18.魔物解体チュートリアル(1)

「そんな血なまぐさいもの、子供が見るものではありません!」


 というヘレナの反対を押し切り、これは学ばせねばと怯える村の男衆を無理やり引き連れ、やってきたるは解体現場。

 首を切られた獲物を広げ、あれやこれやと刃物を準備している先住民たちの前まで来れば、彼らに交じっていた通訳の男が「お」と気が付いたように顔を上げた。


「いいところにきたな。ちょうど腹をひらくところだ」

「へえ、へえ!」


 興味津々! 前のめり!

 私の後ろで、追いかけてきたヘレナが顔を覆っているのは気にしない。そのさらに後ろで男衆が顔を覆っているのはいささか気にしつつも、とにもかくにも解説を聞く方が優先だ。


「今回は獲物に成体が混ざっている。慣れない人間がいたせいで、群れを刺激してしまったんだと。こっちの二頭は幼体で、あっちは成体。あっちの成体は、魔法を発動させた後に仕留めた」


 おっ、嫌味か?

 と、背後で顔を覆う慣れない人間たちをチラ見しつつ、私は横たわる三つの鹿型魔物を見比べる。

 こっちが幼体、あっちが成体。言われて改めて違いを探してみるけれど、正直なところ私には違いらしい違いが見つけられなかった。


 どちらも、通常の鹿より一回りほど大きい。体つきはがっしりとしていて、牡鹿おじかの角は太くて立派だ。牡のみならず牝もどことなく精悍な顔立ちをしているのは、もしかしたら魔物としての特徴なのかもしれない。

 そして、幼体は牡と牝が一体ずつ。成体は牝一体。両者を比較してみて、強いて言うなら――本当に強いて言うなら、幼体と言われた鹿の方が爪がきれいで、毛並みが少しやわらかそう……だろうか?

 これが本当に幼体と成体の差だったとして、こんなの狩りの中で見極めろと言うのは無理がある。


 むむ、と唸る私をよそに、男はさらに解説を続ける。


「仕留めたあとはすぐに血抜きをする。魔法発動前なら気にしなくてもいいが、発動後は気を付けろ。血と同時に瘴気があふれて、下手をすれば意識を持って行かれる」

「そうなんだ?」


 その解説に、私は顔を上げて男を見る。


 瘴気というと、王都暮らしの私にはあまり馴染みがない。瘴気がはびこるというこのノートリオ領に来てからも、正直なところまだあまりピンと来てはいなかった。


 それでも、知識としては知っている。

 瘴気とは、吸っても触れても体に悪いと言われる毒だ。

 体内に取り込めば、軽度で腹痛下痢嘔吐に食欲不振。重度で吐血に下血、衰弱して食事も摂れなくなり死に至る。

 触れればかぶれに湿疹、かゆみを伴う皮膚炎。悪くするとやけどのような痛みとともにただれてしまうという。


 ただし、濃度によってはほとんど体に影響がない。

 冬に向けて瘴気が濃さを増しているというノートリオ領においても、今はまだ私の体に不調が出る兆しはなかった。


 さらに言えば、瘴気の不調は原因さえ取り除けば回復が見込める。よほどの重瘴気障害になってしまっては話は変わるものの、基本は後を引かないのも特徴だ。

 それに加えて、瘴気の耐久度には個人差も大きい。

 瘴気にめっぽう弱い人もいれば、常人なら倒れる瘴気を浴びても全然平気な人もいるのだとか。


 しかし、ここまでわかっていながら瘴気の正体は未だつかめず。

 果たして瘴気とはなんぞや? というのがつまり、アーサーら瘴気学者の追い求めている謎だった。


 しかし今は、そこまで厳密な定義の話は置いといて。


「魔物は血に瘴気を巡らせている、と俺たちは考えている。魔法を放つ際に、魔物は魔石を再び瘴気に変換する。その瘴気が一部は魔法とともに体外に出て、一部は血に溶けて体を巡る。だから、魔法を放ったあとの魔物の血肉は危険なんだ」

「ふむ…………」


 なるほど、その考え方は私たちの知識とも矛盾しない。割と妥当性がありそうじゃないだろうか?

 学者たちが目の色を変えそうな話だ、と思ったら、やっぱりアーサーが目を輝かせていた。いつの間にやら私の真隣に陣取って、どこから取り出したのか忙しなくメモを取っている。

 生き生きしていて、実に楽しそうである。よかったね。


「こうなると、血抜きをしても素手では触れない。見ろ」


 そんなアーサーの興奮を気にもせず、男が成体だという鹿型の魔物を指で示した。

 追いかけて見て見れば、ちょうど先住民たちが刃物を手に、腹に切り込みを入れようとしているところだ。二人がかりの解体作業で、男の言う通り二人ともが手に皮の手袋をしている。


 そして、その作業現場の手前では、また別の先住民が一人立っていた。

 彼は顔を覆うヘレナや村の男衆たちへ、身振り手振りでどうやら離れるように促しているらしい。

 これがなぜかと言うと――。


「風下に立つなと言っている。腹をひらくときに一気に瘴気が出るからだ。魔法の放ち方が半端だと、残っていた魔石がくすぶっていて弾けるかもしれない」


 だそうだ。ううむ、聞けば聞くほど危険な解体現場である。


 ただ、やっぱり先住民たちは慣れた様子で、身構える私たちを軽く遠ざけた後は、躊躇することもなく魔物の腹に刃を入れた。

 刃が魔物の腹に沈むと、一瞬だけ、小さくぷすんと火の爆ぜるような音がする。同時に感じるピリピリとした空気は、先日の魔法発動前の肌触りとよく似ている。

 それでも先住民は気にせずに、魔物の腹から後ろ足の付け根までを、線を引くように一気にナイフで引き裂いた。


 そのまま裂いた腹を上下に広げ、内臓を掻き出そうとするところで、男が何事か先住民に呼び掛けた。

 成体を解体する先住民たち、だけにではない。その隣で幼体を解体する人々にも声をかけると、彼は私と――私の隣にいたアーサーを手招きした。


「お前と――お前も、興味があれば見てみるといい、学者」


 そのまま解体途中の魔物へ近寄る男に、私とアーサーは顔を見合わせる。

 いったい、なにを見せようというのだろう?




 尻込みするヘレナたちを残し、わけもわからず追いかけた私たちへ、男は割いた腹を見るようにと促した。


 覗き見れば、中にあるのは当たり前のように内臓だ。まだ死にたてほやほやで、肌に触れるのはなんとも言えない生ぬるい空気。加えて、ほんのり瘴気のピリピリ感。

 いったいどうしたのかと眉根を寄せれば、解体していた先住民の一人が内蔵に手を入れて、一つの臓器を引っ張り出した。

 なんぞ?


「瘴気吸収器官だ。こっちは成体」


 男が話す傍らで、解体している先住民が臓器に刃を入れる。

 さっくりと割れた臓器の中身は空っぽだ。せいぜいほんのわずか、肌に触れる痛みが強くなったような気がする、だけである。


「それで、あれが幼体だ」


 首を傾げる私に、男が隣の解体現場を顎で示した。

 すぐ横では、同じように腹をひらかれた幼体の内臓が引っ張り出されているところだ。


 私たちに示すようにして取り出されたのは、同じ――たぶん同じ、瘴気吸収器官だろう。

 それもまた、成体同様にナイフで切り開かれる。


 だけど、中身は成体と同じではない。

 切り開かれた瞬間、転がり出た物を目にして、私は思わず目を見開いた。


「ま――――」


 と言ったのは、私が先かアーサーが先か。


 転がり出たのは、血にまみれた小さな石のようなもの。

 だけど血まみれでも、それがただの石ではないとわかる。


 まるで切り出されたように規則的な多面体。血の中でも、わずかに輝く奇妙な光。

 先住民が軽く拭えば、透明感のある色ガラスのような姿が現われる。


 今回で言えば、色は赤。小さな多面体の中にはキラキラとした光が閉じ込められ、夕暮れに向かう草原で自ら光を放っている。

 近くで見ている私たちも、少し離れて様子を窺っていたヘレナも、宝石に興味などなさそうな村の男たちでさえ、思わず目を奪うほどの美しさ。

 王都の貴族たちが、美を愛する芸術家たちが、成金の商人たちが、こぞって大枚をはたいても手に入れようと躍起になる、貴重で希少な魔性の宝石。


 魔物の体内から、ごくごく稀にしか得られないという『それ』を前に、私とアーサーは声を揃えて叫んだ。


「――――魔石!!」

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