13.村の問題に対処していこう!(3)

「――井戸の水? ああ、たまに凍ることがあるね」


 あるんだ。


「冬の一番厳しい時期だけだけどね。井戸の表面が凍るから、棒で突いて割るんだよ。そう厚くは張らないから。そこまで困ることはないんだけどねえ」


 私の問いにそう答えたのは、たまたま井戸に水を汲みに来た女衆の一人だ。

 桶の重さに難儀する私を手伝い、自分の分も軽々汲み上げて去っていく彼女のたくましい背中を見送りながら、私は無言で腕を組む。


 川の水が凍るなら、井戸の水が凍るのも道理――なのだろうか。

 井戸水は凍りにくいと聞いたことがあるけれど、それでも凍るくらいにこのあたりは寒くなるのだろう。


 ――棒で突いて割れるくらいなら、まあ問題ないでしょうけども。


 このあたりは、水源は多くとも飲める水となると多くない。雨も雪も瘴気交じりで、飲み水としては使い物にならなかった。

 安心して使える水源は、瘴気を含まないという水脈に沿って掘られた井戸のみだ。

 そして、村には二基の井戸があったけれど、屋敷にあるのは一基だけ。


 例年、ノートリオ領で雪が降り始めるのは十月下旬という話。今は十月中旬で、すでに薄く雪が積もっている。

『例年』なんて言うけれど、季節の変化は上振れ下振れ当然の世界だ。

 ふーむ。


 ――念のため、多めに氷を作っておこうかしら。別にあっても損はないわけだし。


 食糧庫は広く、氷を置くスペースはいくらでもある。

 氷は温度を下げるにも一役買ってくれるし、肉より先に溶けるから温度変化の目安にもなるだろう。単なる水なので、捨てるにしても苦労はしない。大雪で井戸まで出かけるのが億劫な日に消費するのもいいだろう。


 ま、念のためね。念のため。

 保険は多ければ多いほどいいからね。






 念のためと言うと、実のところもう一つ気になっていることがある。

 夕飯の時間まではまだあるし、これも今日のうちに調べておこうかな。


「――――瘴気の作物への影響、ですか?」


 ということで、やって来た診療所。

 相変わらず机に齧りついているアーサーが、私の訪問に顔を上げて瞬いた。


「草原の植物が瘴気の毒を持つなら、作物も毒を持っているはず。なのに、どうして村の人たちは今まで無事だったのか――と」


 そう。これ、前にアーサーから話を聞いたときにも気になっていたんだよね。

 このあたり一帯は瘴気に汚染されているため、草原の植物は一部を除き瘴気を含んでいる。となると、同じ土で育てた作物も汚染されていておかしくない。

 なのに村人たちは、夏芋の粉を手に入れるまでは小麦やじゃがいもで飢えをしのいできたのである。

 これらは、おそらくこの地で採れた作物のはずだ。なにせ、村人たちが入植してから約四年。これだけ暮らして、まさか故郷から持ってきたジャガイモが残っているということもないだろう。


 しかし、村人にも私にも瘴気の影響が出ている様子はない。

 これはいったいどういうことだろうか?


「理由は単純ですよ。単に、摂取量が少ないだけです。薬湯で解毒が間に合うくらいに」


 私の疑問に、アーサーは迷いもなくそう答えた。

 なんと身も蓋もない。


「作物も瘴気に汚染されますし、いくつかは瘴気と相性が悪くて育たないものもあります。このあたりはどちらかというと農学の範囲なので、僕はあまり詳しくないのですが……」


 という前置きをしてアーサーが語ることには。

 小麦もじゃがいももその他作物も、当たり前のように瘴気に汚染されている。こればかりはノートリオ領という土地である以上、例外はないのだという。


 ただし、その汚染度には差異がある。

 作物の種類や個体差、畑の位置、周囲の環境、それから少々の運。いくつかの要因が重なって、軽易な汚染で済む場合がある、らしい。


「ほとんど経験則なんですけどね。実際に、比較的作物への影響が少ない地点がぽつぽつあるみたいで。マーカス閣下の連れてこられた農学者の方が調べていましたよ。同じような土地なのに、どこが違うんだろうって」


 とはいえ、あくまでも『比較的』だというのがアーサーの話。

 草原には雪も降るし雨も降る。この地の雨雪は山から下りてくるもので、すなわち瘴気をたっぷりと含んでいるのだという。


 空からまんべんなく降ってくるこれらは、どうやっても防ぎようがない。雨がなければ作物も育たないわけで、この汚染は受け入れる他にないのである。


 実際、この地域で雨に当たるのはあまり推奨されない。

 雨水を飲み水として使うこともできず、村における飲料用の水源は井戸のみ。その井戸にも、必ず雨避けの屋根が付けられていた。


 それだけ、作物にとって水と言うものは重要なのだ。

 ふむふむ。


「調べた土地については、おそらく閣下の執務室か書庫に残されているのではないでしょうか。この時期には、僕はもう屋敷の出入りをほとんどしなくなっていたので詳しくはわからないのですが……たぶん閣下は、それを参考にして作物を徴収していたと思います。本当に、根こそぎという感じで収穫を持っていっていたので、その畑の人が気の毒でしたよ……」


 ふむふむ――ふむふむ?

 まーた前領主のろくでなし情報が出てきてしまったな?


 とはいえ、そこまでするということは単なる嫌がらせでもないだろう。

 村人たちはともかく、前領主が少量の食事で満足しているとも思えない。この土地で採れた作物を、十分に食べられるだけの手段がなにかしらあるはずなのだ。


 来春になれば畑を作る。畑を作れば作物が取れる。

 だけど、実りがあっても食べられないのでは意味がない。

 土地になにかしらヒントがあるのであれば、春の畑づくりの前までに調べておく必要があるだろう――。


 というあたりで、アーサーが息を吐いた。

 ここらで話は終わりらしい。


「僕が答えられるのはこんなところですね。――ところで、どうしてこんな質問を?」


 春はまだまだ遠い。今は、これから来る冬の盛りをどうやって乗り越えるかの方が重要だ。

 だというのに、どうして『今』そんなことを聞くのか――と言いたげな顔に、私は軽く肩を竦めた。


 まあ、これも念のためだ。念のため、念のため……。

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