親友に撃たれる

紫鳥コウ

親友に撃たれる

 雨曇りのなか電車を乗り継ぎ、二時半には目的の駅に降り立った。

 もう七月である。なにも飲まずに長い時間を出歩くわけにはいかない。コンビニでスポーツドリンクを買い求めて、安井は目的地へと向かった。受付はもうはじまっている。

 待合室はそれなりにいていた。少なくとも、混雑しているとは言えなかった。それでもえらく待たされたのは、安井の前に入ったひとが、十数分も身の上話をしては激昂しているからだと思われる。待合室にも中の様子が分かるくらいの声音ボリュームだ。

 いままで何度読み返したか分からない、芥川龍之介の『河童』を中途まで読み終えたところで、安井の番になった。

 中に入ると、いつも通り、にこやかな表情で迎えられた。近況を聞かれたので、就活をしているがうまくいかないというむねを話した。がんばっているが、自分に見合う職にありつけないと。しかし実際は、滅多に外に出ずに、自分の部屋に根付いてしまっている。

 いつも通りの内容が記された処方箋を渡し、混雑している薬局の隅の方に座っていると、猛烈な眠気が訪れてきた。一睡もしていない。ひる近くに一時間くらいまんじりとしただけだから。


 帰り道、乗り継ぎの駅の改札を出て、西口からショッピングモールへと向かった。カラオケやハンバーガーショップの前に、制服姿の高校生たちが見える。

 この通りを歩いているのは、ちゃんと自活ができているひとばかりだろう。もしくは、将来的に自活をすることのできる見込みがあるひとだろう。

 両親が稼いだお金だけで暮らしている安井は、自分を肯定できる何ものをも持ち合わせていなかった。それなのに、ショッピングモールの三階にある映画館の窓口で、人気ドラマのスピンオフだという映画の名前を口にしている。

 まぶたの裏側に刻みつけられた彼女の姿を見つめる。スクリーンに映るものは眺めない。このときの安井の姿といえば、まるで居眠りをしているかのようである。なにも食べず、なにも飲まず、なんら複雑なことも考えず、ただ彼女のことだけを想う。

 帰りもチラリと窓口を見た。しかし、もう彼女はそこにはいない。だからこそ、慕情ぼじょうが高まっていく。


 在宅の仕事をしている。川崎と野茂にはそう言ってある。

「チーム戦の大会もあるんよ。でもまあ、俺は活躍できんかったんやけどな。仲間が強かったから勝ち上がれただけや」

「ふうん、まあ、ええ息抜きになったんちゃうか」

「七月は連勤だらけで、かなり忙しかったし、めっちゃ楽しんだ。でもなあ……優勝したかったわあ」

 同じタイミングでお盆に帰省していた川崎に連れ出されて、野茂の家で飲み会をすることになった。薬の関係上、安井は、アルコールを摂取することができない。お酒のかわりに炭酸飲料を手元に置いて、ふたりの会話に無言で相槌あいづちを打っていた。

 安井は、自分の方へと話題が飛んでこないかとびくびくしていた。そんなに緊張をするくらいならば、断ればいいのである。しかしここで勇気を持って誘いを受けることで、ふたりと変わらない「社会人」であると偽れると思ったのだ。

「ヤスは? 在宅ワークでしょ?」

「忙しいこともあるけど、つらいのは、仕事の時間が不定期なことかなあ。終電とか、そういう縛りがないから、何時でもミーティングが開かれるし……」

 もちろん嘘っぱちである。それっぽいことを並べ立てているだけだ。これは、川崎と野茂と違う職種であるから通じることだが、野茂の様子が少しおかしい。ふんと鼻をならして、安井から視線を外す。

 しかしここで「どうしたの?」とくことができない。それを訊いてしまえば、とんでもない「仕返し」をされそうな気がしたのだ。

 それから会話は、彼女と同棲して三年になる藤田という親友の話へと移っていった。

「藤っちの彼女さんにこの前会ったんやけど、めっちゃ可愛いし、雰囲気も藤っちにお似合いな感じやったわ。もう間もなく結婚しそうやね。そんな気もしたなあ」

「ま、もう三十やからな。俺たちも焦らんとあかんわ」

「なんか出会いとかないんか?」

「んー。ほとんど女の子のおらん職場やし、おってももう結婚しとるし、仕事をして寝てる身分からすりゃ、出会いなんてどこですればええんやって話やな」

 ふたりがこういう会話をしているあいだ、安井は、映画館の窓口に座る彼女のことを思い浮かべていた。歳は二十四、五くらいだろう。となると、自分の五歳くらい下になるわけだ。

 お付き合い……なんてできるわけがない。なにひとつ魅力のない自分のことを、好きになってくれるわけがないのだから。

「ヤスなんて、ムリやろな。結婚するには、お金がいるんやから」

「でも、ヤスやって、それなりに稼いどるやろ。仕事の内容とかは分からんけどさ」

 突然飛んできたその言葉に、安井はどう返せばいいか分からず、苦笑するしかなかった。仕事なんてしていない。いや、できないと言った方が正しい。なぜ、できないのかと言われれば……この世には少なからず、ぼんやりとした理由から仕事ができないひともいる、としか言いようがない。

「いや、ヤスは……ヤスは、ほら吹きやからなあ」

 その野茂の言葉は、安井を一気に打ちのめした。見透かされていた。嘘をついているということを知られたまま、嘘を重ねていたというのは、なんたる屈辱であろう。なんたる悲劇であろう。

 なんたる……涙を流さないように踏ん張りながら、「まあ、いまはムリかな」と言い返すしかなかった。

 安井は、親と約束があると嘘をついて、野茂の家を後にした。もうすっかり、虫のが涼やかな、夏らしいんだ夜になっていた。


 帰り道。廃校となった母校の前で立ち止まり、彼女のことを考えようと必死になった。毎日のように、付き合っているところを妄想するほど、好きでしかたがなかったのに、最後まで告白できなかった彼女のことを。

 寝る前に、高校のときの卒業アルバムをめくった。葉書に貼る切手サイズの、彼女の写真を見ていると、あの映画館の窓口の景色が、霧となって目の前に漂いはじめた。

(初恋のひとに似ている、あのひとのために、これからも映画館に通うのだろう。親の稼いだお金で……)

 安井には、クーラーの音が、やけにはっきりと聞こえていた。



 〈了〉

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