12.先住民の集落(4)

「――――スレン!!」


 飛び込んできた男を見て、族長が叫んだ。

 慌てたように台座から腰を浮かし、続けていくつか言葉を口にするが、その意味は私にはわからない。


 男はその言葉に、強い声で言い返す。族長と男のやり取りに他の男たちも加わって、気付けば荒い言葉の応酬が繰り広げられていた。


 飛び交う怒声。言い争いの声。力んだように吐き出される呼吸。

 息詰まるほどの緊張は弾け、今や騒然とした空気がテントを満たしていた。




 しかし、それはそれとして顔がいい。

 別に変な意味ではなく、好みのタイプだとかそういう話でもなく、ただただ驚くほどに顔がいい


 顔立ちは先住民の特徴そのままなのに、美貌というものは人種の垣根など関係ないらしい。

 切れ長の目。スッと通った鼻筋。薄い唇。細い輪郭が、まだ年若い彼の美貌に鋭さを与える。


 年のころは、二十手前ほどだろうか。体つきは十分に大人なのに、顔にはどこか少年の面影が残る。

 背丈は、他の人々よりも一回りほど大きい。がっしりとしていながら均整の取れた体格は、王都の芸術家たちがいかにも好みそうだった。


 肌はよく日に焼けていて、冬も間近だというのに少し浅黒いくらい。

 その肌の色に、黒い瞳がよく似合う。同じ色の艶やかな髪とあわせて、まるで黒曜石のようだ。


 いや、本当に顔がいい。ここまでくると、かえって腹が立ってくる。なんだこれ。なんだこれ。

 なんだこれ――とは思いつつ。


「――――言葉が通じるなら、話が早いわ」


 こっちとしては、いつまでも地面に転がされているわけにもいかない。

 荒々しく言い交わす先住民たちを一瞥すると、私は押さえつける男へと呼びかけた。


「そのナイフをしまいなさい。私はセントルム王国の王女よ」

「……それがどうした」


 男は不愉快そうな目で私を見下ろして、吐き捨てるようにそう答える。

 突き付けたナイフはそのままだ。身じろぎをしようものなら、その先端が触れる距離。ひやりと冷たいものを感じながらも、私は余裕の顔で肩を竦める。


「王女に手を出していいと思っているの?」

「お前たちの身分は俺たちには関係ない。王女だろうが奴隷だろうが同じことだ。そんな言葉でためらうと思ったか」

「同じじゃないわ。本当にわかっているの? 


 それがどういう意味かは、少し考えればわかることだ。

 私は呆けたままのアーサーに視線を向けると、通訳をするようにと目で促す。

 促しながらも、深呼吸。


 もとより不利な条件での交渉。どんな無茶をしでかすかわからない、とヘレナは言ったけれど、本当の無茶をするのはここからだ。


 私は誰にも気付かれないように深く息を吸い、吐く。

 緊張にわめくこの胸の音を聞くのは、私だけで十分だ。


「国は、この地に私がいると知っている。この地で、私に任せた仕事がある。――それを妨げるということは、国にとっての妨げになるということよ」


 すなわちそれは、国を敵に回すと言うこと。

 私の命は、国にとってそれほどの価値はないけれど、そんなことは彼らが知る由もない。

 私は紛れもなく王女であり、正式な命令として領主となっているのは事実なのだから。


「ここで私を手にかけたら、国はどう思うかしら。援助を断ったことを知ったら? どんな扱いを受けたかを、日記に残しておこうかしら?」


 ここは捨て置かれた聖地。

 先住しているのは彼らの方であり、私たちは開拓もままならないよそ者だ。

 私たちは土地に負け、開拓に挫け、何度も何度も撤退を繰り返してきた。


 だけどそれは、開拓をしようとしていたからだ。

 戦争をしようとなれば話は変わる。

 セントルム王国は小さくない。草原を踏みにじり、ささやかに生きる少数民族を踏みつぶすだけの力は、十分に持っている。


 彼らがここで暮らせていたのは、単に国がこの地に関心を持っていなかっただけ。

 国が本気で排除に望めば、一部族に過ぎない彼らは太刀打ちができるわけもない。正面からやり合って滅ぼされるか、あるいは別の地へと逃げる他にないだろう。


 そして、彼らに他の地へ逃げるという選択は取れない。

 これは憶測だけど、おそらく彼らは、まさにその『他の地』からここへ逃げてきたのだろうからだ。


「私にも、切れるカードがないわけではないのよ。ただ、それは死後にしか使えない。できれば私は、そのカードを切りたくはないの」

「………………」

「私に切り札を使わせるかは、あなたたちが決められるわ。私を助けるか、助けないか。どちらにするかを、私は強要できないけれど」


 私はそこで言葉を切る。

 通訳するアーサーを横目に周囲を見回せば、先ほどの喧騒が嘘のように静まり返っていた。


 男たちは無言のまま、顔を強張らせて私を睨む。

 族長は眉間に皴を寄せ、考えるように目をつむる。


 目の前の若い男だけが、私を憎々しげに見下ろしながら、屈辱を噛むようにこう言った。


「…………俺たちに屈しろと言うつもりか。貴様の国に膝をつけと」

「いいえ」


 まさか、と私は首を振る。

 眼前には白い刃。私は今にも振り下ろされそうなナイフ越しに、男を見つめ返して目をすがめた。


「私は交渉をしに来たのよ。最初に言ったでしょう、恩を売られに来たと」


 声はゆっくりと、言い聞かせるように。

 表情は不敵に、大胆に、いかにも余裕がありそうに。


 私は彼らに、選択肢を与えている立場。彼らの前に示されたのは、私たちを支援して生き残るか、見捨てて滅びるかの二択。

 それ以外に、彼らの選べる道はない。


 これがハッタリであると、決して気取られることのないように。



「――さあ、私に恩を売りなさい。今なら高く買い取ってあげるわよ」



 張り詰めた静寂に、私の声が響いて消える。

 隙間風に揺れる焚火だけが、ぱちりと薪の爆ぜる、小さな音を響かせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る