遺書

私は元来極めて「普通」な人間でした。

私には兄弟が二人おりました。それも珍しいことに私達は三つ子としてこの世に生まれ落ちました。その点では少し「特別」だったのかもしれません。私は兄と弟を挟んでの2番目の子供です。幼い頃。よくある話だとは思いますが、親でも私たち三兄弟を見分けることが難しく、ホクロの位置や歩き方の癖などで、私たちを区別していたそうです。私も兄と弟を見分けるのは困難で、3人全員が違う兄弟の名前を同時に呼ぶなんてこともザラにありました。これは三つ子ならではのことだと思います。そんな出来事があっていた頃までは私から見ても、周りから見ても、極々「同じ」な三兄弟でした。しかし当然ですが、成長していくに従って、それぞれ、性格や能力値の違いはでてきます。中学生くらいにもなればそれは顕著になりました。


兄は特に優秀でした。勤勉な性格で愚直に努力を惜しまないのにも関わらず、勉学の才があったので当たり前のごとく、エリートの道を進みました。中学校では常に成績トップ。高校も都内名門の私立高校に入り、圧倒的とまではいかないもののその才を遺憾無く発揮しました。その後は、決められたレールを走るかのように、東大へ行き、自分の事業を始め、成功するまでに至ります。


それに反して、弟はまるっきり勉強ができませんでした。家庭の中でも「将大にはできて、なんでお前はこんなにできないんだ。」(ここで言う将大が兄にあたります。)というギャグめかしい、いわゆる鉄板ネタみたいなものもできていました。この頃にはすでに兄と弟の対立構造は出来上がっていたようにも思います。


人当たりがよく、誰にでも優しい性格だったので周りには常に人がいた印象もあります。家に常に女を連れ込んでいたのも、弟でした。それに運動に関してはひときわ光るものがありました。スポーツは何をやらしてもピカイチでしたが、その高身長と空をも飛べるような跳躍力を活かす形で始めたバスケットボール。これに彼の運命の女神が微笑みました。中学、高校はその地区での最優秀選手賞。大学はその名誉を活かし、スポーツ推薦で入学。その後もスカウトの目に留まり、何部かまでは覚えていませんが、bリーグ(国内でのプロリーグにあたるものらしいです。)でプレイすることになりました。


こう思えば彼らは各駅停車のような人生を歩んでいたように思います。誰でも想像できるような、輝かしい人生。学生時代、奇跡の兄弟と呼ばれていたこともありました。そこにはもちろん、私の影はありませんでしたが。






こういう書き口なのでもうお分かりの方もいらっしゃるとは思いますが、彼らに比べて私は至って、「普通」でした。この「普通」が私を狂わせることになります。3人がまだ同じ学校に通っていた中学生時代。私は兄と弟の二人の影が重なった暗い、深淵の場所に潜っていました。入学当初は、三つ子という珍しいもの見たさで話しかけてくる輩はたくさんいましたが、一年も経つとその話題も賞味期限切れ。兄と弟の非凡な才が周りにばれ始めてからは、名前が上がるのは三組の伊藤と七組の伊藤の話ばかりで比較の対象にすらなることはほとんどありませんでした(私は一組の伊藤でした)。学校だけにとどまらず家庭内でも。スポーツが好きな父が気にするのは、そこで結果を出せる弟、自分もまた名門大卒の聡明な母の気にするところは、将来が有望な兄。勉強も運動も性格に至るまで、ただただ平均的な私は、行ける範囲のどこまででも幽霊のようになって、周りからは見えなくなるのでした。そんな凡夫な私でも高校に入ると周りから話が上がるようになりました。それは兄の存在の有無です。兄は高校から名門私立に通うことになっていたので、同じ高校には弟と私の二人だけになっていました。するとどうでしょう。周りは私のことを弟と比較する「対象」として見るようになったのです。皆「弟と比べてお前は」とか「普通だよな」とか、その言葉が必ず文の構成に入る私にとって最も痛い構文で攻撃するようになりました。私は弟譲りの少しだけおちゃらけな態度で、その攻撃をいなすスキルを身につけ、現実世界で見えなくなっていた私も、目を細めればなんとか見ることができる位の薄さに存在を留めることができるようになっていました。その頃には私は打ちどころを誤った釘のごとく、性格がぐにゃりと曲がっていました。


高校を卒業し、大学にあがると、弟はスポーツでかなりいい所に行きましたので、自然と彼とそれに付随する現実から離れられることが叶いました(兄は先述の通り、東大に通っておりました)。今思えば大学に通っていた四年間が人生でいちばんの至福の時だったように思います。見た目は普通ですが、その形で想像もできないほどにズタズタにされていた心を平常に保つため、講義は「哲学」や「心理学」を中心にとり、自分を守る術を学びました。異常な執着で講義に向かう姿勢は、なんとかなれば精神で来ている学生にとっては、私はおかしな人間だと思われていたと感じています。しかしそれが気持ちのいいことと思ってしまうくらいに私の心は傷つけられていました(おかしな人間は現実世界から尖ってはみ出ている「特別」な人間なのだと思っていました)。その心をどうにかして壊すまい壊すまいと死に物狂いで修復し続け、結果、壊れかけの精神はグラグラですが、なんとか間一髪保つことをできるようにはなっていました。生活をするにあたっては、バイトも始めましたが、私は比較されることを非常に嫌いましたので、なんの作業をしても周りと差のつくことのない「没個性」的なものを選びました。そのもの選びは就活で仕事を探す際にも十分に発揮され、興味はありませんでしたが、「事務職」という作業が中心の仕事に就きました。私の人生で最も幸せだと感じていた四年間は、人並みの恋愛をして、誰でもに入れるようなサークルで交友を深め、いくつか興味のあるものに挑戦することもしてみましたが、天性の「普通」さで結局、平均値の大学生活に収まるのでした。




大学卒業後、就職が決まっていた「事務」の仕事を卒なくこなし、堅実で平和な毎日を過ごしていました。しかし、そんな中、私にとって人生の選択を誤る契機となる出来事が立て続けに起ったのです。それは大きな衝撃を伴って悪魔に手招きされているかのように、私を最悪な結末へと導きました。




会社に入社し、2年ほど経った頃、年は同い年くらいでしょうか。一人の若い女性が同僚として入社してきました。聞くに前の会社が所謂ブラック企業で待遇が芳しくなく、痺れを切らし、辞表を届けて、こちらに転職してきたとのことです。顔立ちも綺麗で、誰とでも友好的な性格でしたので、私も例に漏れず、彼女のことを気になっていました。しかし。ある日突然でした。普段特に私に対して、気にかけて話すこともなかった彼女が、私に何か目の奥に光るものを伴って、声をかけてきたのです。その内容とはお茶の誘いでした。なんで。少し不審な気持ちではありましたが、単純に彼女のことを気になっていたこともあり、私は快くその誘いを受け入れることにしました。お茶は特に変わった様子もなく。なんなら、彼女の私に見せるそのとろけるほど甘い笑顔はきっと天使か妖精の類に違いないだろう。と浮かれていました。その時には不審な気持ちなどとうにありませんでした。それ以降は、定期的に彼女から何か誘われることが多くなります。てっきり好かれているのだと錯覚していました。その思いもある日打ち破られることになります。そろそろ彼女に思いを告げる時期だと意気込んでいた頃。例によって彼女にご飯の誘いを受けました。私はここだとばかりに、いつもより2倍近くの時間をかけて身なりを整え、いつもよりも2個はグレードの違うレストランを予約し、一時間前には現地に着き彼女の到着を待ちました。彼女が到着すると、心なしかいつもよりも数段綺麗に見えた彼女を連れ、そのままの足取りでレストランに向かい、できるだけスマートな対応で受付を済ませ、席につき、注文をしてから料理を待ちました。そして、ふと会話を始めようとしたその時、彼女の本来の。私に近づいた卑怯で姑息な計画が暴かれたのです。弟さんってバスケット選手だよね。その枕詞から始まりました。しかし、私はその一言を聞いただけで全てを理解しました。そういうことだったのか。一種の諦念に似た気持ちと、それよりも遥かに勝る怒りの感情が胸を襲い、私は言葉を詰まらせました。そのあと彼女が続けた言葉は聞いていません。適当にはぐらかし、急用ができたと告げてその場を去りました。しかし私がその黒い感情を向ける相手は、この性悪な女ではなく、一度はこの私の前から消え去っていたあの忌々しい弟の存在でした。こんなとこまでついてくるのか。同じ環境にいなくても、同じ場所にいなくても、同じ血が流れていて、彼にまつわる過去があるだけで、私はいつになっても苦しめられなければいけないのか。そう思ってしまったのです。その瞬間には、「今までの時間は何だったのか」や「これにかけたお金がもったいない」などの感情は毛頭なく、ただただ単純に彼に対する怒りの感情だけが溢れていました。でも、それだけなら良かったのです。




その出来事から2年ほど経った頃。私は仕事の方は堅調でしたので、そちらの方では不満は感じていませんでした。なんならいい調子なのではないかとも思っていました。というのも、出来は大したこともないと思いますし、単に事務ですから、褒めるほどのものなど特にないと感じられるのですが、やけに最近上司から称揚されるのです。何かがおかしい。この時にはもうピリッとしたいやーな勘が頭の隅にはありました。ただ気にしないように。臭い物に蓋をするかのように。何も気にならないという具合で仕事を続けていました。ある日です。何でもないような日に社長に呼び出され、普段行くことのない社長室に向かうことになります。ついに何かやらかしてしまったのかと不安にもなりましたが、思い当たる節が一つもありませんでした。社長室につくと社長はどこか神妙なおもむきで、私を見つめ、よそよそしい世間話を始めました。もうその時点ではあらかた予想はついていたように思います。駄弁を散々聞いた後、もうこれでそろそろよかろうと思ったのか、話を変える言葉で話題を切り替え、本題に入りました。嫌な感は見事に的中しました。その内容とは、兄の経営している会社を取引先として契約したいので、お前の口で何とか契約してくれないか、そうすれば職位を上げることを約束しようとのことでした。こいつもか。そう思いました。しかしこの時私は、以前のような燃えたぎる怒りはどこにもありませんでした。代わりに凍えるほど冷たく、そしてどこまでも静かな悲しみがそこにはありました。仕事でも恋愛でも家でテレビを見ている時だって。みんな口を開けば兄や弟のことばかり。なんでいつも兄なんだ。弟なんだ。同じ両親から生まれているはずなのに、同じ血が巡っているはずなのに。なんで自分だけこんなにも特徴がないんだ。心の底から嘆きました。悲しい。その思いが心臓から送り出された血液を伝って全身に伝わりました。その後どう過ごしたか、何を思ったのかはあまり覚えていません。








その二つの出来事が起こってから、私が決断に至るまではそう遅くはありませんでした。思いついたのです。唯一無二の特別になる方法。簡単です。私を今まで「普通」たらしめていた元凶で、行先どこまででももついてくる鬱陶しい存在は兄弟でした。ならいなくなればいいのじゃないか。つくづく自分の考えの普通さにため息が出ました。しかし考えるだけなら誰でもできますが、実際に行動に移すのは別です。私は思い立ってからくる日もくる日もそのことだけを考え、計画を練り上げました(計画の内容は話さないことにします)。そしてきたる日、兄弟を呼び出し、私はこの手で、二人を手にかけました。怖かったのです。犯行に至る直前、私は刑事ドラマの模範の犯人像のように今まで感じた全ての感情を彼らにぶつけました。そして返答を聞くまもなく刃を突き立て、練り上げた計画通りにその尖った鋭利な金属を彼らの胸にグサっ。と突き刺しました。ヤってやったぞ。私はついにやってやったという高揚感と、反対にやってしまったという緊張で一瞬、周りの音が何も聞こえなくなりました。しかし、聞こえたのです。そんな無音の世界の中で、聞き馴染みのあるどこ懐かしいふたつの優しい声が私の耳に届きました。「今までそんな気持ちにさせていたのか。ごめん」と。彼らは何も悪くないのに。最後まで主役のようなセリフで。そう言い残し、私の手の中で亡くなりました。その間は2秒もなかったと思います。考える間もなく私は泣き出していました。私はやはり、どこまでも「普通」な人間だったのです。


今巷では私は犯罪史における神として神格化されているそうですが、そんなたいそうな人間でもありません。無機質な「綺麗な犯罪をやりたかっただけ」「警察に見せつけてやりたかった」みたいなサイコな感情は持ち合わせてなく、ただただ執拗な嫉妬と妬みが入り混じった感情が普通以上に捻じ曲がってしまっただけのモンスターなのです。結果的に犯行は完全犯罪となりました。その点では何かしらの才能があったのかもしれませんね。しかし実の兄弟を殺しておきながら、平然と生きていられるほどの強靭なハートはどこにもありませんでした。誰かに殺してほしい。その一心でした。親は、実の息子を殺した相手でもその相手は実の息子ですから当然その願いを叶えてくれるわけでもなく。私は縋る思いで交番に駆け込み自首をしました。これが事件に至った経緯と心情の全貌です。




そろそろこの筆も置かせていただこうと思います。裁判はこの全貌と親の私に対する心情を汲み取り、不幸にも無期懲役の刑となってしまいました。これが一番私にとっては償いになるのです。当然だとも言えますが、けれどそんな絶望は私には到底無理でした。自分のエゴで人を殺した。しかもその相手は、実は一番自分のことを見てくれていた実の兄弟だった。私は計り知れない罪悪感と無念で今にも弾け飛びそうでした。私はどうもこの耐え難い痛みに耐えきれそうにもなかったみたいです。この文を書き終え、今まで迷惑をかけた両親と皆さんに送る本を綴ったあと、私は舌を噛みきりこの世から離れようと思います。ここまでお読みくださった方がいらっしゃったのならありがとうございました。




最後に。私は「特別」な人間になろうとして失敗し、道を誤りました。もしかすると今そうなってしまいそうな人や、今後そうなる未来を辿ってしまう人もいるかもしれません。殺人犯で、ノーマルヒューマンのトップである私から一つアドバイスをするのであれば、「特別」になる必要などこれっぽっちもありません。大切なのは、自分が「特別」になるのではなく、自分が誰かの「特別」になることが大事なのです。皮肉にも私はいなくなってから兄や弟の愛に気づきました。学生時代、勉強を熱心に教えてくれていたのは兄です。弟も私が何か話そうとして言い出せず、伏目がちになった時、気にかけて、話を回してくれていました。そんな些細な気持ちに気づけなかったのは、私の嫉妬や妬みの感情が邪魔で見えなくなっていたからです。もし天国で彼らに謝ることができたのなら、許してもらおうなどそのようなことおもっていませんが、せめてこの感謝の気持ちだけは忘れず伝えようと思います。


これは皆さんにも言えることだと思います。有名な歌詞を借りるならば皆さんは『元々特別なオンリーワン』なのです。絶対にあなただけができることがあるとは言いません。だけどあなただけを見てくれる人、あなたを大切に思ってくれる人はいます。その人の「特別」にぜひなってください。そうするとあなたの人生が幾分かましになると信じています。




どの口が、と思うのも仕方がないと思いますが、私と同じような思いをしている人にこの思いが届けばと思い、そんな気持ちを、本に綴らせていただこうと思っています。題名は「人並みの」です。私なりのいい題名だと思い、満足しています。犯罪を助長する気もありませんので、私が犯行に用いたトリックは一切明かすつもりはありません。しりたい方はお好に暴いてどうぞ。殺人犯が書いた本ですから気味が悪いのは当然ですし、おそらく文才もありませんから面白く書けるのかは分かりません。しかし、何かを求めて彷徨うあなたへ。何もないことに苦しみ、道を踏み外してしまいそうなあなたへ。この本が手助けになれば、幸いです。




では、この辺で私の言葉は締めさせていただきたいと思います。さようなら。愛すべき皆々様に均しい幸せを。


伊藤 光

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