9.魔物の襲撃に備えよう(3)

 魔物の咆哮を聞くと同時に、二人の護衛たちは身を翻した。


 逃げる護衛の姿に、私も慌てて物陰にしゃがみ込む。

 置き捨てられたような木箱の間に隠れ、頭を抱えてぎゅっと体を縮めた瞬間、あたりに爆発音が響き渡った。


 爆風が吹き抜け、なにか崩れる音がする。村からいくつかの悲鳴が上がる。

 無数の足音。なにかが駆ける音。馬の嘶き声と、再びの咆哮。


 それらが聞こえなくなったあと。

 そろそろと顔を上げる私の耳に最初に届いたのは、息を切らせた叫び声だった。


「――――殿下! ご無事ですか!!」


 聞き慣れた声の主は、転ぶように駆けてくるヘレナだった。

 彼女は瞬く私に気付いて大きく手を振ると、視線を村の外へと移動させる。


「御者さんに頼んで、馬を回していただいたんです! その方が、走っていくより早いだろうからって!」


 ヘレナの視線を追いかけた先。村の外の草原には、彼女に連れてくるように命じた護衛の姿があった。

 彼の傍には一頭の馬。手にしているのは剣ではなく、矢を番えたボウガンだ。


「魔物がいるなら飛び道具が必要だろうともおっしゃられて、その用意に少し手間取ってしまったんです! 遅くなってしまい申し訳ありません……!」


 ヘレナは私の目の前で足を止めると、両手をきつく握りながら頭を下げた。

 きっと、村の惨状に責任を感じているのだろう。もう少し早く来ていればとでも思っているのかもしれない。

 だけど、私に責める言葉はなかった。


 魔法で仕留めそこなったからか、それとも新手の護衛の登場に、勝てないと踏んだからか、魔物の姿は、すでに村の中にはなくなっていた。


 代わりに顔を覗かせるのは、逃げ回っていた村人たちだ。

 家々の影から様子をうかがう人々の顔に、驚きや戸惑い、恐怖は浮かんでいるものの、強い悲壮感のようなものは見られない。嘆きの声や誰かの名前を呼ぶ声もせず、少なくとも決定的な被害が出た様子はなかった。

 護衛たちの方も、すんでのところで魔物の注意を反らせたために、最低限の距離を取ることはできたらしい。これまでの戦闘と爆風で多少の傷こそ負ってはいるが、致命傷に至ってはいない。自ら体を起こし、こちらへ向かってくるだけの力も残っている。


 村に残した被害は、弾き飛ばされた柵と、魔法の直撃により崩壊した数軒の家。

 それだけだった。


「謝らなくていいわ、ヘレナ。遅いどころか、むしろ上出来よ!」


 今も鳴り続ける心臓に手を当てつつ、私はようやく物陰から立ち上がった。

 魔物相手に準備もなく、これだけの被害で済んだのなら上々だ。彼女を厩に送ったのは私だけれど、その後の動きは私の想定よりもはるかに良かった。


 なにしろ、飛び道具を用意したのは大正解だ。

 魔物討伐といえば長距離武器。近接戦を誇りとする騎士でさえ、魔物相手に用意するのは長弓やボウガン、あるいは長槍といった離れて攻撃する武器なのだ。

 その理由は、もちろん魔法の直撃を受けないため。遠くから射掛けて魔法の発動前に仕留めるか、あるいは長槍で魔法の発動を誘発させるのが、魔物討伐におけるセオリー。一度魔法を打たせればあとは野生動物と変わりないため、とにかく魔法対策が重要なのである。


 馬で村の外に回ったのも、咄嗟によく考えついたと思う。

 魔物が魔法を発動させれば、村の被害は免れない。その前に魔物の気を反らし、少しでも村から引き離すべきだった。

 だけど村の内部から駆け付けた私たちでは、人のいない場所への誘導は難しい。草原に出て背後を取ったのは、本当によくやってくれたとしか言いようがなかった。


 これはおそらく、獣の性質をよく知る御者と、護衛の騎士団所属経験のおかげだろう。

 あとで彼らにも、ねぎらいの言葉をかける必要がある。


 しかし今は、とにもかくにも安堵の一言。

 終わってみれば大きな被害もなく、なにもかもが上手い具合に片付いた。

 片付いた――けど。


 けど、と内心で付け加えながら、私は魔法の爆ぜた痕跡を見る。

 相手は魔物一体。準備不足だったとはいえ、三対一で仕留めきれない。


 しかもおそらく、魔物の中にはあれより大きなものもいるだろう。

 魔物は、一般的な野生動物に比べてはるかに大きな体格を持つ。狼よりも巨体を持つ野生動物なんて、数えきれないくらいにいるのである。


 ――……まずいことになったわね。


 壊れた柵。崩壊した家。地面をえぐった爆発の跡。

 この撃退劇が無事に終わったのは、単に運が良かっただけ。一歩間違えれば、すべてが手遅れになっていた。


 食料、薪、冬備え。生き残るために考えるべきは、それだけではないらしい。

 ここにきて、最優先事項の洗い直しをする必要がでてきてしまった。

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