23.取引をしてみよう(1)
スレンとやいやい言いながらも、ドルジェに白い目を向けられながらも、テントで作業すること数時間。
そろそろ集落を出なければ暗くなる前までに村に戻れない――というタイムリミットが来たころには、なんだかんだと私の仕事はきっちり終わっていた。
「――――たしかに。これなら問題ない」
私の直した刺繍をたっぷり時間をかけて改めてから、ドルジェは「ふん」と短く息を吐いた。
厳めしい顔の眉間には、複雑そうなしわが寄る。粗がないのが不服なのか、それとも出来の良さに感心したのか。彼は刺繍を一撫ですると、気難しげに首を横に振った。
「長も酔狂で取引を提案したわけではなかったらしい。いいだろう。これは通常の刺繍の倍で引き取ってやる」
しかし、口にする言葉はべた褒めである。不機嫌な顔とは裏腹に、通訳のスレンが告げるのは大絶賛。ただでさえ割のいい刺繍を、さらに倍で引き取ってくれるというから、私の笑みも止まらない。それはもうニッコニコである。
ただし、さすがに数時間で終わらせられたのは、スレンの帯の一枚きりだ。いくら修繕のみとはいえ、さすがに慣れない服に針を刺すのは時間がかかる。全速力で仕事をしなければ時間に間に合わず、誠に残念ながらひよこの刺繍を入れる余裕もなかった。
ちなみに、同じく刺繍を任せていたヘレナの成果も一枚きりだ。
テントの外で作業をしていたマーサたちも、全員合わせて提出できたのは十着ちょっと。さらにドルジェたちの厳密なチェックが入り、結局合格が出たのは九着だった。
内訳は、女衆四人のうちマーサが三着、残り三人が二着ずつ。マーサは真っ先に仕事にとりかかった分だけ多く、他の女衆は少々時間が足りなかった。タイムリミット間近で雑な仕事になってしまったようで、はじかれてしまったというわけである。
これは一応、明日以降に再修正さえすれば、その分の報酬を出してくれるという。むしろ放置されると困るので、きちんと続きをやるようにと言い含められてしまった。
とにもかくにも、本日の成果は繕い物九着。刺繍が二枚。うち一枚が倍額の引き取りだ。
もう少し仕事を進められるかと思ったけど、思ったよりも下振れしたのは仕方がない。特に女衆の方は、慣れない環境に慣れない仕立て、そのうえ泣くほど恐ろしい先住民に囲まれての作業である。針を持つ手も上手くは動かなかっただろう。
まあ、もとより最初から最高効率なんて無理な話。上振れを期待してチャートを汲むのは記録狙いのRTAだけ。失敗できない状況では、むしろ最悪の事態の方を想定するものだ。
そう考えると、少しでも成果があるのは素晴らしい。これは女衆を説得してくれたマーサと、マーサに説得されてくれた女衆のおかげ。最初はどうなることかと思ったけれど、これはねぎらってあげるべきだろう。
ということで、ねぎらってみた。
「――――あたしらが決めていいのかい?」
ドルジェの成果物チェックも終わり、テントを辞してやってきたのは馬車の前。
先住民たちが野営地の中心に交換の品々を準備している間に、私は未だに馬車の中に閉じこもる女衆に声をかけていた。
「今回だけだけどね。あと、自分が終わらせた仕事の分だけね」
野営地から少し外れた馬車の中で、女たちが顔を見合わせる。
彼女たちは、ここまで結局ずっと馬車の中だ。布が足りなくて取りに行くときはアーサーに任せ、成果物も彼がテントまで届けに来た。
おかげでドルジェの放つ空気は氷点下。その空気をまともに浴びるのは、私と布運び役のとばっちりアーサーだ。気の毒すぎる。
だけどまあ、今はそれは置いておいて。
「どの食べ物と交換するのか、本当にあたしらで選んでいいのかい? だ、だって領主はあんただし、この話を持ってきたのもあんたなのに……」
私の提案に、マーサが信じられないような顔をする。
いやまあ、たしかに領主は私だけど。今の村の現状からして、交換物資は村全体の利となるように、あまり個人的な感情で選ばせたくはないけれど。
実のところ、なにを交換しようかは作業しながら私もずっと考えていたのだ。
優先としては、成果物と等倍で交換できて、長期保存のきく夏芋の粉。最低限の味付けにする塩。このあたりだろうと目星をつけていた。
ただ、まあ、今日の成果物くらいだと、交換しても大した足しにはならなさそうだ。
それなら今日は、まずは物は試しにいろいろと選んでみるのもいいだろう。村の女衆なら、交換した食材でいろいろ料理も試すだろう。使用感を見て、今後の食材選択を考え直すのもありではないかと思ったのだ。
さらに言うなら、食材を選ぶには馬車から出て、野営地に並べられた品物を見る必要もある。
なにと交換できるかは言っていないし、マーサもそのあたりの話を聞く前に馬車にこもってしまった。
ので、自分で選ぶからには自分で見る。野営地の中心まで来て、先住民たちと顔を合わせ、どれにするのかを自分で言うのが最低条件。これをクリアして、はじめてほしいものが手に入るのである。
要するに、いい加減外に出て先住民に慣れてくれ、という話。
別に彼らは私たちを取って食うつもりもなければ、邪悪なことを考えているわけでもない。求められているのは針仕事だけであり、これは単なる労働とその報酬のやり取りに過ぎないのだ。
ま、自分で成果と報酬の交換をしたら、少しはモチベーションも上がるでしょう。
明日以降も仕事をしてほしいわけで、ちょっとは前向きになって欲しいというのが本音だった。
ので、私は迷わずマーサの言葉に頷いてみせる。
「よくはないけど、たまにはいいわよ。自分で選ぶ気があるならついてきなさい。じゃなかったら、時間もないし私が適当に決めるわよ」
まだ日は高いとはいえ、野営地から村までは二時間弱。あんまりもたもたしていると、せっかく食材を得ても夕飯に間に合わなくなってしまう。
それでもまごつく馬車の女衆に、仕方がないと背を向けようとしたとき――。
「ま、待っておくれ! ――あたしはついていくよ!」
マーサが慌てたように馬車から飛び出し、他の女衆も恐る恐ると言いたげに、そっとその後ろをついてきた。
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