23.取引をしてみよう(2)

 粉は等倍、チーズは半分、魔物肉は二倍。

 塩は岩塩一塊、油は獣脂で小鍋に一杯、スパイスは小さな袋にちょっとだけ。


 交換内容は女衆で決めてよい、とは言ったものの、彼女たちに決めさせるのは自分が仕事をした分だけ。つまりはマーサが三着分、他の三人が二着分ずつだ。

 ただし、この中でならどれを交換しても文句は言わない。交換したものを、どんな使い方をしても文句を言わない。

 主食である粉でも良い。ちょっと贅沢にチーズでも良い。塩やスパイスで、久々に味付けを楽しんでみても良い。たまには揚げ物なんかも良いだろう。

 交換したものを、さらに誰かと交換するのも良い。保存の効く粉を交換して、こっそり溜め込んでも今日ばっかりは見ない振りだ。


 だけど意外にも、マーサは迷わなかった。


「あたしは肉にするよ。あたしの繕った分、全部」


 こわごわとやって来た野営地の焚火の前。スレンの通訳を介したドルジェからざっくり交換レートの説明を受けたマーサは、真っ先にそう言った。

 焚火の前には他にもいろいろな品が並んでいるのに、彼女は目も向けない。考えるそぶりも見せない。あまりのためらいのなさに、文句は言わないと言いつつも、さすがにちょっと口を挟んでしまう。


「…………なんで?」


 いやまあ、別に構いはしないのだけど。交換自体は好きにすればいいのだけど。

 こう言ってしまってはなんだけど、肉は村でも確保できる数少ない食糧だ。レア度で言えば最低値。一番食べ慣れている存在である。

 どうせ自分で選べるのなら、もっとレア食材が欲しいと思わないのだろうか。久しぶりに、チーズでも食べてみたいとか思わないものなのかな?


 という私の疑問を、マーサはあっさりと一蹴する。


「だって、一番量が多いじゃないか」


 うーん、シンプル。たしかにその通りではある。

 でもこの肉、毒抜きの処理もあるし、長期保存もできないよ?


「いいんだよ、そんなのは。手間がかかってもいい。保存できなくてもいい。――それでも、たまには子供たちにお腹いっぱい食べさせてやりたいじゃないか」

「…………」

「あたしたちはいろんな食べ物を知っているけど、あの子たちは満腹になることすらろくに知らないんだ。……これ一度きりかもしれないけど、一度くらいはさ。腹を満たして、もう食べられないって言わせたいんだよ」


 ………………む。

 むぐぐぐ……そ、そんなこと言われると、なにも言えなくなってしまう…………。


 い、いや、わかってはいたつもりなんだけどね。

 私が来る前から、村はだいぶ悲惨な状況だった。前領主の時代に悲劇があり、冬を越せない人が大勢出た。村にはまだ、それらの人々が埋葬すらされずに残されているくらいだ。


 マーサもまた、自分の夫と子供を亡くしている。

 直接の死因はわからないけれど、きっと飢えに苦しんだのも事実だろう。空腹を抱えながら息を引き取っていったのだろう。

 それを、彼女は見送ったのだろう。おそらくは、満足に食べさせてやれなかったことを後悔しながら。


「……………………」


 むぐ、と口をつぐむ私をよそに、他の女衆も顏を見合わせて頷き合う。

 あれこれ目移りしていた彼女たちの心も、マーサの言葉で決まったらしい。彼女たちは無言の私を見下ろすと、口々にこう言った。


「わたしも、肉にするよ!」

「わ、わたしも! 魔物の肉なんて気持ち悪いけどさ……」

「それでも、いっぱい食べさせてあげられるなら……わたしも、それにします!」


「………………………………む、ぐ」


 切実ささえある彼女たちの選択に、私は思わず口の中で呻く。

 どうして呻くかといえば、頭の中ですでに計算が始まってしまったからだ。


 村人の数は三十九人。加えて、後から来た私たちが七人。合計で四十六人。

 彼女たちの終えた繕い物は九枚。つまり、肉と交換して十八人前の食糧だ。


 村での食糧収集量は、日によってかなりの増減があるけれど、平均するとだいたい二十人分に足りないくらい。これをいつもは水で伸ばし、うっすいスープにして全員分の食事にしているのである。


 でも、今回は満腹が条件だ。となると普通に一人前として計算する必要がある。

 つまり、村の自給分と今回の報酬は、合わせて三十六、七人前くらい。四十六人分の食事には、微妙にちょっと足りていない。


 足りていないのである。


 ――――ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬ…………。


 ぬ、と最後の呻き声を吐き出してから、私は肩を落とした。

 はあーと長いため息が出る。


「…………仕方ないわね」


 いやもう、本当に仕方がない。どうしようもない。

 残りを村から捻出する余裕もない。ならば調達できる場所は、一つしかないのである。


 ちらりと横目で見るのは、私たちの決断を待つスレンとドルジェだ。

 いったい何の話をしているのか、こちらを見ながら言葉を交わしている彼らへ、私は会話が途切れるのを待って呼びかける。


「いいかしら。こっちは決まったわ」


 と言いつつ、指で示すのは魔物肉だ。

 左右には粉とチーズがあるけれど、あーあーあー、仕方ない。

 あーあ。


「繕い物の九着分、全部魔物肉で交換してもらえる? 刺繍の分も、半分はお肉で。残りの半分は塩でお願い」


 あーあと思いつつ注文を口にすれば、横でマーサが驚いた顔をした。

 スレンが注文内容をドルジェに伝えている間、彼女はいつもの威勢の良さも忘れ、目を見開いて私に問う。


「…………い、いいのかい?」


 そんなもの、答えは決まっている。


「いいわけないでしょ」

「よくないのかい!?」


 そりゃあそう。いいわけない。

 ようやく手にした貴重な食糧。あれやこれやとやりたいことも考えたいこともある。だいたい肉だけなんて栄養価の面では最悪だ。せめて主食の粉は早めに確保しておきたかったし、少量でも乳製品を得ていざというときの栄養源にもしたかった。

 塩やスパイスの配分も、頭の片隅でちょいちょい練ってはいたけれど。


「でも満足に食べさせたいって言うのに、中途半端にするのも微妙じゃない」


 我ながらこれでもかというほど苦い顔で、私は首を横に振ってみせる。

 中途半端に満たされた状態では、かえって物足りなさも強くなる。なんとなく据わりが悪くて、満足感も低くなる。回復するならやっぱり全回復したいもの。充電は百パーセントじゃないと落ち着かないものだ。


 だいたい、ここで私だけ別のものを注文するのも心証が悪い。

 子供のためにと言っておいて、こっちは粉やら頼んで溜めこむ真似をしようもなら、村人たちから白い目で見られてしまうだろう。


 なので、良くはないけど仕方ない。

 もとをただせば、好きにしていいと言ってしまったのは私なのだ。


「どうせやるなら、思いっきりやった方があと腐れがないわ。今日は盛大にやりましょう」


 ま、私の領主就任祝いってことで。

 観念して肩を竦めれば、マーサたち女衆と、なぜだか横で見ていたスレンたちまでもが呆気にとられたように瞬いた。

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