特別になった男

松松

「伊藤 光」

「伊藤 光」


この名前は今、日本中誰に聞いても誰もが「知っている」と答える名だろう。こう答える人もいるかもしれない。「彼は神だ。」「彼は天才だ。」と。


数ヶ月程前、あるニュースが話題となった。「三つ子。兄弟殺人事件」。三つ子の次男である犯人、伊藤光が、兄と弟である将大さん、翔さんを殺害した事件。これだけを見ると一見ありそうな事件のようにも見えるが、実は違う。なぜならこの殺人は完全犯罪だったからだ。証拠、証言が一切残っておらず、どこで亡くなったのか、いつ亡くなったのかすらわかっていない。そんな完璧な犯行にも関わらず、伊藤は自分の足で警察に赴いて自主。「私がやった」と、すんなりと告白した。あろうことか犯行に使用したであろうナイフと将大さん、翔さん両名の血痕がついた、衣類を証拠として提出し、自分が確実にその事件の犯人であることを証明した。こういった背景から、この殺人事件、「伊藤 光」には盲信的なファンがいて、一部では神格化されている。「警察への当てつけだ」という意見や、「完全犯罪の美学を唱えたのだ」という意見など、様々な憶測も飛び交っているが実際のところはよくわかっていない。


そんな「伊藤 光」が先日亡くなった。死因は自殺とだけ明記されており、詳しくは書かれていなかった。それほど残虐な死に方だったのだろうか。それと同時に彼が書いた書籍が出版することに決まったとも書かれていた。その記事が上がって以降、もちろんネットは荒れて、「呪いの本だ」「本当に奴は神だった」という声が次々に上がっていった。




私も彼に関する事件に興味がある人間の一人だった。なぜなら、ネタになるから。私は幼い頃から文章を書くのが得意だった。何か物語のようなものを作ると、その度に母や兄に自慢をして、見せびらかしていたように思う。物語や感想文。学校で作るポスター。自分の作品が誰かを笑顔にすることがたまらなく嬉しかった。高校も小論文が比較的高評価だったのでその実績を活かし、大学の進学に役立てた。勉学も並行して精進し、無事志望の大学に合格。学部も文学部で、全部が全部。とはいかないもののまた好きなことができることに喜びを感じていた。3年もすると、仕事で何かしらの職に就くことを志す時期になる。もちろん目指すのなら、興味のある仕事が良かった。せっかくなら自分が作ったもので誰かを喜ばせることができる仕事。今まで好きで続けてきた文の勉強。いつか、文章を上手に書くことができる。という能力を活かせる仕事に就きたいとは常々思っていたので、それらの思いと親和性が高い編集者を目指すことにして、目標に向かい日々励んだ。やっと夢が叶うんだ。私にとってはハードルの高い目標でもあったが、努力の甲斐もあってか見事志望先に就職できることが決まり心が躍っていた。 そこまでは良かった。


しかし幼い頃からの夢でもあった、字書き。実際の編集者の仕事はそんなに甘いものではなかった。自分の実力が全く通用しない。どれだけ工夫を凝らし、時間をかけて文を練り上げても、面白い文を書ける人にはそれだけで負けるし、そもそも記事を雑誌に載せてもらうことすらできない。こんなに頑張っているのに。そう思う夜はいくつもあった。それに能力を認められないことに甚く自分のプライドが傷ついていた。だって今までは苦労こそしたものの必ず結果はついてきていたのだ。読書感想文でも佳作をとった。小論文の模試では校内で一位だった。今まで作ってきたポスターやちょっとしたウェブの記事もたくさんの人に褒められてきた。何かがおかしい。飛び抜けてさえいないものの、しっかり能力はあるはずなんだ。なんでもいいから結果が欲しかった。このままじゃ埒があかない。そう嘆いていた時、唯一簡単にできて、しかも世に売れる記事を書くことができる方法を発見した。それはインパクトのあるネタを見つけること。芸能人、社長、著名人、各個人の私生活でのスキャンダル。戦争ネタや事件、事故の新情報。たったその一つの情報を掴むだけで。私は私の文章を書けて、それを世に出すことができるのだ。結果が欲しい。今回私が伊藤光に関する一連の事件、出来事に目をつけたのもその最たる例だった。これがネタになることは間違いなかった。


加えて私は奴のことが嫌いだった。殺人犯なのにチヤホヤされているのが気に食わない。ただ異常な思考をもった異質な存在なのに、「神」だとか「天才」とかって褒められる意味が理解できない。私はこんなに努力をしているのに報われない。こんな奴死んで当然だ。死んでからも汚い言葉を浴びせられて、地獄で苦しめばいい。そう思っていた。




「伊藤 光」の本が出版される日当日、本屋には大量の人が押し寄せていた。まるで人気アイドルがそこにいるかのような盛り上がりだったが、私も記事を書くため、必死で人だかりの中に飛び込み、死ぬ思いで本を手に入れた。ほんとにアイドルじゃん。側からすると自分も奴に対して熱狂する他のファンと同じように見えていると思うと吐き気を催したが、少なくとも読み終えるまでは絶対に吐かないと心に決め、本を手にとった。本の中には伊藤本人が綴ったであろう字体の遺書のようなものが小冊子で一緒にまとめられており、小説の内容とは少し異なるらしく、「先に読んだ方が良い」とのことだったのでとりあえずはそちらから先に読むことにした。はあ。私はさっそく文字に目を通すことにした。殺人犯の言葉。少し緊張していたが、語り口調のその生々しい文章をおじおじと読み始めた。

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