4.業務記録:七峰の引き継ぎ(後)
人生の軌跡? これがそれを示しているというの?
予想していたリアクションだったのか、一ヶ谷は落ち着いてうなずいた。
「まあ、受け入れられる話ではないとは思うがな。ああ、これは示しているだけで、光を切ったり消したりすれば人が死ぬといったことは無いので安心したまえ」
「ただのグラフだと思えばいいッスよ」
一ヶ谷の補足を、六津井がさらに補足する。
「はあ……」
安心しろだの、ただのグラフだのと言われても、はいそうですかと言えるものではないが、心持ち落ち着けることは出来た気がした。
しかし、そうすると、光の線が半ばほどから枝分かれしまくっているのはどういうことなのだろうか。
「で、光の軌跡が半ばから分岐しているだろう? あれはまだ確定していない未来だからだ。過去ではなく未来は定まっていないからな。選択によって未来は変わる。したがって、選択されるまでは光の軌跡も広がっているわけだ」
綾乃の心中を推し量ったように、一ヶ谷が話を進める。その話通りなら、この、上に広がっているのは、人々の可能性ということだ。
無限にも思える広がり。
「我々の業務は、この形が歪になり過ぎないようにすることだ」
「歪にならないように?」
「そうだ。基本的に、大前提として、選択は個人の自由。だから手を加えてはいけないのだが、中には他を巻き込んで突拍子もない方向へ進み出すものもある。完全に放っておくと、これら光の軌跡は滅茶苦茶になってしまうんだよ。それを避けるために、必要最小限度の手を加える。それが我々の役割だ」
一ヶ谷が大樹を見上げながら語った。その脇から、六津井がひょこっと顔を出す。
「いや、こんなに綺麗でなくてもいいんスけどね、ぐっちゃんぐっちゃんになっちゃいけないんスよ」
「はあ」
曖昧にうなずく綾乃。
六津井のまとめ方は、ある意味納得しやすいものだった。
一ヶ谷はちらりと六津井を見ただけで、すぐに綾乃へ視線を戻した。
「どの軌跡を選ぶのか、どういうアプローチを取るのかは各自の判断に任される。具体的な手法は引き継ぎ時に理解できるとして、まあ、大体は迷っている者に接触し、きっかけや気付きを促すといったところだな」
「誰かと出会わせるとか、幻を見せるとか、夢に入り込むとかもアリっすよ?」
六津井がウインクしたが、今回は、その発言を一ヶ谷はスルーしなかった。
「ただし、やりすぎは禁物だ。先ほどの繰り返しになるが、選択は個人の自由、我々の干渉は必要最小限度でなければならない。イメージとしては、せいぜい“ささやく”程度でなければならない」
なるほど、では、七峰が夢の中に現れたのも具体的な手法とやらの一つ……と思ったところで、綾乃の心臓がどきりと鳴った。そのまま、心臓が荒れ狂い始める。
きっかけや気付きを促す? それならば――
「なら、何故私には気付かせてくれなかったのよっ!?」
文字通り一ヶ谷の胸ぐらを掴んで、綾乃は激昂した。
「気付かせてくれてたら、こんなことにはならなかったじゃない!!」
自分が死んでなくて夢なのだと気付いていたら――
それ以前に、あんな結末になると知っていたら――
いや、あんな男がいると分かっていたら――
こんなことにはならなかったはずなのに!
噛みつくような綾乃の目を、一ヶ谷の表情のない目が迎える。
「君は迷っていたわけではない。言ったはずだ、選択は個人の自由だと。それをねじ曲げることは禁忌なのだよ」
「ふざけないでっ!!」
力一杯胸ぐらを揺さぶる綾乃。しかし、一ヶ谷の巨体は微動だにしなかった。
動かぬと見て、綾乃の手は握り拳を作って一ヶ谷の胸を叩き始める。
トラックのタイヤのような感触に、何度も何度も抗う綾乃の拳。その拳が開き、すがるように掴まれるまで、一ヶ谷は何も言わなかった。
「……ふざけないでよ……」
いつの間にか、綾乃の目から涙がこぼれていた。
激情が去るのを待ってか、はたまた、単に呆れただけか、四道が頭をかいてから淡々と割り込んだ。
「つーか、無茶言うんじゃねえっての。こっちとら、たった7人で切り盛りしてんだぞ? この1億以上もある軌跡をよ。隅から隅まで目を利かせられるわけねーだろうが」
綾乃の視線が四道へ向き、一ヶ谷へ戻る。
その綾乃は見ずに、一ヶ谷は四道へと顔を向けた。
「いや、そうでなければならない。それも、我々の干渉が最小限となるために必要なことなのだ」
一ヶ谷に「ちっ、分かってるけどよぉ」と愚痴る四道。それから、綾乃へ顔を向けた。
「君については、本当に残念なことだと思う。心からお悔やみ申し上げる」
静かではあるが、無機質ではない目。
そこに一ヶ谷の思いを見た綾乃は、ようやく少し落ち着きを取り戻した。
「……いえ、みっともないところを……」
身を引き、ようやく絞り出せた綾乃の呟きに、一ヶ谷がうなずく。
場の空気を見て、四道が大きく息を吐いた。
「さーて、もういいんじゃねーか? 旦那。今回は誰の番か、そろそろ決めようや?」
「そうだな」
うなずく一ヶ谷。
涙を拭った綾乃が目を上げる。
「誰の番って、何ですか?」
一ヶ谷が応える。
「誰が解放されるか、という意味だよ。この職場は7人が定員だ。誰かが加われば、誰かが抜けることになる」
「ひっくり返せば、新入りがなきゃ、ずーーーっとここに縛られるっつーことさ」
四道が憎々しげに吐き捨てた。
「ず、ずっと……?」
綾乃がたじろいだが、一ヶ谷は全く動揺せずに腕を組んで悩み始めた。
「うむ、通例なら勤めが長い者順なのだが……なあ? 七峰」
「いえ、私は別に今回でなくてもいいですよ?」
「お前、前回も前々回も同じことを言っておったではないか」
「七峰さん、いいんスか? せっかくのチャンスなんスよ? 自分なら絶対逃さないッスけどねー」
「いーじゃねーか、いいって言ってんだからよ。なら、業績的に俺だよな旦那?」
綾乃を置いてけぼりにして、話がどんどん進んでいく。
四道のアピールを受けて、しかし、一ヶ谷は首を振った。
「……いや、やはり、今回は七峰だ。お前もう1000年近くいるじゃないか」
「1000年!?」
綾乃の声が響いた。
結構な大声だったにも関わらず、一ヶ谷はあっさりとうなずく。
「そうだ。こいつはもう1000年近くここで勤めている。いい加減解放されてもいい頃合いだろう」
「まだ900年手前ですよ、サバを読みすぎです。それを言うなら、一ヶ谷さんは掛け値無く1000年超えてるじゃないですか」
「俺は管理職だからな」
一ヶ谷と七峰の掛け合いに、唖然とする綾乃。
その様子に、四道が意地悪く笑った。
「ずーーーっと縛られるっつう意味が分かったか? 新入り」
その言葉の重さに、綾乃の顔から血の気が引く。それを見て六津井が慌てて手を振った。
「いやいや、小清水さんっ、あの二人は異例ッスよ? 普通は40年か50年ぐらいで新しい人が来て、順番に解放されますから、そんなに長くはならないんスよ?」
それでも、最短でも300年ぐらいはかかるということだ。
めまいがしてふらつく綾乃に、四道が「ちなみに、お前は80年ちょいぶりの新人な」と追い打ちをかけ、六津井が「ちょっ、四道さん!」と言い返す。
一ヶ谷が手を叩いた。
「そこまでだお前等。四道、茶化すんじゃない。今回は七峰で決定だ」
一ヶ谷の宣告に、四道は「ちっ」と舌打ちし、七峰は「本当に、別にいいんですけれどねえ」と苦笑した。
「さあ、引き継げ、七峰」
一ヶ谷に促されて、やれやれといった風情で七峰が綾乃の前へと進む。
「小清水さん」
「は、はいっ」
七峰の声に、綾乃が我に返る。
「これを」
七峰が取り出したのは、あの懐中時計だった。
「はあ……」
差し出される時計を、綾乃が受け取る。
「お疲れっした、七峰さん」
「けっ、さっさと逝っちまえ」
「ご苦労だったな、長い間」
六津井、四道、一ヶ谷からの別れの挨拶。
「お世話になりました。お先に失礼」
にこやかに返す七峰。
そのまま綾乃を見つめる。
「あの……」
何を言っていいか、綾乃には分からない。
七峰も、何か言おうとして、結局苦笑いしただけだった。
少し申し訳なさげな、穏やかな顔。
が、崩れた。
「ひっ!」
思わず後ずさる綾乃。
その目の前で、七峰の体が、肉が端からどろりと崩れ、崩れたとたんに灰となって散っていく。骨も割れ砕けたそばから灰となっていく。
見る見るうちに、瞬く間に、灰と化した。
そして、引き継がれた。
灰と化した男の知識、経験、思いが。
残った女が振り返り、穏やかに微笑む。
逝った男が、かつて見せたような笑顔で。
一ヶ谷が、わずかにうなずく。
「さようなら、七峰。そして、よろしくな、七峰」
七峰は軽やかに一礼する。
「ええ。こちらこそ、どうぞよろしく」
その手に、銀の懐中時計が煌めいていた。
銀時計と軌跡――七峰(あなた)から七峰(わたし)へ継がれるもの―― 橘 永佳 @yohjp88
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