21.【アンロック】交易(1)

 極貧のわが村は、当然のように塩についても貧困の極みにある。

 あるのは入植当時に持ってきた塩の残りだけ。せいぜい、ほんの一握り。これを毎日の食事の中で、少しずつ少しずつ使っているのが現状だ。

 こんな状況なので、当たり前に油もない。スパイスもない。夏芋の粉などという炭水化物はもってのほかだ。


 そもそもそんなものがあったら、先住民たちにあんな脅しをかけていない。こちとら生き残るために必死なのだ。


 しかも、そうまでして聞き出した魔物肉さえ貧乏村にとっては贅沢品。貧乏人は草でも食ってろ。いやその草さえも瘴気で食べられないから困っているんですけども。


 という状況での、族長からのお言葉である。


「………………取引?」


 私は族長を見上げながら、聞いたばかりの言葉を繰り返す。

 取引、と言われてもピンとはこない。なにせこちらは極貧村。差し出せるものなどなにも持っていないのだ。


 ……いやまあ実のところ、たいそう言いにくい話、ちょっぴり品のない話、あるっちゃある。

 男だけの集落と聞いて、まあまあまあまあ考えついてしまったものがあるにはある。

 だけど私はいたいけな七歳児。そんな大人のことなどなーんにも知りません。


 なのでなーんにも知らない顔をして、いやまさかこの族長がそんな下世話な取引なんて提案しないだろうと内心ひやひやしつつも表には出さず、とにかく子供らしく小首を傾げて問い返した。


「私たちとなにを取引するつもり?」

「こちらに女手がないのはお前も知っているだろう」


 いいいいいやややややままままさささかかか。

 女手を求めているなんてそんなまさかまさか。


「今は事情があって、他の集落にも頼れない。男手だけでもできるだけのことはしているが、どうしても手の回らない部分はある」


 手が回らないとかそんなまさか。男手でもできるだけのことはしているなんて――。


 ……なんて?


 動揺していた思考が止まる。うん? と内心で首をひねった私に、気付いているのかいないのか。

 族長は低い言葉を口にしながら、頭に巻いていた布を取った。


 それを、彼は示すように広げて見せる。

 揺れる焚火の傍。火に照らし出されるのは、私が針を入れて繕い直した刺繍たちだ。


 その刺繍を一瞥し、男が私に族長の言葉を通訳する。


「お前の刺繍は見事だった。――集落で、他の者たちにもその腕をふるってやってくれないか?」


 はい誤解です。下世話なのは私でした。


 内心で族長にごめんなさいをしつつ、私は示された刺繍をのぞき込む。

 自分の入れた針だけど、改めて見ても良い出来だ。我ながら、後から手を入れたなんて思えない。初めからこうだったのではないかと思うくらいの見事な仕事である。


 ううむ、これはたしかに金をとれる。

 そしてたしかに、慣れない人間には少々難しい仕事かもしれない。


 男手でもできることをしている、と言う通り、たぶん彼らも簡単な縫い留めくらいはしているのだろう。

 だけど刺繍に必要なのは時間と技術、あとセンス。これは一朝一夕では身につかない。教わる相手もいない彼らの集落では、直そうと思っても手が出せなかっただろう。


 ただ、私がその作業をするのはちょっとばかし難しかった。

 集落で、ということは私が出向かないといけないわけで、そうなると村を離れる必要が出てしまうからだ。


 村から集落までは遠い。早朝に出ても到着は昼過ぎ。そこから作業と考えると、どう考えても日帰りは不可能だ。

 そのうえ刺繍は時間がかかる。どのくらいの量を任せるつもりかは知らないけれど、下手をしたら数日間は彼らの集落に滞在しなければならなくなってしまうだろう。

 冬までの時間のない今の状況。さすがにもう、これ以上は村を離れたくはないのが本音だった。


 そんな私の反応も予想していたのだろう。

 族長はさらに言葉を重ね、それを男が通訳する。


「お前自身は無理でも、そちらの女や、お前たちの村の別の女でも構わない。刺繍の他にも、繕い物を頼みたいものがいくつかある。お前たちの仕事の内容に応じて、こちらも差し出せるもので対価を払おう。塩でも香草でも油でも、夏芋の粉でも」

「………………」


 ふむ。

 ふーむ………………。


 魅力的な話だ。実に、魅力的な話ではある。

 塩は食事に欠かせない。しかし今の激貧村では欠かしまくっている生活必需品。

 塩がなければ味気なく、塩漬け肉だって作れない。保存食にも欠かせない塩は正直言って喉から手が出るほど欲しい。


 香草も油も、塩ほどではないけれどあると嬉しい。

 いつもいつも薄く煮ただけの同じ食事では、活力だって出てこない。香りづけして変化を楽しみたいし、たまには揚げ物だって食べたいのだ。


 そして夏芋の粉。夏芋とやらがなにかは知らないけれど、とにもかくにも芋の粉。

 これは、村に不足している主食を補う救世の一手だ。今のままでは、いずれ種付け用の小麦も種芋も全滅し、来年からの収穫がゼロになる。その前に主食足り得る粉物を手に入れられれば、食糧事情の大幅な改善になるだろう。


 だけどなにより、一番大きいのは、村の女手を食糧生産に回せることだ。

 女手は女手でいろいろとやってもらってはいたものの、やっぱり食糧面ではあまり役立っているとは言い難かった。

 彼女たちを食糧獲得用の人員に回せるのなら、これは村にとっての大いなる一歩。はっきり言って、めっちゃめちゃにありがたい。


 繕い物でいいのであれば、彼女たちの能力に不足もないだろう。

 村は基本、自給自足。服は買うものではなく、布地から自分で仕立てるもの。人によって得手不得手はあるだろうけれど、できないということはないはずだ。

 中には、刺繍の得意な村人もいるかもしれない。彼女を先住民の集落に派遣すれば、彼らとの取引によってさまざまな食糧になるのである。


 うーん、素晴らしい!

 素晴らしいけど、だめだこれは!!


「……悪いけど、受けられないわ」


 下世話下世話と言うけれど、下世話な思考も馬鹿にはできない。

 ここを考慮できないと村から大反発が起きてしまう。


 だから私は領主として、こう答えるしかないのである。


「村の女性を外泊させるわけにはいかないの。……いいお話だとは思うけど、ごめんなさいね」

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