第21話 奇跡の高等学校跡

 結局、雨雲を避けるため、再び盛岡市街地に入り、そのまま太平洋に向かった彼女たち。


 天気予報では、岩手県の内陸から秋田県にかけてが、大雨の予報だったからだ。

 幸い、太平洋側は弱い雨か、曇り予報だった。


 2時間半以上もかけ、途中で弱い雨に当たりながらも、午後3時頃には太平洋側の宮古市に到着。


 実は、2泊3日の旅程のうち、最初の1泊目しか考えていなかった、万里香。


 その日は、

「天気を見ながら適当に考える」

 だったらしい。


 すでに午後3時を過ぎ、さすがに美希は、

「でも、早く宿を決めないとヤバくない?」

 焦りだした。


 一方の、菜々子は、

「何とかなりますよ。最悪、漫画喫茶でもいいです」

 と、こちらも万里香に劣らず、行き当たりばったりだった。


 そういうバイク乗りのノリに着いて行けない、美希が一人焦っていたが。


 結局、もっと大きな町に行くのと、日暮れまでまだ時間があるためか、万里香が主導して、宮古市から、無料の三陸道を使って、南下し、3時間以上もかけて、たどり着いた町が。


 宮城県気仙沼けせんぬま市。


 そう。いつの間にか、岩手県から宮城県に入っていた。すでに辺りは真っ暗になっており、田舎特有の人気ひとけのなさが、より一層、寂しい気持ちを演出しているようだった。


 人口56000人程度。

 小さな港町だが、この町に来たことで、彼女たちは「運命」と出逢うことになる。


 なんだかんだ言っても、万里香の予想通りになっていた。

 つまり、宿は見つかったのだ。


 3連休とはいえ、ここは東北地方の外れにある小さな町。そして、東日本大震災の爪痕つめあとが残る、有名観光地でもない町だ。


 ホテルに空き室があったのだ。


 そのホテルに泊まりながら、彼女たちは翌日のことを考える。


 地図アプリで色々と探していた、万里香が真っ先に目をつけた場所があった。

「高校の廃墟。それも東日本大震災の震災遺構。これだ」

 彼女が目をつけたのは、正式には「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」と呼ばれる施設だった。

 ここは、旧宮城県気仙沼向洋高等学校の一部をそのまま公開している。


「近いですね」

 菜々子が調べたら、ホテルから15分、8キロほどしかなかった。


 最終日の明日は、基本的には自宅に帰るだけだったのだが、最後にここに寄ってから帰ることにした彼女たち。


 翌日。朝9時30分のオープンから早速、その場所に行ってみた。


 正直言って、彼女たちの誰もが、今まで見たことがない類の施設だった。


 車が瓦礫と共に流されて、縦向きに立ったまま残った校舎と校舎の間。建物の3階まで流された車の残骸。


 校舎の窓ガラスは破損したままで、教室の天井は骨組みがむき出しの状態だった。床には椅子・机の残骸や教科書が折り重なっている。


 誰もが言葉に出来ない、感情を抱く。


 それがこの震災遺構だった。


 2011年3月11日。

 東日本大震災が襲った後の、津波。


 この威力はすさまじく、この校舎の4階、約12mの高さまで津波が来たという。


 彼女たちは、屋上に上ってみた。


 昨日とは変わり、雲の間から晴れ間が見えていた。遠く太平洋の青色が見えるが、そんな恐怖を演出したと思えないほど、穏やかな海だった。


「すごいね。震災遺構って、初めて来たけど。ここは、人為的じゃなく、自然災害で生まれた廃墟なんだね」

 美希が太平洋に目を向けながら口を開く。


「ああ。だが、すごいのはここの教職員たちだろう。一人の犠牲者も出さなかったそうだ」

「ですよね。私も説明書き見てびっくりしました。全員助かったなんて」

 万里香と菜々子が声を上げる。


 その説明書きによると。


 ここ、旧気仙沼向洋こうよう高校では、この日が平成22年度の最後の授業日だったらしい。


 同月1日に卒業式が行われていたため、3年生は学校におらず、登校していたのは1年生・2年生あわせて約220名の生徒だったという。授業は正午近くに終わり、その後は部活動や補習、ホームルームで約170名が学校に残っていた。教職員は9日に実施された一般入試学力検査の採点を終え、合格発表に向けた準備を進めていた。


 経緯は省くが、最終的に地震発生から20時間後までに、避難した住民、教職員、生徒の全員が無事、救出されたという。


 東日本大震災によって、海沿いの多くの学校や施設で、むごたらしいほどの犠牲者を出したが、ここは非常にレアなケースと言っていい、「一人の犠牲者も出さなかった」高校だった。


 人的被害が出なかった要因として、屋上への津波到達・冷凍工場建物の直撃がいずれも避けられたなどの幸運な偶然が作用したことのほか、校舎が海に近かったために津波に対する生徒・教職員の危機意識が高かったことや、教職員がそれぞれの立場で打ち合わせなしに臨機応変に動き、事前のマニュアルをも超える行動をとったことなど、これらが命を守る結果につながったらしい。


「まさに奇跡の高校だね」

 美希が声を上げる中、万里香は別の感想を持っていた。


「奇跡か。奇跡なんてのは、人為的に起こすものだ。祈ってても奇跡は起こらない」

「リアリストですね、万里香センパイ」

 万里香の言葉に、菜々子が反応していた。


 こうして、「奇跡の高等学校」を見学した彼女たち。


 残りは、帰路に着くだけとなった。


 帰り道。

 とある道の駅の休憩中。


「これからどうするの?」

 漠然と尋ねた美希の質問に、万里香が応じた。


「どうするって、何が?」

「廃墟だよ。これからも行くの?」


「愚問だな。もちろん、行くさ。何なら日本中の廃墟を巡って、動画配信してもいいくらいだ」

 この強気な姿勢、というか、妙に前向きな姿勢はどこから来るのか。その原動力が知りたいと思った、美希だったが。


「そういう美希センパイはどうしたいんですか?」

 逆に後輩の菜々子に聞かれていた。


「どうしたいって?」

「ですから、万里香センパイと廃墟に行きたいんですか? それなら、いつまでもタンデムするより、免許取ってバイクに乗った方が楽ですよ」


「まあ、それもそうだね」

「何だ。やっと免許取るのか。まあ、がんばれ」

 どうにも投げやりにも聞こえる、万里香のセリフ。


 美希は、反応していた。

「山田さん。実はタンデム、迷惑だった?」

「別に。ただ、どうせならお前もバイクに乗った方がいい。その方が楽しさもわかるだろう。廃墟に行くなら付き合ってやるが」


「何で、上から目線?」

 と、言ったものの、美希も考えてはいた。


(廃墟巡りに必要な物。それは小回りが利く、小型バイク。そのために必要な物、普通二輪免許)

 と。


 これまで山田万里香と色々と回ってきて、彼女は気付いたのだ。

 廃墟は、往々にして、不便な場所にあることが多い。


 人里離れた山の中、忘れ去られたような細い林道の先など。

 であるならば、大きなバイクよりも、小さくて小回りが利くバイクの方が、実は「理にかなっている」のだ。


(仕方がない。まずは私が免許を取ろう)

 ようやく美希は、重い腰を上げて、普通二輪免許を取得することを、心に決める。


 すべては、廃墟を巡るため。

 彼女にとって、本当の意味での「廃墟巡り」のスタートラインが、ようやく定まったのだった。


(廃墟は逃げない。いずれ私一人でも行けるようになりたい)

 いつの間にか、万里香に影響を受けた、美希は、廃墟マニアになりつつあったのだ。


 特に、

(かつて栄華を誇った施設が、廃墟になって、やがて自然に還って行く。その様は美しい)

 そう、まるで全国の廃墟マニアが賛同しそうなことを、美希自体が、自然と考えられるような、体質に変化していた。


 これからも、彼女たちの廃墟巡りは続く。

 そこに、廃墟が存在している限り。


                   (完)

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山田さんの廃墟探訪記 秋山如雪 @josetsu

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