第6話 散歩


 俺は子供の頃から犬が好きだ。

 特に大型犬が好きで、大人になったら絶対に飼いたいって思っていた。

 犬どころかカブトムシすら飼ったことがない俺は、大人になれば犬を飼えるだけの金も家もあるのだと。



 顔を上げるといつも歩いている散歩路。

 前を歩く二匹の大型犬がチラチラと飼い主である俺の方を振り返ってそのつぶらな瞳を向けてくる。

 尻尾をブンブン振りながら主人の顔色を伺って、離れ過ぎたら少しペースを遅め、近づきすぎたらペースを速めるその姿はあまりに可愛くて家族に迎えて本当に良かったと口元が勝手に緩む。

 

 

 しかしそんな大型犬二匹と散歩しているのにも関わらず、すれ違う仕事終わりのサラリーマンや部活終わりの高校生らからの視線は一切ない。

 アイドルのライブとかで見かける光るサイリウムライトを首輪にした小型犬も、この子らと同じ犬種の大型犬も一切こちらを気にしていない。

 当然だ、何故なら俺が見ている二匹は俺にしか見えていない二匹なのだから。



 首輪もリールもしていない、イマジネーション犬。

 無職職歴なし27歳になった俺に大型犬なんて飼えるわけがない。

 多分、一生無理だろう。

 だから脳内で勝手にイメージして飼うことにしたのだ。

 

 

 ちなみに俺からみて右側がゴールデンレトリバーの栗ちゃん。

 理由は毛色が栗っぽいから。

 左側がバーニーズマウンテンのバキちゃん。

 理由は毛色がアイスのバッキーに似ているから。



 最初は毛色が似てるって事でクリとリスにしようかと思ったけど、下品すぎるから辞めた。

 そんなわけで、俺は犬を飼っている。

 小さい頃からの夢だった、大型犬。

 自転車が来てるから右に寄ってねって頭の中で言うとちゃんと寄ってくれる従順さと可愛さを兼ね揃えた、頭の中にしかないワンちゃん。



 言っておくが、頭がおかしくなったわけじゃない。

 これは諦めの先で見出した精神安定剤だ。

 証拠に散歩している最中、うちのワンちゃんの可愛げな行動にここ5年間使ってこなかった表情筋が動いてにやけている。

 この辺は中学校も高校も幼稚園もあるからその内、不審者として警察に職務質問を受けるかもしれないが、別に構わない。

 俺はただイマジネーションでワンちゃんと歩いているだけなのだから。



 さて話は変わるが最近、安楽死という言葉について考えている。

 というのも自分のXで安楽死を法制化して! という言葉をよく見るし、外国では実際に希望すれば安楽死できる(今のところほとんどが病気を持ってないとさせてくれない)という記事を読んだからだ。

 


 正直言って、一週間前くらいまでの俺は安楽死という言葉を聞いて「うーん」って感じの気持ちだった。

 それは別に「甘えてんじゃねえよ!」とか「頑張れよ!」とかあっての気持ちじゃなくて、何となくってだけの話。

 しかし今、ちょっと考え方が変わってきている。

 


 というのも一生底辺なのが確定した俺の人生で生きている意味ってあるのかと思い始めたからだ。

 もうまともな職にもつけないだろうし、女もこんな金も顔もない男に寄ってこない。

 金のかからない趣味も金を稼いでいない無職だと「何のためにやってるの」って事になる。

 


 別に心の底から死にたいと言っているわけじゃない。

 ただ生きている意味が見いだせないと言いたいのだ。

 多分、俺が今まで見ていた安楽死関連のツイートをしている人はとうの昔にこの気持ちに辿り着いていたに違いない。

 俺はただそこに追いついただけ。

 


 まあ健常者の安楽死が認められても、俺は利用しないと思うけどね。

 結局死ぬの怖いし。

 これからも何だか良く分からない、年々と薄れていく希望と言う名の灯火をただ見つめて本当に消えてしまうのを待つだけなんだと思う。



 本当に灯火が消えてしまった時、俺はどんな絶望と感情を持っているんだろう。

 もしかしたらそれはそんなに遠い未来じゃないかもしれない。

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