第32話
私はライリーを呼び出した。
私を殺してもらう為に。
どうしようもなく臆病な私は、相変わらず己では死ぬ事も出来ないのだ。
だから彼に手紙を書いた。
レムスという吟遊詩人は狼男だ、と書いて。
村はずれの森にいる、と書いて。
町で買った革袋に金貨を入れ替え箱に詰めて、手紙と一緒に送った。
もう1日も生きてはいたくなかった。
今までのように漠然と生きる為に歌を歌いたくはなかったし、誰も抱きたくなかった。
シャロンと出会ってしまったからだ。
彼女を愛し、彼女との未来を夢見た。
彼女の隣で、彼女と微笑んでいたいと願った。
彼女の為に歌い、彼女の為に奏で、彼女の為に生きる。
そんな未来を。
けれど。
リュートの由来を知って半狂乱になった彼女を見て、私は悲しかった。
胸が張り裂けそうだった。
彼女は狼男を厭うている。
彼女は狼男を嫌っている。
そして。
私は軽い恐慌に陥った。
今はまだ、彼女は私の正体を知らない。
でも、何かの拍子に知ってしまったら?
想像したように、彼女は体中を洗うだろう。
家の中も洗うだろう。
もしかしたら引っ越すかもしれない。
でもそれだけではないのだ。
彼女は。
シャロンは間違いなく、私を怨む。
私と愛し合ったこの数カ月を、悪夢の様に思う事だろう。
なかった事にするのかもしれない。
レムスなど知らない、と。
聞いた事も見た事も、ましてや愛した事などない、と。
そう言うかもしれない。
血を凍らせるような冷たい目で。
心を引き裂くような鋭い口調で。
あぁ、何という事だろう………
私は絶望した。
私はシャロンに嫌われたくなかった。
憎まれたくなかったし、厭われたくもなかった。
ずっとずっと、私を愛していて欲しい。
ずっとずっと、私に微笑んでいて欲しい。
起きている間は、温かい目と優しい口調で、レムス、と呼んで欲しい。
眠っている間は、その柔らかな胸に抱いていて欲しい。
朝も、昼も、夜も。
今日も、明日も、明後日も。
永遠に私のものであって欲しい。
そう思った。
だから。
家を出た。
手紙を書いた。
仕事を依頼した。
私を殺してくれ、と。
今夜は満月。
やがて月は上り、私は変身する。
全身に短い毛が生え。
鼻が伸び。
鋭い牙と爪が、月明かりに照らされる事だろう。
辺りがだんだん暗くなる。
ライリーが座ったまま杖を振り、薪を集めた。
私とライリーの間に小さな山が出来る。
もう一度杖を振ると薪に火が付き、勢いよく燃え始めた。
私はそれを見ながら歌い続けた。
1曲終わると、また1曲。
幼い頃ディーンに習った歌もあれば、旅の途中知り合った吟遊詩人から教えてもらった歌もある。
自分で作った歌だって。
歌っても、歌っても。
まだ歌い足りない。
まだ生きていたい。
シャロンを愛したい。
なのに!!
頭が、痛んだ。
「………ぁなたが……消えて………も…ぅ…歌が……の…のこ…る………ぅぅっ」
声が出なくなった。
嗄れた訳ではない。
言葉を発音できなくなったのだ。
口から出るのは呻き声だけ。
びいんっっっと耳障りな音がして、リュートの弦が切れた。
私はリュートを見た。
右手の鋭い爪がリュートの弦を切っていた。
左手の爪はリュートのネックに傷を入れている。
恐らく私の口からは牙がのぞいている事だろう。
私はゆっくりと立ち上がった。
顔を上げるとライリーは既に立ちあがって杖を構えていた。
「あんた、噛まれたのか………」
ライリーは顔を歪めている。
それに答えたかったが、私の口からは唸り声しか出て来ない。
私は火の上にリュートを置いた。
このリュートはディーンのもの。
こうすればきっと彼の手に戻る。
リュートはじわじわと火に包まれ、ぱちぱちと爆ぜながら燃える。
私は煙と火の粉が舞い上る先を見ようと天を仰いだ。
ディーンが受け取りに来るかもしれない、と思ったから。
しかし。
視線の先にあったのは丸い月。
満ち足りて、ほんの少しも欠けた所のない月。
その眩しい程の明りが、私を照らす。
シャロンの笑顔のように優しい明かりだというのに。
シャロンの抱擁のように温かい明かりだというのに。
同じ明かりが、私を狂気に駆り立てる。
「シャロンの兄貴は、あんたと同じように狼男に噛まれた」
私は背中から聞こえるライリーの声に反応しなかった。
ただ月を見ていた。
「トムは狼男を狩りに出て、逆襲されたんだ。初仕事だった。トムはシャロンに助けてくれ、と言った。俺を殺せ、と。でもシャロンは出来なかった。だから俺がトムを殺した………親友だった」
だから?と言いたかった。
だから何だと言うんだ?
狼男を狩るのは慣れている、とでも言うのか?
親友も殺したのだからお前など殺すのに何の躊躇いもない、と?
「だからシャロンは俺の事を恨んでいる」
それで?
実際の所、彼がシャロンにどう思われていようが私には関係ない。
興味もない。
私の知らない昔の話など、今更話す必要もないのに。
「そしてそれ以上に狼男を憎んでいる。厭わしく、呪わしい生き物だと蔑んでいる」
わざわざ教えてもらわなくても、それは良く知っている。
この目で見たのだから。
半狂乱になったシャロンの姿を。
「だから、レムス。シャロンを恨まないでくれ。あの子がリュートの話を聞いてどんな態度をとったのか、俺は聞いた。でもそれは仕方ないんだ。シャロンにはあんたの事は何も言わない。あんたの事は口を噤んだまま墓場まで持って行くから。だから恨まないでくれ」
ライリーの声は懇願に近いものだった。
ぃや、振り返れば頭を下げている彼の姿が目に入ったのかもしれない。
だが、私は月から目を離さなかった。
腹の底からこみあげて来る笑いを止める為に。
ライリーの言った事が余りに的外れで、どうしようもなかった。
恨む?
私がシャロンを?
どうしてこの男はバカなんだろう?
シャロンは何でも知っている、と、この男を評していたが、何も知ってはいない。
分かっていない。
私はシャロンを愛しているのだ。
彼女なしの生活を考えられない程に、彼女を愛している。
彼女を失う恐怖に怯えるくらいなら失う前に己の命がなくなってしまえばいい、と思う程に、彼女を愛している。
愛している。
愛している。
愛している。
シャロン!!
私は月に向かって、シャロン、と叫んだ。
「ゥワオォォォォォォォォォォォン…………」
だが、私の耳に届いたのは狼の遠吠えで。
次の瞬間、私の背中に何かが当たったような気がした。
小石か、木の枝か。
なんにしろ、とんっと軽く当たっただけなのに、体から力が抜けた。
目の前が暗くなり、何も………明るい月でさえ見えなくなった。
私は地面に膝を突き、そのまま前に倒れた。
痛くはなかった。
苦しくもなかった。
ただ。
最後に愛しい女の名を呼べない事だけが心残りだった。
月夜に吠える @Soumen50
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