13枚目 誰かの主役になれるなら

 ——発表が終わって、私たち一年三組のメンバーは、着替えるために教室に戻った。

 教室の空気は、色々なものがまぜこぜになっていた。

「最後のシーン、カッコよかったね!」

「でも、あんなの台本になかったでしょ。勝手に変えたの?」

 興奮と疑惑は、当然、ラストシーンを演じた私たちに降り注ぐ。私の隣に立つ美香ちゃんは、私の服のすそを、きゅっとつかんだ。水川くんと鈴村くんは、みんなの視線を無言で受け止めている。

「……ごめんなさい。私がお願いしたの」

 私は深々と頭を下げた。怒られて当然のことをした。みんなで決めた台本を、当日に書き換えたんだから。

「最後の私の台詞、本当に幸せですか? って聞くところ、付け足したの。その後は、全部アドリブで……どうしてもこの台詞を入れたくて」

 私は拳を握る。ののしられるのも、怒鳴られるのも、覚悟のうえだ。

「俺も」

 そう言ったのは水川くんだ。頭を下げている私には、水川くんの顔は見えない。だけど分かる。水川くんの声は、静まり返った教室に、よく通るから。

「俺と蒼は知っていたよ。あと、脚本担当だった二人も。だけど、首謀者は俺と蒼、そして月嶋さん。クラス委員長なのに、みんなの意見を集めずに決めたことは、本当によくなかったと思ってるよ。ごめん」

「すまなかった」

 水川くんと鈴村くんが、私と同じように腰を折り曲げたのが分かった。服のこすれる音がしたから。

 私と同じ泥をかぶってくれた二人に、申し訳なさとありがたさが、一緒にわいてくる。


「……私は、嬉しかった」

 その声は、私の隣から聞こえた。

 私がハッと顔を上げると、力強い表情の美香ちゃんがそこにいた。

「私、最後のあの場面、演じることができてよかった。私の中に、エミーア姫が入ってきたみたいで……着飾らないで、本当の私のまま、演じることができたの」

 美香ちゃんは目を閉じて、胸に両手をあてる。

「日景ちゃんが台本にない台詞を言った時、私には、止めることだってできた。台詞が違うよってささやくことだってできた。でも、しなかった。日景ちゃんの台詞にのっかって、私が演じたいように演じた。言いたいように言った。だから、日景ちゃんが……日景ちゃんたちが責められるなら、私も一緒に怒られる」

 美香ちゃんは、ゆっくりと目を開ける。そして、私の方に身体を向けた。

「お姫様の役なんてやりたくなくて、たくさん逃げちゃった。王子様とお姫様を決める時だって、私、日景ちゃんに投票していたの。日景ちゃんが一番、お姫様に相応しいって思っていたから……だけど、選ばれたのは私で。選ばれたからには、ちゃんとやらなきゃいけないのに、嫌だ嫌だって、子どもみたいにワガママになって……学校も休んじゃって、みんなに迷惑もかけちゃって」


 私は面食らった。

 月嶋日景に入った、謎の二票。一票は水川くんだって判明していたけど、もう一票は分からずじまいだった。

 犯人は美香ちゃんだったんだ。


 美香ちゃんの声の糸が、優しくほころんだ。

「だけど、最後の場面を演じることができて、私の中にあったものが、すっと外に出ていたの。そうしたら、なんだか身体が軽くなって、私、今、ほっとしてるんだ。ありがとう、日景ちゃん」

 美香ちゃんが穏やかに笑ってみせた。

 そんな美香ちゃんを見るみんなの目は、明らかに変わっていた。男の子たちの目線に、変な媚びはなかった。東条さんたちの視線は、ナイフじゃなくなっていた。

 この変化を感じた時、私は、自分の作戦が上手くいったことを実感した。

 フィクションのキャラクターと、演技をしている人を、同一人物のように見てしまう現象。それを利用したんだ。

 舞台の上で美香ちゃんが言った台詞は、あくまでエミーア姫のものだ。だけど、見ているみんなは、エミーア姫と美香ちゃんをイコールで結び付けた。無意識に。エミーア姫の台詞が、そのまま、美香ちゃんの本心であるかのように。

 こうやって「美香ちゃんのことだとは明言せずに、美香ちゃんの気持ちを伝える方法」を実現したんだ。


「美香ちゃん、ありがとう」

 私もほほ笑み返した。そんな私たちを見て、台本担当だった二人が拍手をしてくれた。

「まあ、結果的には盛り上がったし、いいよ。当日だけど、ちゃんと相談はしてくれたしさ。それに、いいアクションシーンも見せてもらったもん」

「そうだな。台本通りだったら、あんなにキャーキャー言われなかったし」

 その言葉で私は思い出した。衝撃のお姫様だっこシーンを。

 ステージから落ちそうになった私を救出してくれた、鈴村くんのことを。

 このタイミングで目が合ってしまった私と鈴村くんは、お互いに視線をそらした。

 水川くんが負い目にさいなまれた声で言う。

「そうそう、ごめん、月嶋さん。月嶋さんを落とすつもりなんて、もちろんなかったんだけど……」

「私が悪かったの。ティアラ、落としちゃったから」

 水川くんに続けて、美香ちゃんが申し訳なさそうにうつむいた。

「ううん。大丈夫。その、鈴村くんが、助けて、くれた、から」

 自分でもびっくりするくらいに、声がカタコトになっちゃった。鈴村くんは、そっぽを向いて気まずそうにしている。頬がリンゴ色にして。

「蒼も月嶋さんも、保健室で診てもらった方がいいんじゃない。念のためにさ。ほら、見た目はなんともなくても、身体の中で変になってる場合もあるらしいし」

「私も、そうした方がいいと思うな」

 水川くんと美香ちゃんにうながされた私と鈴村くんは、二人に背中を押されて、半強制的に教室からしめだされた。


 ……なんてことをしてくれたんだ!

 このタイミングで、鈴村くんと二人きりにされてしまった……!


 扉がしまる寸前に見た美香ちゃんと水川くんの顔は、なんだかイタズラっぽかった。その、私たちをからかうみたいな表情が、ある事実を教えてくれた。

『次が……。おっ、蒼と月嶋さん!』

 投票結果を集計していた時の、水川くんのセリフ。これが意味すること……。

 私に投票したのは美香ちゃんと水川くんだ。そして、二人が王子役に推薦していたのは、鈴村くんだった。

 「鈴村蒼と月嶋日景」というペアで投票した犯人によって、今の、二人きりの状況が作られているって事実を。

「……」

「……」

「……行くか、保健室」

「う、うん」

 壊れかけの時計みたいなぎこちなさを抱えて、私たちは歩き始めた。

 

 ——穏やかな風通しの渡り廊下にさしかかったところで、私のメイド服のポケットが、もぞもぞと動き始めた。

「はー! やっと出られた」

「わっ」

 中から出てきたデビンに驚いて、私は思わず立ち止まった。鈴村くんも足を止める。

「やーっと運命点の修正が終わったぜ。こんなに長居させられるとは思わなかった。ったく、世話のやけるミチビキ人だったな」

 わざとらしく大きなため息をついたデビンは、私に背中を向けた。

「……友達のために、周りから怒られることを覚悟できる人間は、悪役なんかじゃねえよ」

「えっ——」

 私が聞き返すより前に、デビンの姿は消えてしまった。

 運命点の修正が終わったから、タロットの中に帰ったんだ。

「……ありがとう」

 デビンに聞こえているかは分からないけれど、どうしても声に出したかった。


「……月嶋」

 一歩前に立っていた鈴村くんが、くるりと私の方に振り返った。

「ありがとう」

 私は鉄砲玉を打たれた心地になる。

「どうして? お礼を言うのは私の方だよ。鈴村くんに助けてもらわなかったら、ケガしてたんだから」

「いや、それは、いいんだ。気がついたら身体が動いていて……本当は、ステージに出るつもりはなくて、月嶋と朝比奈に任せようと思っていた。自分は、アドリブとか、そもそも演技自体が苦手だから。でも、月嶋が危ないと思って、気がついたらああなっていて、もうなるようになれ、としか。途中からは、役として言っているのか、自分の本心なのかも、分からなくなった。朝比奈と同じだな」

 鈴村くんは斜め下を見る。場の空気に身を任せたヤケクソ状態だったにしては、観客を盛り上げることに大成功してたけどな。


 ふわっと風が吹いた。中庭の方から、お菓子のゴミが流れてくる。私はそれを拾うためにしゃがんだ。

「やっぱり、月嶋は強いな」

 上から注がれた言葉が、あまりに意外すぎたから、私は「え?」と聞き返そうとする。そのために立ち上がって、鈴村くんを見る。

 鈴村くんの表情は、羽毛みたいに柔らかくて、ひだまりみたいに暖かかった。

「誰にも見えないところで、感謝の言葉もかけてもらえない場所で、みんなを幸せにするために必要なことをする。人知れずに世界をよくしていく——小説のヒーローみたいに。身体じゃなくて、心が強くないとできないことだ。自分は、そんな月嶋に憧れていた。自分にとっては、ずっと、月嶋が主人公だったんだ」

 鈴村くんの羽織っているマントが、中庭から吹く風になびいた。その姿は、身体を張って誰かを護る勇者みたいだった。

 アスグイから私を護ってくれたみたいに。ステージから落ちた私を助けてくれたみたいに。鈴村くんは、損得を考えずに、誰かを助ける心を持っている。

「……私の中ではね、主人公は、鈴村くんだよ」

「自分が?」

 鈴村くんはきょとんとした顔になる。

「誰かがピンチの時に、さっそうと駆けつけて、自分の身をていして助けてくれる。子どものころから、みんなが憧れるヒーローだよ……私たち、お互いがお互いの主人公になっていたんだね」

 私が言い終えると、鈴村くんは、手の甲で口元を隠した。黒目を横に逃がして。両方のほっぺたをサクランボにして。


 ——世界という大きな物語の中だったら、私はただの脇役だろう。名前もつかないエキストラかもしれない。

 だけど、つむがれる物語は、一個じゃない。

 命の数だけ物語がある。物語が違えば、主人公も違う。

 タロットカードの示す意味が人によって変わるように、ある人物が脇役か、悪役か、主人公かっていうのも、読む人によって変わるんだ。

 「誰かの未来あすを取りもどす、ミチビキ人の物語」の中で、私は主人公になれたんだ。鈴村くんと一緒に。


「……月嶋が、自分を主人公にしてくれるなら」

 鈴村くんの口元から手が離れた。熱のこもった視線が私を貫く。

「演じてくれないか。ヒーローが、絶対に護ると誓った相手を」

 そのお願いの言葉を聞いて、私は、劇の終わりのやり取りを思い出した。王子と将軍——水川くんと鈴村くんの会話を。

『こんなにムキになったバロガーは初めて見たよ。もしかして、彼女に気があるのかな。お堅い将軍様だったのにね』

『……そうだ。彼女を護るためなら、この身ですら、いくらでもなげうてる』

 鈴村くん、さっき、言ってたよね。「途中から、役として言っているのか、自分の本心なのか、分からなくなった」って。

 私と美香ちゃんの台詞は、自分たちの本心の主語を言い換えただけだ。月嶋日景をサリサに、朝比奈美香をエミーアに。

 ……水川くんと鈴村くんも、同じだったとしたら?

 私や美香ちゃんみたいに、自分の本心の主語を、劇に合わせて変えただけだったとしたら?


 鈴村くんの、真っ直ぐで、熱いまなざしが、答え合わせをしてくれた。

 口数が少なくて、落ち着いていて、他人を助ける優しさと強さがあって……そんなヒーローから向けられた目線は、私の心をあっという間にとかしてみせた。

「……うん」

 大きくはないけれど、はっきりと、私はうなずいた。

 ……ミチビキ人の物語だけじゃなくて、私は、もうひとつの物語にも出演できるみたい。

 どんな物語かって? それはね——


 私たちは、しばらくの間、お互いを見つめ合っていた。だんだん気恥ずかしくなって、顔中が熱くなっていく。

 まるで鏡を見ているみたいだったから、なんだか愉快になってくる。恥ずかしさと愉快さが混ざり合ったこの気持ちに、なんていう名前がついているのかは知らない。分からないから、心地よいくすぐったさが生まれてきて、私たちは、同じタイミングではにかんだ。


 ——もうひとつの物語は。

『みんなが憧れる主人公の、ヒロインとして頑張る物語』……なんちゃって。

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タロットカードで導いて 月泉きはる @kiharu_tsuki

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