12.先住民の集落(5)
し。
し、し、し、しししししししし――――。
「――――――死ぬかと思ったあ!!!!!!」
先住民の集落を出て、今は再び馬車の中。
御者たちと無事に合流し、動き出した馬車に揺られながら、私はようやく取り戻した現実感に息を吐いていた。
息を吐きついでに、声も吐く。胸元に手を当てれば、今も心臓がバックバクだ。
今さら思い出したように、全身から冷や汗まで噴き出してくる。
いやあ、今回はさすがにきつかった。生きて帰れる気がしなかった。
なにやら隠し事のある集落だからか、向けられる気迫がとんでもない。村人たちの前で命を賭けると宣言したときより、今回の方が怖かった。
いくら開拓のためとはいえ、こんなことは二度としたくない。
というかこれ、開拓よりも内政要素の方が強くない?
私が好きなのは開拓ゲームであって、この手の交渉事は専門外なのだけど――。
「で、ん、か~~~~~~~~~~…………」
と脱力する私の横で、低く恨めしげな声が響く。
ぞくりと寒気がするほど怨念のこもった声の主は、例によって振り返るまでもない。
すっかり見慣れた、怒りと疲労に満ちた顔のヘレナである。
「死ぬかと思ったのはこっちの方ですよ! 無茶をするとは思っていましたけど、それにしたって限度があるでしょう!!!!」
はい。
「はい、じゃありません! アーサー先生なんて燃え尽きていますよ!!」
ほら! と言ってヘレナが突き付けた指の先。馬車の片隅には、真っ白になって天井を仰ぐアーサーの姿がある。
どうやら、もう口を開く気力すらなくなっているらしい。彼は私たちのやり取りに力ない笑みを返すと、再び気が抜けたように俯いてしまった。
それを横目に、ヘレナは私を睨みつける。
「みなさん無事だったから良いようなものを~~~~! もしもなにかあったらどうするんですか! 蛮族相手に命知らずにもほどがあります!!」
「い、いえ、でも、なんだかんだで悪くない結果にはなったわけだし……」
ヘレナの視線に縮こまりつつ、私は小声で反論した。
先住民との交渉は、結果的には大成功と言えた。
何度かひやりとする場面もあったけれど、終わってみればこちらには死傷者なし。彼らの協力を無事に取りつけ、今後の話も手早くまとめ、日が暮れる前に集落を出ることができたのだ。
そして現在は、全速力で集落を離れつつ野営のできそうな場所を探しているところ。
さすがの私も、ピリピリしている今の集落の近くで野宿をするほどの胆力はない。あちらだって、今の状況で私たちが傍にいたらいい気はしないだろう。
そう考えると、安全な場所を探すだけの時間が取れたのも大きな成果であると言える。
それもこれも、すべては危険を承知で踏み込んだからだ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。この成果は、危うい橋を果敢に渡った私と――――あとは、寛容な族長のおかげだろうか。
ヘレナは蛮族蛮族言うけれど、あの場で切り捨てられなかったのは、相手が理性的だったとしか言いようがない。
そもそも、最初に乗り込んで無茶な要求をしたのは私たち。蛮族と言うのであれば、どちらかというと私たちの方ではないだろうか、という気持ちは置いておいて。
「ほ、ほら、終わり良ければすべて良しって言うじゃない? 交渉は無事に終わったわけだし!」
ね、と私はヘレナに呼び掛ける。
まあ、無事と言うにはいろいろと懸念要素が残っているけれど。
先住民の心象は地に落ちたけれど。
護衛の顔には疲れが見えて、アーサーもげっそりとしているけど。
もしかしたら、今後は闇討ちの心配もしないといけないかもしれないけど。
なにせ、あんな強引に取り付けた協力だ。
族長が頷いても全員が納得するかはわからないし、族長自身が心変わりをする可能性もある。
もしも闇討ちにあい、村ごと焼き払われたりでもしたら、日記なんて書いていても意味がない。さすがにそこまで過激なことは、早々しないとは思うけれど、そのあたりは彼らの理性に乞うご期待だ。
果たしてこれで、終わったと言える状況なのだろうか?
などと内心で思っても、私は素知らぬ顔で首を振る。
「あとのことは、ぜんぶ些細な事よ。細かいことは気にしたら負けだわ!」
そう言ってにこりとヘレナに笑えば、ヘレナもにこりと笑い返す。
そのまま笑顔を見合わせて、ひと呼吸。
一瞬の沈黙のあとで、薄暗い草原にヘレナの怒声が響き渡った。
「なにひとつ、細かくありませんから!!!!!」
ごもっともです!
〇
馬の嘶きが遠ざかる。
来訪者たちが去り、騒ぎが鎮まった今もなお、集落の空気は落ち着かなかった。
慌ただしい足音が絶え間なく響き、長のテントを何人もの人間が出入りする。
集落に満ちる不安と戸惑いを肌で感じながら、男は族長へと詰め寄った。
「――――長! どうしてあの女の言うことを呑んだんだ!」
「…………」
「あんな話、聞く必要はなかったはずだ! 滅びるなら勝手に滅びさせておけばよかっただろう!?」
その言葉を聞いているのかいないのか、族長は目をつむったまま動かない。
眉間に深い皴を寄せ、唇を引き結び、両手を固く握り合わせるだけだ。
「長!」
「…………スレン」
さらに強く呼びかければ、族長の片目が開く。
そのまましばし男を瞳に映し、老人は考えるように問いかけた。
「お前は、あの子供をどう思った?」
「どう……って。――無礼なだけの、不快な女だ。あの女、俺たちを脅しやがって!」
「そうか。……やはり、あれは正真正銘、あの子供の言葉だったのだな。通訳の男でもなく、連れていた他の人間でもなく、あの幼子自身の」
「…………長?」
男が呼びかけても、族長はもう答えない。
再び考えに沈み込むように目をつむり、ただゆっくりと首を振った。
「奇妙な子供だ。このような時期に巡り合うのも、なにかの縁だろうか」
「…………」
「これもまた、竜の導きかもしれぬ」
ため息を吐く族長に、男は顏をしかめた。
しかめにしかめ、端整な顔を歪ませて、不愉快さに地面を蹴る。
それから、隙間風に揺れる火に向けて、吐き捨てるようにつぶやいた。
「なにが竜の導きだ。あんな女に、導きなんてあるものか!」
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