「特別」になった男
「人並みの」が出版されてから、約数ヶ月。彼に対する世間の評価はガラリと変わった。遺書を読んだ、彼のファンは伊藤光、本来の姿を目の当たりにして失望したらしく、ネットの声も「ただの腰抜け」「普通の人w」と彼を嘲笑するコメントが多々見られた。一方で本編である、「人並みの」は文学的に評価され、さまざまな賞を総なめにした。彼にしか出せない世界観、やけに魅力のある色っぽい文、構成の上手さ、どこをとっても一級品で、書き物を生業としている私からしてみても羨ましいものが彼にはあった。しかし倫理的な問題やこの本を書いた後に亡くなっているという事実から気味悪がる人はやはり多く居て、賛否両論の声は絶えなかったが、発行部数も現段階で50万部以上。これは大ベストセラーになる勢いだ。噂によると、映画化の声もあるらしく、遺族の方、世間の声、方々の意見を聞きつつ検討する次第らしい。
彼は皮肉にも亡くなってから「特別」な人間になった。彼には文才があったのだ。そのことに彼は死ぬまで気づく事はなかった。もし殺人など犯さずに、何かのきっかけでペンを握っていたら彼はどうなっていたのだろうか。それはもう知る由がない。もしかしたら、世の中で燻っている人たちは、今見えていないだけで、秘めるものが何かあるのかもしれない。彼のように。それは私にだって言えることだ。それは魅力的だけど。だけどそんなものはもういい。夢があっても毎日が苦しかったら意味がない。先の見えない未来よりも今あるもの。私が「特別」だと言えるものや人たちにしあわせになってもらって、また、その人たちに大切に思ってもらえればそれでいい。それをこの本が、殺人犯である「伊藤 光」が教えてくれたのだ。正直、こんな最低な人間に心を動かされたのは悔しいし気分が悪い。だが一人の人間として、同じ悩みを持った一人の凡人として、最後にこの世界に残していった功績は讃えたいと思う。
私は仕事を辞めて、実家へ帰った。もうあんな他人の粗探しのような仕事はしたくなかったからだ。私はやっぱり、私が私自身の力で生み出したもので誰かを幸せにできる仕事がしたい。自分の無力を認め、自分がそれまでたくさん苦しい思いをしてやっとの思いで手に入れたものを手放すことは辛かった。だけどそれだからといって、夢がそこで途絶えてしまったわけではない。書く仕事ならフリーライターでも小説家にでもなんにだってなれる。挑戦することを諦めなければ、いつか普通の私でも大成する時が来るかもしれないじゃないか。不思議と自信がついていた。もし挫けそうになるのならお母さんやお父さんに褒めてもらおう。お兄ちゃんはちょっぴり恥ずかしいからやめておこうかな。そうやってみんなで支え合って生きていけばきっとその1日はかけがえのない「特別」な日になるに違いない。そう信じた。
私は誰にだって「特別」になることができる魔法がかかった、悪魔の本を閉じた。
そしてまた着実に大切な明日へ向かって歩き出した。
特別になった男 松松 @ammm_1001
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