第3話 竜の民

 蓑亀みのがめ号に乗せられた海彦うみひこは、乗降用のタラップのある中央通路の片隅に毛布に包まれていた。

 船体のど真ん中に大きな円筒形の部屋があるようだ。その左側を伝っていけば、この舟を操る部屋がある。先程から作業する声が聞こえる。ただ、反対の右側へ行く者はいない。

「身体を温めろ」

 と、兄と思われる男――本人に否定された――が、見たことのない円筒形の茶碗を渡してきた。熱い液体が入っているようだが、中を覗くと茶色い見たこともないものだ。

珈琲カヒーだ」

「カヒー? 飲むものなのか?」

「飲んだことないのか?」

 外国の飲み物なのか、海彦は恐る恐る飲んでみた。

「あちっ!」

「ハハハァ! 熱いから気をつけろ」

 大口を開けて笑う仕草は、やはり海彦の知っている兄である山彦やまひこだ。


 ――では、この男は一体、何者なんだろうか?


 そもそもこのミノと呼ばれる虚舟を操っている者達も、一体何者なのか想像ができない。

 今は一通り島の探索は終えたのだろう。全部で6名の男がミノに戻ってくると、浜を離れる。

 しかし、なぜ日の落ちた夜間に捜索するのだろうか。太陽が上がっているときの方が、島を捜索するのであれば効率がいいはずだ。

 海彦には分からないことだらけだ。

 あのカヒーなる飲み物を飲まされてから、妙に身体を動かしたくなった。通路にうずくまっているのが落ち着くかない。声がする方へ行くこととした。

 彼が予想したとおり、その部屋はこの舟を操るところだったようだ。信じられないが、目の前の透明な壁があり暗い海が見える。

「みのヨリ、わにヱ……」

 海彦には、信じられないことばかりだ。

『――コチラ、わに。感度良好』

 と、壁の丸いところ、網のような場所から声が聞こえてきた――スピーカであるが海彦には理解できなかった。しかも、女の声。

 彼が来たことに、部屋の者が気付いたらしい。海彦に目線が集まった。

「大丈夫そうか?」

 声をかけてきたのは、副長と呼ばれていたあの小柄な男。

「よく耐えたな。何日ぐらいだ?」

「えっ、いや――」

 急に声をかけられても困るし、あの島に何日いたか、数えてもいなかった。だが、副長は答えを待っている気はないようだ。

「ともかく、ミツヒメ様たってのご希望だ。通常ならこんなことはしないのだが――」

「ミツヒメ様?」

「ああ、お前さんが助けたミツヒメ様だ。魚人族の――」

 といいつつ、九郞くろう副長は彼の姿を見た。下から上へと……下は漁に出たとき草履を履いていたが、島に打ち上げたときにはなくしていた。毛布を被っているが、着ていた着物は紐やら火種を作った時に切り裂いて使ったために、丈は大分短くなっている。頭はボサボサだ。真水は貴重だし、雨が降ったときに洗ってはいたが、髪は伸び放題でワカメのようになっている。

 それよりも、

「ニオイがキツいな。ワニに戻ったら、風呂に入れ。そんな身なりでは、ミツヒメ様に会わすとは出来ない」

 そう言って顔をしかめた。

 自分では感じていなかったが、身体中からかなりニオイが出ているようだ。それで部屋の者が海彦が来たときに、全員が注目したのだ。

 そもそも、まともに真水で身体を洗ったことはない。雨にあたるぐらいだ。

「ワニ?」

「我々の船は、和邇わに号と呼んでいる」

 そう言って、副長は透明な壁の先、そこにある巨大な黒い塊を指さした。

 海彦は驚いた。突如、目の前に、まぶしい光が走り、そこに蓑亀号が向かっている。


 ――ワニに喰われる!?


 そう思ったが、実際は後方の格納庫。水密式の扉が持ち上がり、そこに向かっているだけだった。なのでこちらが後方。和邇号の艦首はそこからさらに先にあるのだが、ここからでは分からない。

 蓑亀号がその中に入ると、重たい水密扉が降りて密閉された。桶を裏返し、空気を入れて風呂の中に感じか……空気溜りのようなものがあり、蓑亀号は浮き上がった。潜水艇の格納庫は潜水艦・和邇号の全幅ギリギリに作られている。縦に2艇分は確保しているようだが、横はかなり狭い。そんな狭い中を操縦桿とスクリュー回転で、奥いっぱいまで進み、蓑亀号は停止させた。

「固定完了!」

「機関停止!」

 そして、先程乗り込んだ入り口が開いたようだ。


 ※※※


 海彦は蓑亀号から降りると……どちらに行っていいのか判らない。カマボコ上の格納庫は、密閉された状態で出口がないように思われた。ただ、突き当たりの壁の横に鉄の扉がある。真ん中に車輪のようなものがあり、それがクルクル回るとその扉が開いた。蓑亀号の乗員は、そろってその中に入っていく。もちろん、海彦も。ただ、

「お前はこっちだ」

 山彦に連れられ、他の者とは別行動になる。


 ――一体どこに連れて行くのだろう?


 この艦の中は密閉されているのにもかかわらず、昼間のように明るい。

 その光の元は天井のパネルだ。等間隔に並べられたタイルが光り、通路を照らしている。他には……壁は緑色に塗られてはいたが、ほぼ金属で出来ているようだった。鉄で出来た管が通路に並行して何本も走っている。足元は蓑亀みのがめ号と同じでザラついていた。

 そして、ところどころ鉄の扉――真ん中に車輪がある――で、通路が区切られていた。

 山彦は通路を進むと、ある部屋の前で止まった。何か書いてあるようだが、海彦は文字が読めない。

「薬師殿はいるか?」

 山彦はそう言って部屋に入る。

「薬師なんと呼ぶな! 先生と呼べと言っているだろ」

 部屋の中から年老いた男の声が聞こえてくる。

 海彦が覗くと……そこには、ひとりの老人がこちらに背を向けて座っていた。だが、明らかに人ではないことが、後ろからでも分かった。

 灰色の散切り頭の間、丁度剃り込みあたりから後ろにかけて木が生えていた。いや、木ではないようだ。擂り粉木……いや鹿の角をそれを短くしたようなものが生えている。

 そして、ゆっくりと振りかえった顔はやはり人とは違う。

「ヒィっー!」

 その姿に海彦は悲鳴を上げてしまった。

 全身の皮膚は、緑色の産毛で被われている。顔は白色の産毛で強調されており、トカゲを平たくしたようなもので、大きく裂けた口に牙がある。瞳の色は金色で、黒目が縦に入った蛇やトカゲの部類の目だ。

「なんじゃい、人の顔を見るなり驚きよって。ヤマは説明せんかったのか?」

「申し訳ない。薬師殿が、竜の民であることを説明する時間がなかった」

「まあいいわ。それより診察の前に先に風呂に入れろ! 臭いがキツくて敵わない」

 まるで汚物でも見るような顔を海彦に向ける。

 鼻……平たい顔の真ん中にある二つの穴がその人の鼻の穴なのだろうか。そこを手で塞いだ。塞いだ手も人間のものとは違う、長い爪に3本指だ。

「先に健康チェックを――」

「ここまでひとりで歩いてきたんだから、風呂ぐらい問題あるまい。さあ、早く出ていけ!」


 ※※※


「――というわけだ。だが、今は風呂の時間ではない」

 そう言って再びヤマは、海彦を連れて別の場所に向かった。

「風呂の時間は決まっている。なので、散湯浴シャワーを使ってくれ」

 と、連れてこられた部屋には、仕切られた個室が並んでいた。出入り口は半透明な板が、首から膝ぐらいまでしかない。覗くと、キレイな白い瀬戸物で囲まれている部屋だ。壁側には床から頭の上の方まで銀色の管が2本伸びていて、先が如雨露ジョウロのようになっていた。

「右が水で、左が熱水だ。いきなり熱水をかけると火傷をするぞ」

 銀色の管の調度腰ぐらいだろうか、操作できるらしい横棒を指さした。右側が青色、左側が赤色で色分けしてある。

「どうやって?」

「――ここを上げる。おっと、スマン」

 青い横棒を持って上に持ち上げた。と、頭の上のジョウロから真水が吹き出した。

 海彦は水を被ることになってしまったが、そんなことよりも舟の中で真水が大量に出ることの方に驚いて目をパチクリしていた。そして、降りそそぐ真水を喜んでいる。

 水を浴びている横で、山彦はゆっくりと今度は赤色の横棒を上げた。

 プシューっと音と共に降りそそぐ水が温かくなっていく。

「温度はこんなものでいいか? ぬるかったら調節してくれ。

 さあ、着物を脱いで……そこの糠袋で身体を洗え。泡が出るが、口にするなよ」

 ボロボロの着物は山彦が持って行ってしまった。


 ――風呂には入れない、とは言われたが……これはこれで気持ちいいな。


 足元を見ると茶色く濁っていた。

 降りそそぐ風呂など味わったこともない。それに今までの人生で、まともに風呂に入った記憶は数えるぐらいだろう。村の神事ぐらいだ。それにこの数日……何日か忘れていたが、無人島でも身体なんて洗えなかった。

 糠袋で身体をこすると、いわれたとおり泡が沸いてきた。いい香りもしてくるし、もぞもぞ身体がかゆかったのが取れていくような気がした。

「ここに手ぬぐいタオルと、着替えを置いておくぞ!」

 山彦の声が半透明の壁の向こうから聞こえた。

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