第2話 700年

「オトギゾウシ? 俺の村には寺子屋もなく、文字だって読めないので」

「子供の頃、昔話でも聞いたことがないか?」

「……」

「いや、すまぬ。私も御伽草子おとぎぞうしを読んだのはこのふねに乗ってからだからな。

 浦島子伝説ぐらいは聞いたことがあるじゃろ?」

「――すみません」

「なに? それも知らぬか。まあ、聞いたことはないか? 何十年も昔に海に漁に出たきりの者が、いきなり帰ってきたとか――」

 しばらく考えてみたが、海彦うみひこに思い当たる話は無いわけではなかった。

「――そういえば、そんな話を昔聞いたことがあります。

 その昔、突然海から現れた若者が『ここに住んでた』と、騒いだとか。その男が言っている年号が昔のもので『気でも狂ったんだろう』と村の人は相手にしなかったとか――」

 海彦は子供の頃に聞いた断片的な話をつなぎ合わせて話した。

 それを艦長は、ウンウンと相づちを打ちながら聞く。

「私が話そうとしたのも、大体そのような内容じゃ」

「でも、そんな話、作り話でしょ?」

「なぜ作り話だと言える?」

「えっ? おかしいでしょ? 昔からやってきたなんて。

 誰も知らない男が、頭がおかしくなって騒いだだけでしょ?」

 そう言った海彦に、急に艦長は不敵な笑みを浮かべた。

「私の産まれが、1178年治承2年だといったらどうだ?」

「ジショウ? 今は……」

「明治とか言うようだな。徳川の時代が終わって久しいようだが、治承じしょうはもっと前――」

「明治の前は、慶応けいおうだったような」

「治承は、今からだと約700年前だ」

「なッ、700年!?」

 海彦は、目を見開いた驚いた。

 いくら何でもおかしい、と思った。目の前にいる艦長は大きく見積もっても30ぐらい、とても、700歳には見えない。せいぜい、自分の親ぐらいの歳だろう。

 眼光も濁りもないし、肌つやも良く、顔に少しシワがあるぐらいだ。

「無論、産まれたのは700年だが、そんなに生きているわけではない。実際のところ私自身、何年、生きていいるのか分からない」

 と、不思議なことを言い出した。

「自分の歳が分からないって――」

「あるところに行くと分かる。そこは……言うなれば、ときが地上とは違ってゆっくり進んでいる」

「刻がゆっくり進んでいる!?」

 また理解できないことを言い出した。

 そして、ふと恐ろしくなってくる。

 あの竜の民トカゲ人間もそうだが、人魚のことも知っている。

 海に消えた兄そっくりなヤマと名乗る人間。

 それに700年前に産まれたという人間。

 この世のものとは思えなくなってきた。この船、自体も――


 ――ひょっとして、俺は死んだのか? あの無人島でひとり、生き延びていたのは単なる夢だったのではないか? あの時、村の者。海馬に殴りつけられて海に突き落とされたとき、溺れ死んだのではないか? だとすると、この艦はあの世に魂を運ぶモノではないだろうか?


 そう思ってくると、海彦は身震いしだした。恐怖は止めどなくわき上がっている。目の前にいる古風な喋り方をする艦長は、言わば死神であろう。

「どうかしたのか?」

 様子がおかしくなった海彦に、艦長は不審そうな顔を見せた。だが、それは少し笑みを浮かべている。まるで顔を引きずっているような。何かを哀れむかのような。

 海彦には自分が生にしがみ付いているのを――

「刻がゆっくり進んでいる話だが……お主が話した男のことだが、まことのことだとしたらどう思う?」

「――どっ、どうとは?」

 急に質問されて戸惑ってしまった。

 つまり、『何十年も昔に海に漁に出たきりの者が、いきなり帰ってきた』と言った話が本当にあったといいたいのだろう。

「これはお主らにしたら昔話になる。この世で言えば300年ほど前の話だ。

 海人うみひとという男がいた。あるときその者が漁に出たのだが、突然の時化で海に流された。そこを偶然、通りかかった私らが助けたというわけだ」

「でも、どうして何十年も経っていたことに……」

「助けたときに怪我をしておった。なので、治療も兼ねて連れて行ったのが、先程も言ったとおり刻がゆっくりと進んでいる場所だ。

 そして、その者が『地上に帰りたい』と言うものだから、連れて帰したまでのこと」

 艦長の言い方は悪気が無いようなものだ。

 確かに艦長の言い分では『海人』と言う人物が、自分で帰りたいと言った。だから、帰してやった。

 それはその人の自由だったのかもしれない。

 だけれど、その者は時の流れが違うことを理解していなかった。

「ところで、俺を今からどこへ連れて行こうというのです?」

 黄泉よみの国とでも言うのか、と海彦は思っていた。だが、艦長は別の答えをした。

「波の下にも都があるんだよ。もっとも竜の民のものだがな……地上の者に言わせると、竜宮りゅうぐうとでもいうのか」


 ※※※


 海彦は艦長との会談を済ませると1室を与えられた。

 和邇号の行き先である波の下にある竜宮とやらにつくまでには、まだ数日かかるという。それまでには結論を出すように、と―― 考える時間をくれた、と言った方がいいだろう。艦長は海彦に「行くのも帰るのも自由だ」と言われた。その場合は、等目の生活費として金子を渡してくれるそうだ。

 海彦は「潜水艦のことを喋ったらどうなるか?」と試しに聞いたが、艦長の答えは、「水中を泳ぐ船を陸のものが信じるか」と素っ気ないものだった。

 案内されたのは、鉄の箱といったところ。だが、自分が今まで住んでいた掘っ建て小屋などとは雲泥の差だ。見上げればあの光を放つ天井が、部屋を照らしている。部屋にはベッドという寝床があり、地べたにムシロを引いていたことを考えると、雲にでも寝ているような心地よさだ。


 ――ミツヒメ彼女が俺を助けてくれた。だけど、会うかまでは自由と言われても。


 今、手元にある青い石。あの人魚の彼女がくれたその石が、彼の居場所を艦長達に教えたそうだ。だから、あんな無人島にまで来てくれた。

 実質、彼女に助けられたということだ。


 ――礼が言いたいが……


 彼女に会ってお礼は言いたい。だが、艦長の言っていた『刻がゆっくり進む』と聞くと怖い。

 何十年後に帰ってきた男の話のとおりならば、そんな場所に長くいたら知り合いは誰もいなくなるだろう。しかし、知り合いという言葉に海彦は違和感を覚えた。


 ――俺の知り合いなんて……


 あの自分を『呪われている』と、海の上で襲った村人しかいない。そんなところに戻ったところで、果たして生きていけるのだろうか。ひょっとしたら、帰ってきたのは『人魚の呪いだ』とばかりに、襲われるかもしれない。


 ――むしろ、その国に根付いた方がいいのかもしれない。


 そう思い始めると、人魚の彼女を思い出した。

 くすみのない白い肌、柔らかそうな頬、くっきりとした鼻筋、緩やかな曲線。そして、金色の大きな瞳。


 ――なんで、彼女のことを思い出すんだ!


 自分でもよく解らない。しかし、ふと艦長の言葉も思い出してくる。


 ――人魚に惚れてはいいが本気になるでないぞ、あれは一体……


 その言葉に引っかかった、何が言いたかったのか。

 ふと、扉を叩く音が聞こえた。

「失礼するぞ!」

 そして、金属のドアが開くと、無表情の副長が入ってきた。

「艦長からいろいろと聞いたと思うが、もし帰るというのであれば、ここで見聞きしたことは忘れろ」

 唐突にそう言い出す。

「えっ!? あ……」

 唐突すぎて、どう答えていいのか判らないでいると、畳みかけるように、

貴殿きでんが見聞きしたことを誰が信じる。水中に潜る巨大な艦も、人魚も、竜の民もいない。

 ましてや艦長は存在しないことになっている」

「存在しない? 700年も生きているからですか?」

 部屋の中には、食堂にあったのと同じ丸い腰掛けがあった。副長はそれを取ると、海彦のベッドの横に腰掛ける。

「そんな話もなさったのか。貴殿にはミツヒメに会わせるだけとなっていたのに――

 ――言仁ときひと様の戯れ言か過ぎる」

 艦長の本名だろうか。副長は蚊が飛ぶような小さな声で愚痴を言った。

「トキヒト様?」

「いや、聞かなかったことにしてくれ。とにかく、貴殿はどうするつもりだ」

「――俺は……」

 艦長は時間をくれると、言っていたが、どうやらそうではなくなってきたようだ。

「両親はいません。家族も兄貴がいましたが……あのヤマと呼ばれている人だと思いますが……」

「記憶を無くしている、と?」

「ええ、そうです。村の者は――」

「貴殿を殺したか。オレは、兄に殺されたことになっている。保安長も含めてな。

 この艦に乗っているものは、戻る場所を無くした者や、戻ったところで歓迎されない者ばかりだ。結局、この艦に拾われて生きているようなものだ。

 それで貴殿はどうする?」

「……」

 どうする、と迫られても海彦には答えられなかった。

 人魚の彼女、ミツヒメ様には会ってみたい気はあるが、刻がゆっくりとなる竜宮は正直言って怖い。知り合いがいないことは確かだが、この世に戻ったときに全く知らない人ばかりというのには、恐怖を感じる。

「こんな話をすると言うことは、副長は俺が行くのを勧めていないということですか?」

「貴殿の場合、数日だけかもしれないが、それでも刻の流れの差はある。

 もしも知り合いがいるのであれば、その者とは差は思っている以上に辛いものだ」

 そう言うと、副長は立ち上がった。

「それを忠告まがりにきたが、出しゃばりすぎたかも知れん。

 艦長の言うとおり、決めるのは貴殿だ。この艦の人間にとって艦長は……いや、それは黙っていた方がいいな。下手にかしこまれるのはお嫌いな方だ」

 副長は話し終わったのか、部屋を出て行こうとする。

「――ところで、副長。あなたはいつ生まれですか?」

1159年平治だが?」

 不思議そうな顔をして、副長は振りかえった。

「ヘイジ? それは……何年前ですか?」

「――平治へいじはこの世の年月で言えば、700年ほど前かな?」

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