10.冬の村を見て回ろう【まとめ】(3)

 ヘレナの不服は著しかった。

 それはもう、不満でいっぱいだった。


 押しに弱い彼女らしくもなく、いつまでも私に文句を言い続けた。


「いえ、いえ、殿下のおっしゃりたいことはわかりますよ。たしかに勉強は大切です。貴族でなくても、平民であっても、たとえ貧しい生まれであっても、やる気があるなら誰だって学ぶ機会を持つべきだと私も思っています」


 とぐちぐち言うのは、領主屋敷三階。領主の寝室であり、現在は私の寝室でもある部屋の、ベッドの横だ。

 時刻は夜。夕食を食べ、歯を磨き、そろそろ子どもは寝る時間という頃合い。

 私の夜更かしを断固として許さないヘレナが、私を断固として寝かしつけながら首を振る。


「ですがなにも、私でなくてもよかったじゃないですか。字の読み書きなら、護衛のみなさんも御者のモーリスさんもできます。アーサー先生だってできるでしょ――いえ、あの方は教えるのに向いていなさそうですね……!」


 あっ、ヘレナでもアーサーはその評価なんだ。

 まあ、向いてなさそうだよねえ。というか、アーサーから字を習えるならとっくに習っているはずだよね。

 でも、ケイティはアーサーの書く字には見向きもしなかった。彼女の内気な性格から、字を習いたいと言い出せなかったこともあるだろうけども、そもそもあの癖のありすぎる字じゃ習う気にもならなかったのではなかろうか。なんなら、セントルムの公用語と認識していなかった可能性すらもある。


 なんてベッドに寝かされながらつらつらと考える私に、ヘレナは強引に話題を引き戻した。


「とにかく! どうして私だったんですか! そのために、わざわざ侍女の役目も外すなんて……!」


 ヘレナの目は恨みがましい。この決定は、本当に本当に不服だったらしい。

 とはいえ、こちらとしてもまったく理由がないわけではない。むしろ、いろいろな理由を複合的に重ねた結果なのだ。


 その理由のうちの一つがなにかと言えば――。


「本当に、向いていると思ったのよ」


 実にシンプル。他の誰よりも、彼女が教えるべきだと思ったのだ。


「年下の私が偉そうに教えるよりも、大人の方が良いでしょう? それに、大人の男性が相手だと小さな女の子たちが委縮するわ。体格がいいからなおさらね」


 護衛たちはもちろんのこと、馬を相手の重労働をするモーリスもかなりの筋肉質だった。

 王宮勤めには、最低限の見目も問われる。すなわち顔が良く、痩せすぎず太りすぎず、長身で清潔感がある人物。これらを満たした筋肉質な男性というのは、客観的に見てかなりの威圧感がある。

 特に、小さな少女であればなおさらだ。外から来た見慣れない男を相手に彼女たちがのびのび勉強できるかと言われれば、たぶん無理があるだろう。


「その点、あなたなら問題ないわ。隙があるし、お人好しだし、なにしても怒らなそうだし」

「それ、褒めているんですか……?」

「なにより経験があるじゃない。――――私に字を教えたの、あなたでしょう?」


 王宮時代。私が意外と優秀だということに気付かれる前は、私には家庭教師もつけられなかった。王族であれば幼少期から詰め込まれるはずの教育を受けることもなく、世間から隔離されるように暮らしていた。

 求められず顧みられなかった私に、最初に文字を教えたのは彼女だ。

 前世のゲームの記憶の中だけで生きていた私は、そこでようやく、この世界を『識る』方法を得た。


 その後はめきめきと知識を付け、あっという間にヘレナから教えられることはなくなってしまったけれど、それはそれ。

 最初の一歩を教えたのは彼女であって、そこに変わりはないのである。


「………………」


 私の言葉に、ヘレナは面食らったように瞬き、悩ましげに視線をさまよわせた。

 だけどほどなく、眉根を寄せたまま深く長い息を吐く。


「…………わかりましたよ」


 息を吐き終えると、彼女は観念したようにそう言った。

 それからやはり恨めしい顔で、寝そべる私の顔を窺い見る。


「でも、侍女の仕事も続けさせていただきます。子供たちに勉強を教えながら、殿下の身の回りのお世話も」

「…………私としては、あまり無理をさせたくないのだけど」


 教師の仕事に屋敷の管理、加えて侍女もとなるとさすがに厳しい。

 無理をしなければ回らない状況とはいえ、ブラック労働にも限度がある。

 適度な休息を取らせなければ、かえって労働効率も下がるというもの。できれば一つは削ってほしいし、それの『一つ』は侍女の仕事であってほしい。


 なぜなら――。


「いーえ、やらせていただきますよ! 殿下、私が見ていないのをいいことに好き勝手なことをするつもりでしょう! 夜更かしとか!! 徹夜とか!!!!」


 うーん、ばれてる!

 さすが、長い付き合いをしているだけのことはある。


 いやしかし、だけどこちらにも言い分はあるのだ。

 だってなんといっても、ヘレナの寝かしつけ時間は早すぎるのだ。


 毎日元気に十時間睡眠。夕食を終えたら体を洗って歯を磨いて、寝支度を整えたらすぐ就寝という速さである。

 できても多少の作業だけ。せいぜい大人たちに指示を出す程度の時間しかない。あとは他の人々に任せるようにと言われ、いつもさっさと寝かされてしまっていた。


 ――今日だって、メモの清書くらいはしておきたかったのに。


 そんなこと、このヘレナさんが許すはずもない。

 ベッドに入ってしっかり眠るまで、真横で監視をされてしまう。おかげでこっそり起きて思索する事さえ叶わなかった。


 これこそが、ヘレナに子供たちの教師を任せるに至った『いろいろな理由』の最大の要素。


 この冬は、いささか懸念事項が多すぎる。できればもう少し考える時間を設けたいし、活動できる時間も増やしたい。

 となると、削るべきは睡眠時間。お子様仕様の十時間睡眠ではなく、せめて八時間、いや六時間睡眠にまで持って行ければ、だいぶ一日が長くなるのになあ――と思っていたのだけど。


「まったく、殿下は! そういうことだと思っていましたよ!!」


 私の顔を覗き込み、ヘレナは肩を怒らせる。

 まだなにも言っていないのに、どうして図星を突かれたことがばれてしまったのか。

 表情のせいかと隠れるように毛布をかぶれば、叱りつける彼女の声が追いかけてきた。


「明日からもちゃんと寝ていただきますからね! 放っておいたら、殿下が誰より無理をなさるんですから!!」


 叱ろうとしているのか寝かせようとしているのか。そう言いながらも、ヘレナの手は毛布に潜る私の体をぽんぽんと叩く。

 こちとら、もう七歳。そんな幼児相手の寝かしつけなど効くものか。七歳となれば小学一年生。一人で眠れるし、一人で起きられるし、睡眠時間は八時間でも十分。もっと起きて夜を満喫できる年齢なのだ。


 と力強く思うのに、規則正しく体を叩かれてしまうと眠くなってしまうのがお子様の悲しい性。気付けばうとうととなりはじめる自分に抵抗するように、私は毛布の中からどうにか眠たい抗議の声を出した。


「過保護すぎるわ…………」

「過保護でいいんですよ。殿下はまだ、子供なんですから!」


 いつものようにそう言って、ヘレナはまた毛布の上からぽんと叩く。

 その手の動きを最後に、私は抵抗虚しく、完全に夢の中へと落ちていった。

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