8.冬の村を見て回ろう【医療編】
まあいいや、考えるのは後にして次、次!
次は動き出したばかりの診療所兼病室。まあ、ここは昨日も見たばっかりだし、さらっと話を聞いて終わりにしておきましょう。
ということで到着。二階の回廊の突き当り。元物置部屋である。
突き当りにあったガラクタ類は、すでに邪魔にならない程度に撤去済み。いくつか行き場所のない椅子やら木箱が残っているものの、このあたりも折を見て片付けていかなければならないだろう。
しかし今は、それらを横目にさっそく中へとお邪魔します。
扉を開けて目に入るのは、昨日と同じ光景だ。
夕食後、男衆に手伝わせて整えた診療所と、衝立を隔てて作った病室。診療所には医者用の机と椅子、患者用の椅子、戸棚を仕切り代わりにして、奥に看護師用の椅子と机が置かれている。
戸棚に並ぶのは、書庫から見繕った医学書といくつかの小瓶だ。
この小瓶は、家探しをして見つけたわずかな薬である。
薬である。やっぱり前領主、隠し持っていたのである。
とはいえ、ラベルを見るに単なる頭痛薬と胃腸薬。秋に村を襲った病気の特効薬なんてものは、さすがに都合よく用意していなかったらしい。
これらはたぶん、前領主の私物なのだろう。あまり興味がなくて調べていなかった領主の部屋の戸棚の奥から見つかったものだった。
衝立の奥の病室は、木箱とクッション、シーツで作った簡易ベッドが三つほど並ぶ。
ただし、今は特に病人もないためベッドは空。ベッドサイドの燭台も、節約のために消しているので薄暗かった。
加えて目につくのは、診療所と病室をまたぐ大きな窓。の手前に置かれた薪ストーブだ。
大きな煙突の付いた鉄製の薪ストーブで、煙突の先はわずかに開いた窓の外。ストーブの中では薪が赤く燃えていて、煙突からは寒空に向けてもうもうと煙が吐き出される。
このストーブ、割と近年に発明されたレアもので高級品だ。大きな暖炉のある貴族屋敷にはあまり向かないのだけれど、物珍しさゆえにステイタスとして所持する貴族は少なくない。ここの前領主も例にもれず、見せびらかすために持っていたらしい。
これをまた別の倉庫から引っ張ってきて、暖炉のない診療所に置いたのだ。
病人を相手にするのに暖房がないのは致命的。排気のために窓を開けっぱなしにしなければいけないのは難点だけど、それでも薪ストーブを使わないよりはマシ。室内は、外に比べるとぐっと暖かさを感じられた。
その暖かい部屋の中に、見えるのは二人の人影。
一人は手前にある医者用の机に向かい、なにやら書き物をしている仮医者アーサー。
もう一人は、仕切りとした戸棚の奥で、やはりなにかしらの作業をしているらしい看護師エリンだ。
集中しているらしい二人は、入ってきた私たちには気づいていない。まずは一声かけようと、私は口を開きかけ――。
「――――ママ!!!!!!」
それよりも早く、護衛の肩の上から甘ったれた声が響いた。
はいはいはいはいママママママママ。
もう邪魔にならないならそれでいいや。トビーのことは置いておいて、とりあえずこのまま話を聞いてみよう。
さて、現状で困ったことはありやなしや?
「――――今はまだ、なにが足りないのかもわからない状態ですね……」
と答えたのは、べったりとくっつくトビーを撫でる看護師エリンだ。
看護師、と言っても配属は昨日から。実働は今日から。現在は着せる制服もなく、代わりと言ってはなんだけど、未使用だったメイド用の制服を着てもらっている。労働用の服という意味では、まあ似たようなものとは言える……だろうか?
そのメイド服に身を包み、彼女はトビーの頭を撫でながら息を吐く。
「今のところは病気の方もいらっしゃらず、診療所に来る方もいません。こうなると、逆にどこをどうすればいいのか……先生はどうでしょう?」
先生、と言って視線を向けたのは、医者用の机に向かうアーサーだ。
結局この男、医者の役目からは逃げられなかった。相も変わらず専門外の仕事を押し付けられ、彼としては不本意だろう――と思いきや、意外にも表情は明るい。
というより、むしろ生き生きしているくらいだ。エリンに視線を向けられて、書き物から顔を上げたアーサーがにこやかに言う。
「いやあ、なにもないのは良いことですよ。こうしてゆっくり考え事もできますしね」
などと笑うアーサーの手元にあるのは、医術書ではなく瘴気に関する資料である。
書き物内容も覗き見てみるけれど、人に読ませる気が皆無な恐ろしく読みにくい字をどうにか読み解くに、彼の普段の研究に関することらしい。
医術書には手を出している形跡もなく、本棚にきちっと収められたままだった。
これはしかし、致し方のない取引なのだ。
現在、村人たちは自室を持たず、屋敷内の客室にすし詰め状態。一部屋当たりおよそ五人が詰め込まれた環境では、プライベートなど存在しない。
当然、じっくりと考え事などできるはずがない。ましてや、机に資料を広げて研究なんてとんでもない。この冬いっぱい、アーサーは身を縮ませて他人との共同生活を送らなければならないはずだったのだ。
そんな彼への提案が、この仮医者の役目である。
あくまでも彼は仮の医者。常日頃から医療の発展に勤しむことは求めない。ただ、急を要するときにだけ、医者の代理をしてほしいのだ。
つまり逆に言えば、急を要さなければなにをしてもいい。
医者をやらなくてもいい。医術書を読めとも命じない。この立派な医者用の机を、どのように使っても文句は言わない。
暇なときは、好きに自分の研究をしてくれて構わない――と持ちかけた結果が、この笑顔なのである。
「病室は空なのがなによりです。一人も病人を出さないように、予防を頑張らなければなりませんね!」
こいつ……! つい昨日まで『病気にかかってみたい』とか言っていたくせに……!!
と満面の笑みに文句の一つも言いたくなるけれど、ここはぐっと我慢の子。やる気に水を差すほど罪深いことはないのである。
それに、こうなると本気で予防に関しては頑張ってくれそうでもあるしね。
自らの平穏を守るために、さぞや必死になってくれることでしょう。
なんにせよ、医療班の方はやっぱり現状維持のまま。
のちのち問題は出てきそうだけど、今は引き続き予防の方面でがんばってもらうとしよう。
……と、思いつつちらり。アーサーたちと話をしながらも、そっと視線を向ける先はケイティだ。
現在、私はメモを開いていない。さて、彼女の視線の先は――。
――――…………ふむ。
読ませる気ゼロのアーサーのメモではなく、棚にきちっと並んだ医術書たち。
その背表紙のタイトルを、熱心な目でじっと見つめていた。
…………なるほど?
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