赤く染まったノート

亜咲加奈

ほんとのことなんて、言うわけないじゃん。

 朝教室に入ると、小谷野さんが泣いていた。

 過呼吸になるんじゃないかというくらい、泣いている。

 小谷野さんは私と同じ文芸部員だ。

 私の席は小谷野さんの前なので、席に座るためには、小谷野さんの隣を通らなければならない。

 小谷野さんの周りには、やはり文芸部員の、小谷野さんがいつもお弁当を一緒に食べている石橋さんや川崎さんがいて、小谷野さんの背中をさすったり、小さな声で話しかけたりしていた。

 私はその横を通って自分の机の上に教科書やらノートやら学校貸出のタブレットやらが入って子供ひとりぶんくらいの重量になったリュックサックを置く。

 椅子を引いて座ろうとすると、川崎さんが私を振り返った。

「ねえ本島さん」

 まるで私が小谷野さんを泣かせた犯人であるかのような口ぶりで、とがった声を出され、私は半歩後ずさる。

「藤先輩って三年なん組」

 藤先輩。確かに文芸部にそういう名前の三年生はいる。しかしなん組かまでは私は知らない。

「知らない」

「絶対藤先輩だよ。藤先輩がやったんだよ」

 川崎さんがまるで呪いの呪文でも唱えるように私に言う。

「これ見てよ」

 今度は石橋さんが、小谷野さんの机の上に広げられたノートを指さす。

 そのノートはびっしりと文章で埋まっていた。その文章の上から赤いボールペンで、これまたびっしりと文章が書かれている。

「せっかく書いた小説の上から全部直されるって、こういうことはするなって、前に牛込が注意してたじゃん。絶対藤先輩だよ」

 牛込とは文芸部の顧問だ。私たちの学校の卒業生で、私のクラスで国語を教えている。

「藤先輩がやってるってどうしてわかるの」

 私が聞くと、石橋さんのメガネの細いフレームが光った。

「そういううわさだよ。塚越さん、急にやめたじゃん。藤先輩のせいみたいよ」

 塚越さんは隣の三組の生徒だ。確かに入部三ヶ月で姿が見えなくなった。

「学校にも来てないんだって」

 そこへ担任の水野先生が入ってきた。

「どうした、小谷野」

 泣き止まない小谷野さんに近づき、さらに真っ赤になったノートを見て顔色を変え、水野先生はノートを持ち上げ小谷野さんを抱えて教室から早歩きで出ていった。

 五分後、副担任の唐津先生が走って教室に入った。

 ショートホームルームが始まった。



 一時間目が始まる直前、数学の神田先生が私、川崎さん、石橋さんを呼びに来た。

 職員室の隣の小会議室には先生が二人いた。授業担当ではないので私は名前を知らない。

 入った私たちに、神田先生は告げた。

「小谷野さんのことで、ちょっと聞きたいことがあるんだよね。授業は欠席にならないから」

 川崎さんと石橋さんは先生たちと部屋を出ていった。

 神田先生は柔らかい声で話しかけてきた。

「今朝教室に入ったら、小谷野さんが泣いていたのは知っている?」

「はい。私の後ろの席なんで」

「ノートに赤で書き込みがされていたそうだけど、それについて何か知ってることある?」

「藤先輩がしたんじゃないかって」

「藤って、三年三組の、藤ちはやのこと?」

「すみません、クラスとか下の名前とか知らなくて。それに、先輩たちとあまり話さないし」

「でも文芸部員に藤って一人だけだよね。前から後輩のノートに赤で書き込みをするって話は聞いたことがある?」

「そういううわさがあるって、聞きました」

「誰からかな」

「石橋さんから」

「同じクラスのね」

「そうです」

 神田先生がにこっと笑った。

「いきなり呼び出して悪かったね。ありがとう。こういうことがないように、我々生徒指導部としても全力を尽くします」

 私は解放された。同じ頃、石橋さんも廊下に出てきた。

 私たちは並んで、静まり返った廊下を歩く。

「何聞かれた」

 石橋さんが小声なので私も声をひそめる。

「小谷野さんのノートに赤で書き込んだのは誰かって」

「あたしも」

「何て答えた?」

「藤先輩がやってるってうわさを聞いたことがありますって」

「誰に聞いたの」

「塚越さんから。あたし、同じ中学なんだ」

「何でそんなことするのかな」

「塚越さんと小谷野さんにだけじゃないみたいよ」

 川崎さんが追いついた。

「遅かったね」

 私が声をかけると川崎さんはマシンガンに入れた弾丸のように言葉を撃ち放した。

「全部ぶちまけてやった。藤先輩のしたこと。あたし斉木先輩から全部聞いたんだから。藤先輩、斉木先輩が一年生の時にも同じことしたんだって。斉木先輩強いじゃん。だから耐えたけど、それでやめてった部員何人もいるんだって」

 私たちは何事もなかったかのように教室に入った。担任の水野先生の授業だ。水野先生も他の子たちも、何事もなかったかのように私たちを無言で迎えた。



 昼休み、文芸部員が大講義室に集められた。

「藤先輩いないじゃん」

 川崎さんの小さな声が私の耳の横でする。

 小谷野さんは顔をタオルでずっと隠している。

 顧問の牛込先生、副顧問の真下先生が前に座っている。生徒指導部の神田先生もいる。

 牛込先生は固まった目で話し出した。

「今日、集まってもらったのは、この部活で、不適切な行為が行われていたからです。部員がせっかく一生懸命書いた小説を、部員の許可も得ずに赤で直接ノートに書き込んで直すという行為です。それをされたために、部活をやめた部員もいます。もう二度とこんなことが起こらないように、それぞれ考えてきてもらいたいです。三日後、部室でミーティングを行います。それまでに意見をまとめてきてください。私からは以上です」

 神田先生も言う。

「そのような行為をした生徒には、こちらでもしっかりと指導します。安心してください」

「結局、藤さんだったんですよね」

 斉木先輩が神田先生に問いをぶつける。神田先生はやんわりと答えた。

「それについては今、答えることはできないんだ。でもね、今後このようなことで君たちが困ることがないように、我々生徒指導部としても全力を尽くします」

 斉木先輩はそれ以上追及しなかった。

 廊下に出た私と石橋さん、川崎さん、小谷野さんは、三年三組の前を通る。藤先輩がいるクラスだ。

 廊下側は透明な窓ガラスと曇りガラスが四枚、交互に並ぶ。のぞいてみた。生徒が固まっている。藤先輩がいるのかいないのか、私にはわからなかった。



 話し合いの結果、「相手の作品に言いたいことがあるなら、本人に直接、面と向かって、相手の家族に聞かれたとしてもかまわない言い方で伝える」というルールができあがった。

 それでも相変わらず塚越さんは学校に来ない。

 小谷野さんも休みがちになった上、登校したとしても文芸部の活動日にも顔を出さなくなった。

「藤先輩、学校来なくなったって」

 川崎さんが満面の笑みで私と石橋さんに報告する。

「全部藤先輩がしたことだったみたいね」

 石橋さんが言って、続ける。

「あたし、聞いちゃったんだよね。職員室に課題出しに行ったらさ、牛込と神田先生が話してて。藤先輩、全部神田先生に話したんだって。私がノートに赤で書いたんですって。部員が何か書いてると後輩を使ってそのノートを借りさせて、それが自分よりうまいと我慢できなくなって、書いちゃったんですって」

「誰を使ってたの」

 川崎さんが石橋さんの前に顔をつき出す。

「誰なんだろうね。あたしもそこまでは知らない」

 私は黙っていた。

 なぜなら私がその「後輩」だからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤く染まったノート 亜咲加奈 @zhulushu0318

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ