御伽草子

第1話 艦長

「ああ、大丈夫だ。健康そのものだ!」

 竜の民の医師バクのところに、海彦うみひこは連れてこられた。

 シャワーを浴びて小綺麗になったが、無人島でも日の光を浴びていたので栗色の肌は健康そうにも見える。ただ、昔からの慢性的に栄養不足からか、ガリガリに痩せ細っていた。

 その辺はどうなのか。

「食堂へでも行って、飯食って、しっかり睡眠を取れば問題ない」

 山彦やまひこがついているから大丈夫だろうと、そう言って医務室から彼を追い出した。

「この船は一体……」

 海彦はここに来てずっと疑問に感じていたことを、前を案内する山彦に投げかけた。

 水中にも潜ることの出来るミノと呼ばれる虚舟。

 木ではなく鉄で出来たワニと呼ばれる巨大な舟。

 通路を歩いていると、足元からかすかに振動を感じる。ということはこの船は動いているようだ。

「副長からは、何も聞いていないのか?」

「何が何だか――」

「ということは、ミツヒメ様のことも?」

「ミツヒメ様?」

 と、聞き返したときに、海彦の腹が大きな音を上げて鳴った。

「ハハハァ! 薬師殿の言うとおり、食堂で飯を出してもらおう。

 それから説明してやる」


 ※※※


 食堂は通路を進んだ先、和邇号の側面にある。

 入った途端、海彦の目に入ってきたのは壁。舟の側面にある天井から床まである円形のガラスの――実際はガラスではないが、ここではそう表現しよう――壁が並んでいた。

 ガラスの向こうは、夜の海を見せているわけではない。

 この部屋、食堂から漏れる光が魚を集めているようだ。しかも魚は平行に泳いでいるのを見ると、この和邇号自体も進んでいるのが、なんとなく理解できた。

 海彦は、この食堂が水面下にあるつまり、和邇号が水中にあると考えた。

 山彦は部屋の奥に向かった。

 白い服を着た誰かいるようだ。何か話し込んでいる。その間にも海彦は、透明な壁の向こうを眺めていた。魚が平行に泳ぎ続けているのを見るのは初めてだ。

「時間がないから、すぐに出せるものがないらしい。冷や飯と味噌汁しかない」

 と、トレイお盆を持って山彦が戻ってきた。

 部屋の中央には、長机が何個も並んでいてその一角に座るように即した。丸い腰掛けがあり、海彦が座ると、持ってきた食事を目の前に置いた。

「こんなに!?」

 運ばれてきたのは椀一杯の麦飯と、べつの椀は味噌汁が注がれていた。

「すまない。魚か肉も付けたかったが、この時間は用意は出来なかった」

「いえ、こんなに食べさせてもらうなんて……初めてです」

 米なんてまともに食えるのは、正月か病気したときぐらいだろう。しかも大概、他の雑穀の方が多いものだ。しかも麦なんて漁村ではほとんど見ない。だが、飯には変わりないだろう。

「そうなのか? まあ遠慮しないで食べろ」

 海彦は一杯の麦飯にかぶりついた。

 麦が混ざっているとはいえ、米など漁村ではめったに口にすることは出来ない。冷たかろうが、口一杯にほおばり、味噌汁で流し込んだ。腹が減っていたためか、食べるというよりも、貪るように平らげた。

「ハハハァ! 慌てなくても取られないぞ。

 さて、どこから話すべきか……」

 海彦が食べ終わったところを見計らって、山彦は現状の状況をどう説明すべきか、考え込み始めた。だが、そんなことを考えている間に食堂に、とある人物が顔を出したようだ。

「――その説明は、私からしよう」

 現れたのは30歳ぐらいの人だった。身長は一六〇センチぐらい、目鼻がハッキリした感じであまり日本人には見えない。というか、男なのか女なのかもよく判らない。妙に神々しさも感じられる。頭の髪は肩あたりでざっくりと切りそろえているし、前髪も眉のあたりでざっくりと切っている。頭には円筒形の筒を潰したようなモノを被り、手には高級そうな扇が握られていた。

 ただ、その人物は、今まで見た人達とは別の服を着ている。着物ではない。海彦が見たことは……一度だけあった。明治の世になって役人がやってきた。その時、着てきた外国人ガイジンの服とそっくりな黒い着物だ。

「艦長!」

 山彦は慌てて立ち上がろうとしたが、『艦長』と呼ばれた人物はそれを制止する。

「良い。気にするな……それよりも、副長達も失念していたことがある。

 救出者の名前を聞き忘れるとは……貴公の名前は何と申す?」

 笑みを浮かべながら艦長は聞いてきた。言われてみれば、今まで名乗っていなかった。

「俺は海彦と言います」

 チラリと山彦を見た。自分の名前を言えば、ひょっとして彼が反応するかもしれない。そう思ったが、残念ながら不動のままだった。

「なるほど海彦か。この者はヤマという」

 その言葉にハッとする海彦。


 ――やはり兄貴ではないのか?


 と、期待したが次の言葉でなぜ山彦が、反応しなかった理由が分かった。

「数年前に、海で溺れているところを偶然助けた。だが、その時、どうやら頭がいかれたらしい。助ける前の記憶を、ヤマという名前以外は無くしていた」

「記憶がない? そんな……戻るのですか?」

「分からん。バク殿にも治すことが出来ないらしい。だとすると、我々ではどうすることも出来ない」

「バク殿……あの方は何者なのですか? その――」

 浮かんだのはトカゲ人間の顔だ。聞きたいことはいろいろあるが、まず浮かんだことから片付けたかった。

「ああぁ、バク殿は何と申すか……。すぐに信じなくても良いが、竜の一族のものだ」

「龍!? あの龍神様とかいう……」

 前置きをされたが、さすがに驚いた。まあ、それっぽい角が剃り込みのあたりから伸びていた。だが、伝説上ではあんな人間に近い姿ではない。胴も蛇のように長く、巨大な口に空も飛んでいるはずだ。

「お主の頭の中にある龍は恐らく伝説上のものだ。それに彼等が竜の民と名乗っているだけだ。

 その昔、この世に繁栄していた竜のようなトカゲを祖とするらしい。だが、この世を襲った天変地異を逃れたそうだ。

 そして、深い眠りに就き、起きてみたら我々人間がこの世に現れていて謳歌していたというわけだ。もちろん、この世を取り返そうとした。だが、数が違っていた。

 結局、この世を取り返すのを諦めて、海底深くに安住の地を造った。しかし、今は数を減らしてしまっている」

 と、艦長は付け加える。

 海彦はどう答えていいのかわからなかった。

 いきなりそんな生き物がいると、信じるのは難しいかもしれない。だが、目の前にいた者を否定は出来ない。そもそもあの人魚の彼女を助けた後だ。人間ではない別の生き物がいても不思議ではないかもしれない。

「でっ、ではこの船はそのもの達が作ったものですか?」

「そうじゃ。彼等のほうが、人よりも頭がいい……とまでは言わない。

 竜の民彼等の歴史は長い。人が知らないものや、生み出していないものはたくさんある。

 そのひとつがこの船、潜水艦・和邇号だし、お主をここに運んできた潜水艇・蓑亀みのがめ号だ。

 まあ、その辺の名前は、私らが付けたんだがな」

「センスイカン……センスイカンとは?」

 聞いたことのない単語に困惑する海彦に、艦長は扇で外を指した。透明な丸い壁を。

「水に潜る船だ。そら、窓の外の風景で気がつかなかったか?

 今は水深約30メートル一〇〇尺だ」

 丁度、海彦はそちらに背を向けていた。再び振りかえって見たものは、やはり海の中の風景だったようだ。しかも、この部屋の部分が水面下にあるわけではなく、この舟自体が潜っているということか。

「もっと潜れるぞ。約109メートル1町約218メートル2町は軽く潜れる」

 艦長は自慢げに話しているが、海彦には想像が出来ない。そもそも海がそんなに深いものなのか、なども考えたことがないからだ。

「――それよりも、俺をどうやって見つけたのですか?」

「なんじゃ、それも話しておらぬのか。ミツヒメ殿からもらったものがあったじゃろ?」

「ミツヒメ? もらったもの?」

 海彦は、彼女がくれたあの青い石。お守りとして持っていたが、この潜水艦・和邇号に来てシャワーを浴びろと、それまで着ていた着物を脱いだ。

 その中に入れっぱなしだった。

「あっ! 着物の中に――」

 思い出したことを口にすると、察したのか山彦が食堂を飛び出していた。

「すぐに見つかるじゃろ。

 とにかくじゃ。あれには位置を教えてくれる機能が付いている」

「つまり、俺を捜してくれていたのですか?」

「そうじゃ。お主の村に行ってみたら、漁に出たときに足を滑らせて海に落ちたという」

 艦長はそう口にした。だが、実際は海彦は村人に襲われて、海に落とされたのだ。反論しようとして口を開けたが、それを艦長は止めるように口にする。

「ああ、言わんでも分かっている。大方、『人魚に呪われとる』とでも言われて殺されたのであろう」

 海彦はうなずいて見せた。

「その辺は申し訳ない。ミツヒメ殿はまだ若くて、軽率な行動を取ることがある。

 人魚なんぞ見たら、普通の人間だったら『化け物扱い』しても仕方がないことだ。

 しかし、お主は違ったようじゃな。一時的にしろ、匿ってくれたとか」

「――磯に打ち上げられていて、気を失っていたものですから……」

「大方、惚れたか?」

「えっ!?」

「図星か? まあ気にするな。人魚というものは、見目麗しいものだ。惚れるのは当たり前だ。しかし、人魚に惚れてはいいが、本気になるでないぞ」

「どういうことですか?」

御伽草子おとぎぞうしの1編は知っているか?」

 と、艦長は不敵な笑みを浮かべた。

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