9.魔物の襲撃に備えよう(2)

 そもそも、剣で獣に挑むことが間違っているのである。

 相手は騎士ではない。これは決闘ではないし、名誉ある戦闘とも違う。堂々と真正面から打ち合いをすることも、戦いの条件を相手に合わせることも、負けを認めれば手を引くようなこともしない。


 獣の戦い方は、もっと合理的で理性的、そして冷徹だ。

 剣の届かない位置まで距離を取り、攻めるときは一瞬で。仕留められなければ再び相手から離れ、身をひそめて隙を探る。自分に有利な位置取りを決して崩さず、無理に懐には飛び込まない。

 要するに、剣のリーチでは獣に敵うはずがないのだ。


 護衛たちは防戦一方だった。

 物陰から飛び出す魔物の奇襲を、命からがらどうにか防いでいるという状態。どこにも反撃の目が見えず、彼らの顔には焦りが浮かぶ。

 あるいは大型獣を相手に致命傷を避けられているだけでも、嫌われ者の私の護衛としてはよくやっていると言えるだろう。


 だが、この膠着状態がいつまでも続かないことは、たぶん彼らも分かっているはずだ。


 ――まずいわ。


 ちり、と頬を嫌な風が撫でる。

 今は何度目かの奇襲をしのぎ、魔物と護衛が互いに距離をはかりながらにらみ合っているところ。

 それを物陰から窺い見ながら、私は小さく息を呑んだ。


 

 草原から吹き込む風ではなく、村から外へ逃げるような不自然な風だ。


 魔物とは、巨大で凶暴な野生動物。

 だけど彼らが恐ろしいのは、体躯のためでも凶暴性のためでもない。

 なによりも、その体に特殊な器官をもつからだ。


 瘴気を吸収し、魔石に変換して放つ――。


「――――魔法!」


 魔物の毛が逆立つのを見た瞬間、私は物陰から飛び出していた。

 咄嗟に口にしようとしたのは、『離れなさい!』という言葉。


 護衛たちと魔物の立ち位置は、剣の届かないギリギリの間合い。私の知識では、この魔物がどんな魔法を使うかわからない。

 爆発か。大火か。それとも竜巻か。わからないけれど、どんな魔法でもこの距離であれば直撃は免れない。

 魔法は、魔物にとっても必殺技だ。ここでそれを放つということは、それなりの意義があるということ。

 この膠着状態を解決できるだけの、『強力ななにか』のはずだ。


 ならば引き離さなければいけない。魔法が発動するまでに少しでも距離を取り、被害を抑えなければならない。

 離れなさいと命じるべきなのだ。


 だが、私はその言葉を直前でどうにか呑む。

 護衛の背後が、村の中心部に続いていることに気付いたからだ。


 魔物は押し入ってきた柵を背に、魔法の風を揺らがせる。視線は護衛に据えられて、他のものは見えていない。

 護衛が逃げれば魔物は追うだろう。護衛の逃げる先は村の内部。人気のない方向へ逃げるのは不可能だ。

 村人のいる場所で魔法を使われては被害が出る。それで運悪く死者が出れば、その時点でゲームオーバーだ。


 一方で、こうなってしまっては護衛たちも失えない。今や彼らは貴重な戦力だ。今ここで彼らを犠牲にすれば、今後の魔物対策が立ち行かなくなってしまう。


「………………」


 背中をひやりと冷たいものが走る。喉の奥が乾いて、張り付くような感覚がある。

 だけど、『どうしよう』とは思わなかった。

 頭の中に、答えはもうすでに出てしまっている。


 今この場で負傷しても問題ないのは、私自身だ。

 私は労働力にはならない。戦力にもならない。頭さえ動けば、領主の務めに支障はない。


 魔物の気を引き、魔法を誘発させる。

 魔物は魔法を連続では使えない。奥の手を使っても獲物をしとめられなかった魔物は、それまでの凶暴性を忘れたように逃げて行くという。


 要は、致命傷さえ受けなければいいのだ。気を引き付け、すぐに逃げる。こちらの方が体格が小さいから、逃げ込む場所はいくらでもある。

 分のない賭けではないはずだ。不安要素は、どんな魔法を使うかわからないところだけ。勝率は――まあ、良くて一割と言うところ。つまりゼロではないだけ、やる価値はあることだ。


 手近な石を拾い上げ、私は短く息を吸う。迷う時間もなければ、深呼吸をする時間もない。

 私は大きく手を振り上げると、バクバクと鳴る心臓の音を聞きながら、魔物に向けて振りかぶった――――。



 その寸前。

 私が石を投げるよりも早く、目の前をなにかが飛んでいく。

 一瞬のうちに駆け抜けたそれは、次の瞬間、魔物の背に突き立っていた。


 ――……矢?


 悲鳴じみた魔物の咆哮が上がる。

 その声に紛れ、どこからか馬の嘶き声がすることに、私は一拍遅れて気が付いた。

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