10.攻略が行き詰ったときは?(1)
「――僕の見立てでは、これから冬にかけて魔物が増えていくはずです」
魔物の処理を後に任せ、やって来たるは瘴気学者アーサーの家。
目的はいろいろあるけれど、今一番は今後の魔物の動向について講義を受けるためだ。
瘴気吸収器官を持つ魔物の行動は、瘴気の濃度によって顕著に変化する。瘴気が濃くなれば寄ってきて、瘴気が薄まればより濃い場所を求めて移動するのだ。
この行動は、一般的な野生動物と変わりない。季節によって場所を変える渡り鳥。産卵の時期になると遡上する魚たち。餌を求めて移動する草食獣の群れ。それと同じように、瘴気は魔物を動かす自然現象だ。
ただし厄介なのは、瘴気は目に見えないことだった。
餌のように多い少ないが見てわからず、季節のように定期的でもない。明日の天気のように、雲を見て予想することさえもできない。
そこで、瘴気学者の出番なのである。
訪ねてきた私に椅子をすすめると、アーサーは例によって苦い茶を淹れた。
その茶を渡しつつ向かいに座るアーサーは、どことなくいつもより嬉しそうだ。久々の本職にそわそわした様子で、手にした分厚い紙の束をめくりながら、やや早口に話しだす。
「このあたりの瘴気の発生源は、聖山を含む山脈にあると考えられています。山脈からどうやって流れ込むかは諸説あるのですが、主には空気か水かという話になっていますね。つまり、風に流れてくるのか、水脈を伝わってくるかです。僕の体感としてはどちらも正解に思うんですけど、そうなるとじゃあどっちが発生源かという話が出てくるんですね。瘴気とは水の中から生まれるのか、空気の中から生まれるのか、と。神学者のなかには、神に背く悪しき心から生まれると言う人もいますが、これは僕は反対です。それだと、異教徒の国は瘴気だらけになっていないとおかしいですからね。でも、そうはならないし、善良な人々の暮らす場所にも瘴気が満ちている。これにはつまり、別の法則が働いていると考えるべきなんだ」
うーん、早口。そしてほとんど一息だ。
たぶん研究がままならず、だいぶ鬱憤が溜まっているのだろう。このままだと『続きは明日の講義で』となりかねない。
この手の話を聞くのは嫌いじゃないけれど、残念ながら今の優先事項は魔物の話。なので少々惜しみつつ、良い生徒の私は片手を上げて質問をする。
「それで、このあたりの瘴気はどっちの影響が強いの? 魔物が増えると言うのはどういうわけ?」
「ああ、ええ、そうでしたね」
私の質問に、アーサーは我に返ったようにそう言った。
そのまま目を落とすのは、用意していた紙の束だ。
中身は、どうやら彼が現地調査で集めた資料らしい。ちらりと覗き見るけれど、さすがにちょっと目ではわからない。
それを慣れた手でめくり、アーサーは講義を続ける。
「土地全体の影響としては、水脈の方が根深いです。このあたりの川はおおよそ瘴気を含んでいて、ほとんど薄まることはないようです。このせいで、ここら一帯から魔物がいなくなることはありません。飲み水も、瘴気の水脈を避けた井戸から汲まないといけませんね」
なるほど。つまりこの領地には一生ついて回る問題だと考えて間違いないだろう。
ついでに水脈が瘴気の原因となると、水源の確保も厄介だ。飲み水だけならまだしも、来年畑を作るとなると作物にも影響が出る。
そも、前年度までの作物はどうだったのだろう? と疑問が浮かぶけど、これは話が逸れるし近々で必要な情報でもないので、また別の機会に聞いてみることにしよう。
「ただ、水脈の瘴気の方は一定ですので、魔物の増減にはあまり影響がありません。こちらに関わるのは、空気の瘴気の方ですね。空気の中に瘴気が増えると、これまでいなかった魔物たちも場所を移動してやってきます」
そしてそれが、私にとって一番気になる部分である。
アーサーは最初に、これから魔物が増えるだろうと言った。
それはどのくらいの割合で、どのくらいの期間なのか。期待と不安に思わず身を乗り出す私せば、アーサーはどうしてか申し訳なさそうな顔をした。不吉な。
「これは山に発生する瘴気からおおよそ類推できます。精度が高いとは言えませんが、僕の経験上――これから冬にかけて瘴気が増え続け、最大で今の倍の濃さ。それもこの冬いっぱいは、濃い状態が続くと思われます」
「………………」
頭に手を当てて、一つ小さく深呼吸。
今、なんて?
「………………倍?」
「倍」
「……ちなみに、普段はどれくらい魔物が出るの?」
私の問いに、アーサーは首を傾げて少し考える。
「村まで来る魔物は、ほぼいないと言って差し支えありません。この地域でも、魔物は道中で運悪く出くわすか、遠目から見るだけというのがほとんどです。あちらも生物ですからね。凶暴とはいえ、近づかなければ襲ってくることは滅多にありません、が……」
が、とね。
嫌な予感がする。
「瘴気が濃いと、魔物は活性化します。普段よりも行動が大胆になって、村に下りてくることも増えるでしょうし、あちらから襲ってくることも増えるでしょう。それに冬は食料が少なく、人里を狙いやすくもなります。それを踏まえて考えると――」
首を傾げたまま、嘆息。
アーサーの顔に、もはや笑うしかない諦念の笑みが浮かぶ。
「十日に一回くらいは、魔物に襲われるのではないでしょうか……」
わははははは。
………………ご冗談でしょう?
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