4.領主として最初の仕事をしよう!(1)
いつの間にか、外はすっかり暗くなっていた。
すでに太陽は影もない。吹き抜ける風は少し湿っていて、夜の草原のにおいがする。
空には無数の星々が散らばっていた。
月のない晩。見上げる空は、王都で見るものよりもはるかに近い。
こぼれ落ちそうな星々は、手を伸ばせば捕まえられるような気がした。
アーサーの家を出た私たちを出迎えたのは、無数の星々とたいまつを手にした村人たちだった。
幾重にも取り巻く村人の表情は様々で、相変わらず統率は取れていない。私の姿を見て一度ざわめきが起きるものの、それもすぐに消えていく。
奇妙に静まり返った一瞬。
燃えるたいまつの火に、遠く見える聖山の影が揺れる。
深く、暗く、重たいその山影を見上げると、私は息を吸い込んだ――。
というあたりで、またしてもタイム。
ここで一度、神学の復習をしておこう。
まず大前提として、大陸全土に守護竜信仰が根強くある。
これはかなり古い信仰で、大陸最古の壁画にも描かれているほどだ。
今も大陸各地に竜の伝承が残されており、嘘か真実か信じ続けられているものもある。
例えば我が国では、竜は神の使いにして大陸の守護者と伝えられる。中でも、聖山から真南に位置する我が国こそは、竜が最初に足を下ろした地。竜は足元にいた初代国王を見下ろして、『汝、この地を善く治めるべし』と言ったという。
他国でも似たような逸話は多い。だいたいは自分の国こそが最初、あるいは最後に竜の訪れた地で、竜による承認を得て王が生まれるというものだ。
また、悪政を敷けば邪竜が現われ国を荒らし、善政を敷けば竜の守護を得るという話もある。災害を古い言葉で『竜の怒り』と呼ぶのは、この信仰が元になっているのだろう。
庶民の間でも、長らく竜への信仰がなされてきた。
竜は善悪の二面を持つ神。善き人々には守護竜となり、悪しき人々には邪竜となる。大陸の守護者、あるいは大陸の化身という考え方もあり、特に農耕を営む人々にとっては大地の守り手として敬われてきた。
時代が下るにつれ、この竜という存在は、人と同じ見た目をした『神』の下位に位置づけられるようになる。
竜は神の使者。大陸の持ち主はあくまでも神であり、竜は神の命に従って守護しているに過ぎない。
王を命じたのも神。竜の言葉は、単なる神からの伝言なのである、と。
さらには新興の国が増えるにつれ、竜そのものを排除する動きも出てきた。新興国には、竜による王の叙任という伝承がなかったためだろう。こういった国々では、王を任命するのは神の役目であり、竜はその役目を奪った悪しき存在――神の言葉を騙る悪魔である、とみなされた。
それらの新興国が十分に歴史ある国になった今では、古い信仰はすっかり塗り替えられ、神への信仰に取って代わられた。
神の権威が強まり、宗教が体系を持ち、社会へと組み込まれた昨今、竜にかつてほどの権威はない。神の使者であることも忘れられ、迷信として消え去ろうとしている土地さえもあるという。
ただし、例外はある。
竜の伝承が残るほどの古い国、国に属さない流浪の民族、そして庶民に伝わる民間信仰の中では、竜の存在は今も力を持つ。
竜は王の任命者。守護竜にして邪竜。大地の守り手。神の使者、あるいは悪魔。
国や地域、民族ごとに語られる内容に違いはあるものの、おおよそ共通しているのは次のような内容だ。
すなわち、竜は大陸の化身であり、聖山は竜の心臓部であり、この地にて竜は生まれ、そして死ぬ。
何度も生まれ変わりながら、時には善き竜として、時には邪竜として、大陸をあまねく見守っているのだ――と。
つまり、それがどういうことかと言えば――――。
「私には―――――」
たぶん、この聖山のふもと。聖地を擁する古い王国の民。
善き人々たる村人たちにとって、『この言葉』には力があるだろう、ということだ。
「前世の記憶がある。ここではない時代、ここではない地を治めてきた記憶だ」
竜は生まれ変わる。神を掲げた宗教では死後の永遠が約束されているが、本来この地に伝わるのは、『命は繰り返す』という価値観だ。
転生という概念を受け入れる下地がある。そこに真実味を持たせる土地にいる。
遠く見える聖山が、私の言葉に重みを持たせてくれる。
「いくつもの地を拓き、耕し、栄えさせてきた。ここより過酷な地、冷たい地、敵に満ちた地。時に王として、主導者として、あるいは大統領として」
集まった人々の顔を順に眺めながら、私は声を落としてそう語る。
ざわめきさえ起きない静けさの中で、わずかに口角を持ち上げながら。
「今、私がこのとき、この場所にいる。これが竜の導きではなくて、なんと言えよう」
ここが最初の大一番。
ひりつくような緊張に、私は自分の頬が歪んでいくのを感じていた。
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