10.冬の村を見て回ろう【まとめ】(1)
はははははは、と笑いつつも、聞くことは聞いたので撤退。
厨房を出て回廊に立つと、私はメモを片手に無意識にため息をついた。
回廊はほの暗く、身震いをするほどに冷たい。
窓から外を見れば、いつのまにやらすっかり夜。火の入っていない回廊の燭台を見て、ヘレナが慌てたように「火をもらってきます!」と厨房へ戻っていった。
そのヘレナの背を横目に、私は薄暗がりの中でメモを取り出した。
――問題だらけね。
暗闇で目を細めれば、真っ黒になるまで書き込まれたメモの文字が浮かぶ。
今のところは、それぞれの場所で聞いた雑多な内容をとにかく書き溜めただけ。これを整理して清書するのは、さすがに明日以降になるだろう。
しかし、ざっくりとした感覚で言えば、結論はもう出ていた。
すなわち――――。
冬を越すの、無理!!!!!
である。
いやあ、無理だわこれは。
朝の時点で薄々感じていたけれど、狩猟班の話を聞いた時点でなんとなく悟っちゃってたけど、無理だねこれ。厳冬期がどうやっても不可能だわ。
ノートリオ領の気候や天候は、アーサーや村人たちに尋ねるまでもなく、私でもおおよそ知っている。
王国最北の地であり、聖山の麓に広がる聖地。気温は通年を通して低く、豊富な水源を持つ聖山の麓であることもあって湿度はやや高め。
つまり、けっこう雪が降るのだ。なんならどっしりと積もるのだ。
草原に生きる現地住民たちも、冬の間は狩猟は控えめ。冬用の頑丈なテントの中で、保存食と家畜によって生きるのだとか。
そんな冬が約六か月。厳冬期は半分程度と考えて、それでも三か月。
分厚い積雪の中での魔物狩猟は危険度が高すぎるし、吹雪にでもなろうものなら外に出ることすらできない。
さらには、食糧優先で無理をさせてきたツケもそろそろ支払いの時期である。
村人たちには鬱憤や鬱屈が見え隠れ。『こうしなければ生きていけない』の気持ちで我慢してくれているのだろうけれど、それは逆に、その気持ちが揺らいだ時点で破裂しかねないのである。
食糧についてはなんとか方策を考えるつもりだけど、ぶっちゃけ六か月も冬が続けば、揺らぐタイミングは絶対に出てくる。
どんなに安泰に見える状況だって、よくよく見れば上下のブレはあるもの。人の感情だったり、天候だったり、単なる運だったりによる揺らぎは、どれほど対処しようとしても回避不可能。海に向かって波打つのを止めろというようなものだ。
なので揺らぎは覚悟の上で、破裂しないようにするのが領主の務め。
すなわち、不安の解消。ストレス発散。なにか気を紛らわせるようなこと。メンタルケアの部分も、今後は考えていかなくてはならないだろう。
秋から冬までは急を要する短期戦だったけれど、ここからは長期戦。
じっくりと長い冬と付き合うためには、今までとはまた別の考え方をする必要がある。
まあしかし、これは明日から取り組むことにして――。
「………………」
本日の視察、最後の仕事。
相変わらず熱心に私の手元を見るケイティに、話を聞いてみるとしよう。
「――――字が気になる?」
そう呼びかければ、夢中で字を見ていたケイティがぎくりと身を強張らせる。
顔に浮かぶのは怯えと戸惑いの色。おどおどと視線を逸らしつつも、彼女は思わずと言ったように漏らした。
「ど、どうして…………」
「見ていればわかるわよ。ずっと『字』を追っていたでしょう?」
私の雑多なメモを見て、診療所に並ぶ医術書の背表紙を見て、しかしアーサーの書く『字』と呼んでいいのかわからない記述は見なかった。
メモはその場その場で取ったもので、特別に関連性があるわけではない。医術書の背表紙なんて、失礼だけど彼女が読んだところで意味を理解できると思えない。
となると彼女の興味が向いているのは、単純に『文字』そのものだ。
読み書きを覚えたばかりの子供が、自分が読める文字を追いかけるように、彼女は熱心に文字を解読しようとしていたのだろう。
ケイティは十一歳。村に来る前は、六歳か七歳。
王族や貴族はとっくに読み書きができる年齢だけど、平民が字を習い始めるのはこのくらいの年齢だろう。彼女の生まれは知らないけれど、そこそこの規模の町なら学校がある。もう少し小さい町でも、修道士や修道女が奉仕として簡単な読み書きを教えていることもある。
平民であっても、裕福ではなくとも、生まれた地域によっては教育の機会が開けている場合があるのだ。
ケイティを見る限り、勉強嫌いなタイプには見えない。もしも過去に教育に触れていれば、もっと学びたかったと思っていてもおかしくはないだろう。
そして、そういう学習意欲は大歓迎だ。
これから長い冬。子供たちをずっと遊ばせておくのも忍びない。ここは一つ、未来の村への投資と行こうではないか。
そんな思いを込め、私はケイティに微笑みかけ――。
「教えてあげるわよ、字の読み書き。――――あそこの、ヘレナ先生が」
「……………………へっ?」
その視線を、今まさに厨房から火をもらって戻って来たばかりのヘレナへと向けた。
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