23.取引の内容を確認しよう(6)

 ほーん、はーん、ふーん。へーん。


 ひよこね。ひよこちゃん。ひよっこか~~~~~~~~~~。


 なるほどね。だからね。どうりで族長たちが気に掛けるわけね。昨日も一人だけ狩りに行けず留守番していたわけなのね。

 要するに彼はまだ半人前。ざっと見た限り、集落でも一番の若造だ。図体ばかりは大きいけれど、その実態は未熟でピヨピヨなひよこちゃん。ひよっこの面倒を見てやってくれというのが、族長からドルジェへのお達しなのだ。


「…………なんだよ」


 べっつにー。

 

「なんだよ、悪いかよ!」


 悪いなどとは一言も言っていない。

 というか今のところ、言葉すらも発していない。


 なのにスレンの顔は、怒りにみるみる赤くなっていく。

 いや、怒りではなく羞恥だろうか。彼は耐えられないと言いたげに、私に向けて大きく首を横に振った。


「もういい、お前、絶対にこの仕事受けるなよ! お前の刺繍なんて冗談じゃない!!」

「まさか! 報酬を弾むって言われて受けない理由がないわ!」


 そんなスレンに、私は迷うことなく首を横に振った。

 こんな面白い――ではなく、割の良い仕事を受けないでどうする。楽しく働けて支払いもいいなんて、働く誰もが渇望してやまないもの。それを無下にするなど全労働者に失礼である。

 まあ、まだどれくらい弾んでくれるかは聞いていないのだけど、それはそれ。引き受けてしまえばこっちのものよ。直しついでにこっそりひよこの刺繍を追加しても、引き受けてしまえばバレやしない。


「やめろバカ!」


 バレた。

 いやでも、まだ私はなにも言っていない。

 なのにどうして私の考えが読まれている?


「顔に出てんだよ、バカ!!」


 おおっと。


 スレンの指摘に、私は慌てて表情を引き締める。

 いやあ、表情に出しているつもりはなかったのだけど、うっかりうっかり。私は緩んだ頬に力を込めると、澄ました顔で彼へと肩をすくめて見せた。


「七歳児相手にムキにならないでよ。そんなことだから、いつまでもひよっこなのよ」

「ひよっこって言うな! お前の方が年下だろーが!!」


 七歳なんだから当たり前じゃい。がっははは!!




 〇




 あはは、と声を上げて笑うアレクシスを、ヘレナはどこか不思議な気持ちで見つめていた。

 からかうようなアレクシスに、羞恥に真っ赤になって怒る先住民の青年。なんとも奇妙な取り合わせである。なんとも、奇妙な光景である。


「…………殿下のあんな楽しそうなご様子、はじめて見ました」

「そうですか?」


 誰に向けたわけでもない呟きに、答えたのは布を抱えたアーサーだ。

 彼はヘレナを一瞥すると、笑うアレクシスへと視線を向け、ピンとこない様子で肩を竦めた。


「殿下はいつもあんな感じではないですか? こんな状況なのに、いつもどこか楽しんでいるようで……」

「それは……そうなのですが……」


 たしかに、アーサーの言う通り。

 アレクシスはいつでも、どんな状況でも面白がる節がある。苦境を前世で遊んだという『ゲーム』になぞらえ、逆境も悪意も、命の危機でさえも笑い飛ばす。

 異母とは言え血のつながった兄弟にこんな辺境に飛ばされて、村人たちからは拒絶され、恐ろしい野蛮人たちに囲まれて、ヘレナにはどうして笑っていられるのかがわからないくらいだ。


 それは、やはりアレクシスが普通ではないからなのだろう。

 彼女の生まれも、育ちも、持ち合わせた天賦の才も、平凡な下級貴族のヘレナには及びもつかない。彼女を不気味な子供だと恐れる周囲の人々の方が、よほどヘレナに近しい感性の持ち主だ。

 変わり者と自認する彼女の本心を、ヘレナは知らない。まだ幼い子供なのにと思うヘレナの方が、アレクシスにとっては侮辱なのかもしれない。


 ただ――。


 ただ、なんだろう。なんと言葉にすればいいのだろう。

 スレンはアレクシスを子供扱いしない。だけど大人扱いをしているわけでもない。

 奇妙な子供だと恐れない。しょせん子供と見くびりもしない。誰もが特別扱いせざるを得ないアレクシスに、特別でもなく言い返す。


 ……それはやっぱり、特別なことなのだ。

 大人にも子供にも交われないアレクシスにとっては、きっと。


 アレクシスの飾らない笑い声を聞いたのは、長年傍にいたヘレナでさえも初めてのことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る