飴細工職人と白百合

藤泉都理

飴細工職人と白百合




 ブルータス、おまえもか。

 紀元前四十四年三月十五日、ユリウス・カエサルが暗殺される前に発したとされる言葉。

 信頼している相手からの裏切り、想像もしていなかった状況への嘆きの言葉として広まった。






 観光客が多く訪れる湖のほとり。

 今の季節には、白百合が多く咲き誇り、甘い匂いが通り過ぎて行く中。

 手押し車で飴細工を営む職人であり、炎をその身に宿す炎男は、立ち去って行く飴細工職人の弟子でもあり、相棒でもある雪女に嘆きの言葉をぶつけた。


 雪女、おまえもか。

 おまえも、俺から離れて行くのか。

 私はあなたから離れて行かない。

 傍に居ると。傍に居て、気を抜けば溶かしてしまうどころか蒸発させてしまう飴を冷やしてあげると。そう、言ったではないか。

 あなたを支えられるのは、私しか居ない。

 そう、言っていたのに、

 なのに。

 どうして。




「どうしてなんだあああああ!?」




 野外劇だと勘違いされているのだろう。

 観光客が足を止めて、炎男と雪女の事の顛末を静かに見守っていたが、一人の観光客はそうではなかった。


「おじちゃん。あめ、くださいな。しろゆりでおねがいします!」


 ふんすっ。

 鼻息を荒くして炎男に注文した少年は、飴細工がよほどほしいのか、はたまた、初めて一人だけで買い物するのか、どちらか、どちらともか、とても高揚していた。


「ああ。白百合だな。わかった。ご注文、承りました」


 砂浜に四つん這いになっていた炎男は、少年の注文を受けて立ち上がって、ささっと手や作務衣についた砂を払うと、近くの蛇口で手を洗い、特殊な手袋をつけてのち、クーラーボックスから固まっている四角い飴を、己の炎を操作して溶かしながら形を整え、あっという間に、白百合の飴細工を完成させた。


「おじちゃん。一人でも大丈夫じゃん!」


 五百円を渡しながら言う少年に対し、炎男は、大丈夫なように見せているだけだよと儚げに微笑んで見せた。


「一人は嫌なんだ」

「うん。でも。そうだね。当分、一人で、頑張るよ。飴を溶かさないように、頑張るよ」

「おじちゃん。また、かいにくるよ。また、ここにきたら。かいにくるから」

「うん。楽しみにしているよ。ほら。お父さんとお母さんが待ってるよ」

「うん。ありがとう!すっごくきれいだよ!」


 母と父に見せてのち、包装紙を取ってもらった少年は、バリバリと勢いよく飴細工を食べては、おいしいと満面の笑みを浮かべていた。

 炎男は少年が父母と一緒に立ち去って行くのを見送ってのち、雪女が立ち去った方向へと目を向けた。

 もう、雪女の姿はなかった。


(もしかして、甘えすぎて嫌になったのか?雪女が居るからと、雪女が冷却してくれるからと、気を抜きすぎたのが、いけなかったのか?だとしたら、だとしても、)




 深夜にでも、泣き喚きながら、湖に飛び込んで、めっちゃ泳ごう。

 次から次に飛び交う注文を、炎男は涙を飲み込んで応対したのであった。











(2024.7.4)



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飴細工職人と白百合 藤泉都理 @fujitori

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