10.冬の村を見て回ろう【まとめ】(2)
いやあ、実は前々から思ってはいたんだよね。
この村には教育が必要だ、ということは。
だけど労働の主力である大人たちには、勉強なんぞしている時間はない。
それに彼らは、長年教育とは無縁に生きてきた人々だ。貧しい平民層にとって、勉強とは特権階級である王侯貴族か知識人がするもの。学者になるわけでもないのに、今さら学んでどうするのか、と思われることは間違いないだろう。
しかし、知識と言うものはあればあるだけ良いものだ。
特に読み書きは、できるとできないとでは大違いである。
書物に残された過去の失敗を学ぶのも、メモを残して情報を共有するのも、読み書きができなければ難しい。
口頭での伝達には限度があるし、人間の記憶にも限度がある。文字にしてまとめることは、記憶領域の拡大に加えて、誤情報の伝達を防ぐ意味もあるのだ。
人が多ければ多いほど、作業が複雑になればなるほど、この文字による正確な情報共有には意味がある。今後の村の発展のためにも、読み書きのできる人間を増やすのは必須だろう。
なので、まずは手が空いて、時間的に余裕のある子供たちから広めて行こうというわけだ。
ご理解いただけたでしょうか?
「な、な、な、なんで私なんですか!? 殿下がご自身で教えればいいじゃないですか!」
ご理解いただけていない。
子供たちの、特にケイティの熱い視線を受けてなお、ヘレナは必死に首を横に振る。
「む、無理ですよ! 私が誰かに物を教えるなんて……!!」
「そんなことないと思うけど……」
嫌がる、というよりは腰が引けた様子のヘレナに、私は肩を竦ませた。
これは贔屓目でもなければ、教師役を押し付ける方便でもなく、結構本気で思っている。
ヘレナは下級貴族とはいえ貴族家の娘。ちゃんとした家庭教師の下で基本的な教育はきっちり受けているし、王都で侍女をしていたこともあって言葉遣いや礼儀作法も問題ない。
性格的にも、鈍臭いところはあるものの、なにごともまじめで一生懸命。人の好さそうな顔で人当たりも悪くなく、魑魅魍魎渦巻く王宮でもない限り、基本的に初対面で嫌われるようなことはないはずだ。
家族仲も良好で、心身ともに健やかに育った彼女には、私と違ってねじ曲がったところがない。子供に勉強を教えるのであれば、私よりもよっぽど適任であるだろう。
が、当人はどうにもこうにも食い下がる。
訴えるような目で私を見つめ、実際に切実な声で訴えてきた。
「だいたい、殿下のお世話はどうするんですか! 私、殿下の侍女なんですよ? ただでさえ、最近は侍女以外の仕事の方が多くなってるのに……!!」
「……それは、その通りね」
たしかに彼女の言う通り、最近のヘレナの仕事は侍女というよりも屋敷の管理に偏っていた。私の部屋の清掃にベッドメイクのみならず、屋敷全体の清掃、回廊の掃き掃除。朝晩行う燭台の火消しと火入れも彼女がするし、日用品の補充など。完全にメイドの仕事である。
特に、村人たちが来てからは忙しい。人が増えれば汚れも増えるし、日用品の減りも早い。あちこちに呼ばれて駆けて行き、なかなか私の傍に戻って来ることのできない日々が続いていた。
そのうえに、子供たちに物を教えるとなると、彼女の焦りようもわかる。
まる一日付きっきりでとは言わないまでも、最低でも二、三時間。これだけ時間を取られては、手が回らなくなるのは当然だろう。
と、なると。
「わかったわ。仕方ないわね」
私はため息をつき、もはや涙目にも近いヘレナの顔を見る。
彼女は王都からここまで付いて来てくれた数少ない人物だ。私としても、彼女に無理はさせたくない。これ以上の仕事はできないというのなら、聞き届けないわけにはいかなかった。
私の反応を見て、ヘレナも安心したようにほっと安堵の表情を浮かべ――。
「殿下――――」
「明日から、侍女の仕事はしなくていいわよ」
「殿下ぁあああああああああああ!!!??」
その表情が反転。一気に嘆きへと変わった。
「なんでそうなるんですか!? わ、私はもう不要だと……!?」
「そうは言っていないでしょ」
とはいえ、事実として侍女の仕事が一番不要なのだけど。
さすがにそれは言わずに、私はちらりと、促すように子供たちへと視線を向ける。
「あんなに期待されて、今さらやめるなんて言えないでしょう」
「それは…………」
と言いつつ、ヘレナもまた子供たちを見る。
成り行きを見守っている子供は三人。期待に満ちた瞳で、熱心に見つめるケイティと――。
「勉強やだー!」
「めんどくさいー!」
まったく期待していない、年少組二人。
揃って発せられるブーイングに、ヘレナの顔がぎゅっと強張った。
「殿下~~~~!! 反対多数じゃないですか!!!!」
ううむ、いや、まあ、そのね。
こういうこともあるよね。子供は基本勉強が嫌いなもの。わざわざ時間を取って教育を受けろと言われても、遊ぶ時間が減るとしか思えないだろう。
しかし、ここが教師の腕の見せ所。頼みますよ、ヘレナ先生! ……ということで。
「…………まあ、あなたなら大丈夫でしょう! 私の侍女をしていたくらいだし、面倒な子供の扱いにも慣れているのだから!」
「ご自分でおっしゃらないでくださいよお!!!!」
誤魔化すように笑って言えば、薄暗い回廊にヘレナの嘆きの声が響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます