第4話 和邇号

 海に戻った虚舟うつろぶね……いや、潜水艇・蓑亀みのがめ号は水中を航行していた。

 もう少しこの潜水艇・蓑亀号を説明すれば……ウミガメの頭の部分は、何枚ものガラスを貼り合わせ、耐水圧にすぐれた操縦席がある。それを挟むようにサーチライトとロボットアームが左右にひとつずつ。ウミガメでいう前足の部分は潜行舵になっており、翼のように広げられていた。後ろ足のところにはスクリュープロペラになっている。

 さて中の様子は、どうなっているだろうか。

「ミツヒメ様。勝手な行動は慎んでください!」

 九郞くろう副長は、そう人魚の彼女に話す。

 水中を高速で進む蓑亀号に村人達が追いつくことは、まず不可能だろう。

「判りましたから、降ろしてくださいませんか?」

 彼女は、まだ弁慶べんけい保安長の肩に担ぎ上げられたままだ。

「これは失礼。山彦ヤマ、椅子をお持ちしろ」

「はいッ!」

 海彦にそっくりな男、山彦が、そそくさと車椅子を用意した。左右に大きな車輪が付いているが、西洋の調度品のような代物だ。座り心地の良さそうなクッションが、背もたれや座面にしっかりと張られている。

 座った彼女は車椅子を少し前後に動かすと、満足したのかニッコリと微笑んで見せる。

 その様子を、副長はため息をつきながら、

「ミツヒメ様。お立場……お姿をお考えになって行動してください。

 魚人ぎょじん族が人間と相見えるのは早すぎます」

「副長にはご迷惑をおかけしました。でも、姉上のいとしの地上を見たくて、それにイチヒメ様にも会いたいと――」

「謝って済むモノではありません。そもそも、あちらではのですから」

「どういうこと? たかが、3年でしょ?」

 キョトンと不思議そうな顔をするミツヒメ様。

 副長は再び、ため息をついた。

「――150年です」

「それぐらいなら――」

「普通の人間の寿命は、50年ほどです」

「でしたら、弁慶さんはもう十分生きていらっしゃるのでは?」

「保安長は、こちらに来てから大分経ちます。衛生面や栄養環境、医療も段違いです。

 こちらの生活が長ければ、その分、恩恵を受けていますので寿命は長くなります」

「では、亡くなっていると? 姉上に何と報告をすれば――」

「知っています。フタヒメ様は――」

 副長の言葉に彼女は悲しそうな顔をした。結局、彼女にイチヒメなる人物の行く末は、知らされていなかっただけなのだろう。

「副長。まもなく本艦と接触します」

 山彦の声が操縦室からした。

「了解した。保安長、ミツヒメ様を」

「承知しました」

 保安長がミツヒメの後ろに回り込み、彼女の車椅子の取っ手を掴んだ。そして、副長に続いて操縦室へと入っていく。


 ※※※


 操縦室に入ると、正面にふたりの男が並んでいる。その先は大きく切り取られた円いガラス窓。右側の男、山彦は帽子の上からインカムを付けている。

 どこかと連絡を取りをしているようだ。もう片方の席の者は操縦桿を握って巧みに扱っている。

『――わにヨリ、みのヱ』

 壁のスピーカからは女性の声が流れてきた。

「こちら、ミノ。感度良好」

『――わに了解。

 アア、かんちょうヨリ伝言ガアリマス。みつひめ様ニハ、後デヲ話シガアルソウデス』

 そうスピーカから流れてくると、みんなが笑った。ミツヒメ彼女以外。

 みんな知っているのだ、艦長のお話……と言うよりも長い説教が待っているとを。

 それを考えると、彼女は笑えない。

 そして、海の中。ガラスの向こうに何か巨大なモノが見えてくる。

 120メートルほどもある巨大なマッコウクジラなど、この世には存在しないだろう。

 潜水艦・和邇わに号。

 明治の初期などと言えば、最新の軍艦でさえ鋼鉄で外装を覆っているだけで、まだ木造も多く、帆掛けの併有で石炭を燃料にした外輪船だ。

 無論、どの国もこのような水中に止まることの出来る船は……いや、イクティネオⅡ号と呼ばれる潜水艇はスペインで登場していた。しかし、それは蓑亀号と、ほぼ同じ大きさ。目の前にある鋼鉄の巨大な潜水艦など、まだどこも持っていない。

 建造時は水中排水量5,000,000貫――18,750トン、全長560尺――170メートル、全幅42尺――13メートルあった。そこから何度となく改造を繰り返したのが、現在の母艦、原子力潜水艦『和邇』号である。

 巨大な葉巻状の胴体。その上に艦体前後に長方形の箱が乗っている。箱の船首に近い場所には楕円柱の艦橋がそびえていた。その少し前、葉巻状の艦体側に水平に潜行舵が、艦尾には十字に舵が付き、円筒に囲まれたスクリューが収められている。

 蓑亀号は、母艦にゆっくりと後方から近づく。

『――ヲ帰リナサイ』

 スピーカからそんな声が流れ、空いた隙間に潜水艇は入っていった。

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