23.取引の内容を確認しよう(3)
しかしやってしまったからと言って、取引の話をしないわけにもいかないわけで。
こほん、と一つ咳ばらいをすると、私は目の前の大男――ドルジェへと顏を向けた。
「まずは非礼を詫びさせてもらうわ。私の村の者たちが失礼を働いて、ごめんなさい」
などと言いつつ、テントの外では今もすすり泣きが響いている。
アーサーは女衆を宥めさせるためテントの外に残しているので、通訳はスレン頼り。彼がきっと上手く訳してくれるだろうと信じつつ、私はどうにかドルジェの怒りを鎮めようと言葉を継ぐ。
「彼女たちにも悪気はないの。村の外に出ることが滅多にないせいで、神経質になっていたみたい。少しすれば落ち着くから気にしないで」
「…………」
「それに、仕事の面ではちゃんと優秀よ。もらった仕事を投げ出すこともしないし、丁寧にこなしてくれるわ。安心してちょうだい」
「……………………」
「とりあえず、まずは仕事をさせてみてくれないかしら。その出来栄えを見てもらえれば、きっと気持ちも変わるはずよ」
「…………………………………………」
怒り、鎮めてくれなさそう。
あれやこれやと言ってみるけれど、ドルジェの顔は険しくなる一方だ。胡坐をかいて腕を組む、厳めしい顔の直方体。微動だにもしないし、言葉一つも発しないし、なんだか岩にでも話しかけている気分になる。
そのくせ、こちらへの敵意はひしひし感じるのだからたまらない。テントの中の居心地は最悪の一言で、私の後ろに座るヘレナをちらりと見れば、青ざめるを通り越して顔面が真っ白になっていた。
いやあ……これはちょっと厳しい。嫌われるのが全然平気な私でさえ、若干心がくじけそうになる。
しかしこのまま黙って帰るわけにもいかないわけで。だけど取り付く島さえないわけで。
うーん、手詰まり。どうしたものかと、眉間にしわを寄せたときだった。
「…………長の命でなければ、お前たちなど追い返していた」
ドルジェは短い息を吐くと、族長によく似た寡黙そうな声で呟いた。
スレンがそれを通訳して、私に向かって肩を竦める。
「長に感謝するんだな――だとさ。今、任せる仕事を持ってこさせるそうだ」
まったくもって、長には感謝の言葉もない。
おかげさまで、首の皮一枚で繋がったらしい。
とにもかくにも、首の皮一枚で待つこと少し。
ドルジェに命じられた先住民がテントに持ってきたのは、いくつかの布の束だった。
束を置いて出ていく先住民をよそに、さっそく確認をしてみれば、どうやら布は布でも三つの種類にわけられるらしい。
一つはボロボロの衣服。もう一つは、かなり傷んではいるものの、直せばまた着られそうな服。それから最後に、生地からして上等な、見事な刺繍を施された布地。
「直してほしいのはこちらの服だ。ボロの方は、必要があれば継ぎあてなんかに使ってくれ」
ドルジェが布の束を顎で示しながら説明し、例によってスレンが通訳する。
最初に示したのは、直せば着られそうな服だ。次にボロボロの衣服で、最後が刺繍入りの上等な布地である。
「この布は、帯や飾りに使う特に貴重なやつだ。元の刺繍をそのまま戻してもらいたい。刺繍にはそれぞれ意味があり、形を変えるのは厳禁。失敗したら責任を取ってもらう」
なるほどなるほど。一つ手に取ってみれば、なめらかな手触りの生地にひときわ見事な刺繍がある。
刺繍自体は彼らの普段の衣服にもあるけれど、こちらはさらに特別なのだろう。仕事として提示したのは、貴重ゆえに修繕の優先度も高いからかな? 普段の衣服の刺繍は崩れても仕方ないけど、特別な衣装の刺繍が崩れていたら台無しだしね。
だからこそ、直した後の出来栄えも厳密に見られるのだろう。失敗できないとなると、下手に手出しをするのも恐ろしい。
ついさっき『仕事の面では優秀』とか言ったのはさておいて、女衆の実力がわからない今の段階では、刺繍を引き受けるのは私かヘレナに限定したほうが良さそうだ。
で、ドルジェは再び直せば着れそうな服を示して口を開く。
「ここに用意したのは、特に修繕の優先度の高い冬物の衣服だ。だが、修繕が必要なもの自体は他にも山ほどある。仕事が不足するようなら言ってくれ。出来栄えは、その日の終わりにこちらがまとめて確認する。問題がなければ、見合った対価を支払おう」
対価、の言葉に、私は反射的に顔を上げた。
現金だなどと言ってはいけない。仕事をするからには一番気にするべき部分だ。
ドルジェに視線を向ければ、彼もわかっていると言いたげに頷いた。
「野営地にあるものの管理は任されている。報酬を惜しむような狡い真似はしない。直した枚数に応じて、好きなものを選ばせてやろう。塩でも、夏芋の粉でも、魔物の肉でも。お前たちの働き次第では、村人全員の腹を満たすだけの十分な食糧を得ることができるだろう」
ただし、その声音は決して甘くはない。
義務的で淡々としたドルジェの声は、この瞬間だけほんのわずかに冷たくなる。
まるで、未だ止まないすすり泣きを、蔑むかのように。
「ただし、お前たちに本当にやる気があるのなら、な」
突き放すようにドルジェがそう言った瞬間だ。
「――――やるよ」
スレンの訳を聞くよりも早く、割って入った声がある。
いったい誰がと振り返れば、テントの入り口に思いがけない人影があった。
慌てた護衛に引き留められるのも聞かず、断りの一言も入れずにずんずんとテントに入ってくるのは、村の女衆の一人。
恐怖に顔をひきつらせながら、それでも意地のように強気な表情で――。
「今の言葉、嘘じゃないね。仕事をよこしな! 村全員の腹を満たせるって言うんなら、あたしはやるよ!!」
ドルジェの蔑みを否定するように、マーサが叫ぶようにそう宣言した。
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