。近くの鉄の棒に、しがみ付いていなければ転がり落ちてしまう。まるで急斜面だ。船内のどこかで、固定されていないものなのか、転がる音が聞こえてくる。

 顔を上げれば、外では化けダコの触手が離れていくのが目に入った。

『――後部射出口、開放可能!』

「後部射出室に連絡。後部射出口を開放し、自走機雷の発射待機!」

『――承知しました』

「音響室に連絡。追尾音響開始!」

『――音響室、承知。追尾音響開始します!』

 ピンピンと、甲高い音を聞こえ始めた。定期的に聞こえてくる音に混じって、タイミング調子の外れた同じ音が聞こえてきた。

『――目標距離、109メートル1町を超えました』

 音響室とか言う場所の担当者から声が掛かった。

「後部射出室に連絡。自走機雷、発射せよ!」

『――承知!』

 艦長の命令に併せて、プシュッと空気が漏れる音が2回した。


 ――自走機雷とかいうのが、放たれたのか?


 海彦にはそれが何なのか判らない。それよりも、斜面となった床から転がり落ちないように、しがみ付いているので精一杯だ。

 再び、艦前方を見上げた。海面がどんどん近づいている。海の中が明るくなってきている。

 その時、艦の後方から大きな破裂音が聞こえてきた、2回も――

『――命中を確認! 対象を排除した模様』

 音響室からの報告が入る。

「海面に飛び出すぞ。総員衝撃に備えろ!」

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