文化祭一日目、登校(開会式)

 き、消え去りたいぃ……っ。


 満員の体育館の中、ステージに立っているわけでも無いのに、視線が俺に集まっているのを感じる。

 後ろの方からひしひしと感じ続けている視線は、何というか心から底冷えするタイプのやつで、ゾワゾワと鳥肌が立ちそうに……いや、立ってる。鶏よりも立ってる。

 これがただの自意識過剰であって欲しいけれど、その可能性は少なそうだ。非常に残念なことに。


 誰でもいいから今すぐ俺をここから連れ去ってくれっ!


 そんな童話のお姫様しか祈らなそうなことを天に一心に祈りながら、俺は目線を下へと向ける。

 すーすーと風通しの良すぎる、自分の足へと向ける。


 すると、太ももまでがしっかりと見えた。

 いな、見えてしまった。


 女子って毎日こんなようなのを履いて生活してるなんて、すっげぇなぁ……。


 俺は死んだ魚にも劣る生気の無い眼差しで膝上どころか腿上までしか無い、白のフリルでふち取られた黒の短いスカートを眺める。

 やっぱりメイド服ってものは基本的なデザイン自体は素晴らしいものだな、と見ていて思いはするけれども、自分が着ているとなると話は別だ。月とスッポンぐらい別だ。

 しかもまだ営業開始時間にもなっていないのに、俺だけがこんな格好をしているとなると話は別だ。太陽とミトコンドリアぐらい別だ。


 体育館の中なので風とかの明確な敵はいないけども、それでもスカートの裾を両手で必死に押さえながら、俺は忌々しげに後ろを振り返る。

 滲む視界の先には全ての元凶である二人──壇ノ浦さんと吉野ヶ里さんの姿が見える。列の後ろの方にいた二人は、俺の視線に気付くと同時にグッと親指を立ててきた。こっちの苦悩や羞恥なんて知らぬ存ぜぬといった、能天気な顔で。

 というか壇ノ浦さんに至っては喜色満面だ。マーケティング戦略が上手くいってるからか、しめしめといった感じの顔をしている。


 ひ、人を金稼ぎの道具として使いやがってぇ……。


 スカートの裾を握り締めている手が、わなわなと震えた。

 今すぐにでも詰め寄って、不平不満をあるがままにぶつけてやりたい。

 だけど、無理だ。列の先頭に立たされている時点で、目立った行動なんて何一つ出来ない。

 目立った格好はしてるけども……くそう。


 俺はがっくしと肩を落とすと、世の中の流れに身を任せることにした。せざるを得なかった。

 この場での反抗は諦めて、肩を落としたままの状態で顔を前に戻す。

 そして、壇上へと目を向ける。


 ステージ中央の演台には現在、我が校の生徒会長が立っていた。

 つまり、真矢さんが立っていた。

 真矢さんはそれはそれは毅然とした佇まいで、ザ・生徒会長といった風格を纏わせていた。


 ちょうどこれから、文化祭開催の宣言を行うところだったらしい。


 不意にそんな真矢さんと目が合った。一瞬じゃなくて、結構ばっちりと。

 途端に穴に入りたくなったけれど、もちろん体育館には穴なんて存在しないので、俺はこの耐え難い羞恥心を少しでも紛らわせる目的で、ひとまず笑顔を作る。

 というか、作らないとやってられない。真顔のままだととてもじゃないけど、真矢さんの顔を見てられなかった。

 頰どころか顔全体が引きつっていたので、多分死ぬほど不自然な笑顔だったとは思う。むしろ笑顔じゃない何かだったと思われる。


「────がはっ」


 真矢さんが急に胸を押さえたかと思うと、吐血した──かと思った。一瞬そう錯覚した。

 突発性の目眩にでも襲われたのか、片手を台についている。息も絶え絶えといった感じだ。


 えっ、真矢さん大丈夫かな……っ?


 不安げな眼差しを真矢さんへと送っていると、唐突に視界が真っ暗闇になった。何も見えなくなる。

 俺は今も体調には問題は無いので、真矢さんのように目眩に襲われたというわけじゃない。


 物理的に視界を塞がれたのだ。いわゆる、だーれだってやつだ。

 俺は自分の視界を遮っている手をどかすよりも先に、この行為の真意を尋ねることにした。


「おい、一体これはなんの真似だ?」

「家族に恥を晒させるのは誰だって忍びないだろ」


 案の定、聞こえてきたのは政道の声。

 実の姉があんなにも苦しそうにしているというのに、その声はとても平然としていた。なんて奴だ。


「なあ、真矢さんは具合でも悪いのか?」

「まあ、うん、そんな感じ。だから姉ちゃんのために、お前はあんまり見ないようにしてくれ」


 なんでだよ?俺が見てたら何か支障でもあるのか?……うん、あるな。幼馴染の男がメイド服を着て最前列に立ってるなんて、ただの支障でしかないな、うん。

 それにしてもさ、具合が悪くても代役を頼むことが出来ないなんて、生徒会長ってのは実に大変な役職だなぁ……。真矢さん無理だけはしないでね……。

 真っ暗闇の視界の中で俺が真矢さんを心配していると、


「……い、いやこれは、良かれと思ってだな……こうでもしとかないと、あんた全校生徒の前でぶっ倒れかねないだろ……」


 ふと政道の独り言らしき声が聞こえてきた。さっきと違ってその声には平静さの欠片も無くて、情けなく震えている。恐怖を感じてる時特有のものだった。あと、手も震えてるし。

 いや、なんでだよ?文化祭の開会式で恐怖を感じる時なんて、おかしなメイド服を着せられた状態で無理矢理列の先頭に立たされてる時以外に無いだろ、マジで。


「……はあ……くそっ……どうしてこうなるんだ……」


 良く分からないけど、それはこっちの台詞だ。この野郎。

 どうしてこうなったんだよ、ほんと……。


 はぁと溜め息をついたら、閉ざされた視界の中で、ここまでの流れをざっと振り返ってみることにした。


 あの後、ミルネのケーキを食べられることに浮かれていた俺の楽観的思考は、教室の扉を開けた途端に跡形もなくぶっ壊された。

 それが何故かと言うと、俺の知らない場所スポットが教室の中にあったからだ。

 廊下と同じように彩られた内装と、四個ひとまとめでくっ付けられた机にそれを覆う白いテーブルクロスは、準備期間中にも散々見ているので今更驚きはしないけれど、教室の一番目立つ位置に堂々と鎮座している数十個もの風船で作られた大きな大きなハートマークは、全くの初見だった。驚きで目が飛び出るかと思った。昨日早めに帰らされた理由はこのためか。


 それがチェキとかいうものを撮るための場所スポットなんだと壇ノ浦さんに聞かされた時には、俺のテンションはガタ落ちも良いところだった。

 うへぇ……と胃の中のものが全部出そうになっていた俺に、壇ノ浦さんは更なる追い打ちをかけてきた。


 バババーン!と変な効果音(吉野ヶ里さんの口頭)付きで、壇ノ浦さんがとあるメイド服(俺が今着せられてるやつ)を満面の笑顔で俺に見せ付けてきたのだ。

 そのメイド服は俺が聞かされていたものとは、まるで違った。

 俺が事前に聞いていたメイド服は古典的で伝統的で誉れあるもので、肌の露出なんて殆ど無いロングスカートのシックなものだったはずなのに、壇ノ浦さんが手に持っていたソレはメイドという職業に対する冒涜としか思えない半袖ミニスカートでデッカいリボンの付いたサブカル的なものだった。アキバ系(秋葉原なんて行ったことないけど、多分そう)のものだった。


 いやちょっと!?聞いてた話とぜんっぜん違いますけど!?

 俺はすぐさま二人に抗議した。けれど当然というか、意味は全然無かった。どこ吹く風だった。

 こ、これを着るんですか……。と手渡されたメイド服もどきを死にそうな目で見ていると、視界の隅では他の男子達に対するメイド服の支給が始まっていた。


 ま、まあ、赤信号皆で渡れば怖くないって言うし……。死なば諸共、か……。

 他の奴らもコレを着るという点だけが唯一の救い、溜飲りゅういんを下げようとして──そこで俺は気が付いた。

 他の男子達には、俺が事前に聞いていたものとピッタリ合致する、レトロでシックで上品なメイド服が渡されていたことに。


 その事実に気づいた瞬間、俺はすぐにまた壇ノ浦さん達に抗議をしかけていた。カップラーメンが作れるぐらいはたっぷり抗議していた。

 俺の長々とした抗議を聞き終えた壇ノ浦さんは、首を傾げて当たり前のように、


「だって男の生足なんて見えても気持ちの良いもんじゃないっしょ〜?」


 いや俺も男なんですけど………………?


 そんなこんなで、俺だけがこんなものを着る羽目になってしまったのだ。


「てことでアッスン!さっさとこれに着替えてきて〜!戦いは始まる前に始まってるんだぜ〜!」


 そんなこんなで、まだ文化祭が本格的に始まる前の開会式の時に前もって俺だけが着替えさせられて、列の最前列に無理矢理立たされてしまったのだ。


 そして、そんなこんなで、今の状況へと至るのだった…………めでたしめでたし──めでたくねぇっ!!くそったれぇ!!

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父さんや、連れ子が女優、聞いてない。 新戸よいち @yo1ds

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