第13話 千歳と春菜
春菜はあれ以来千歳には会っていない。
以前のように学校にも通い出した千歳を周りのみんなは最初遠巻きにしていたが、記憶喪失という病気で以前のことを何も憶えていない千歳の世話を色々と焼くうち、自然と受け入れていったようだった。
確かにこの子はかわいそうな子だとは思う。でも目の前の子を千歳だと認めたら本物のちいちゃんはどうなる?ちいちゃんは確かにいた。ここで春菜といっしょに遊んで笑っていた。いっしょにお風呂に入っていっしょのお布団で眠った。ちいちゃんは両親が死んでしまった悲しみに耐えて懸命に生きていたのだ。
春菜はお母さんの言葉を聞いたとき自分が納得できなかった理由がはっきりと分かった。やっぱり私はこの子をちいちゃんとは認められない。
千歳は教室では何かにつけて春菜の方を気にしている風だった。他の子達としゃべっているときも、ちらちらとこちらを見ているのが分かる。でも春菜はそんな千歳の視線を無視し続けた。
放課後春菜は友達と遊んでいる。でも千歳が誰かと遊んでいるのを見かけたことがない。狭い村だから外で遊んでいたら大抵は目に付くし、誰かの家で遊んでいたとしてらその子がいないから分かる。
ちいちゃんも春菜以外の友達はいなかった。いつも二人で遊んでいた。春菜は千歳がひとりぼっちでいるところを想像して何故かひどく胸が傷んだ。自分から仲間に入れないのはちいちゃんと同じなのかもしれない。ひっこみ思案で、甘えん坊だったちいちゃん。私はあの子を認める訳にはいかない。絶対に。でも……
春菜は割り切れない思いをかかえ、思案しながら俯いて海沿いの道を家に向かって歩いていた。海に沈みかけた秋の夕日が消える前の真っ赤な光芒を放っている。
歩いている先の防波堤に誰かが座っていることに気がついた。女の子が防波堤から両足を海側に垂らして座っている。全身が夕日を浴びて真っ赤に染まり、後方に長い影を作っている。
そこはちょうど、いつもちいちゃんが座っていたところだった。春菜は一瞬ドキッとして立ち止まった。
「ちいちゃん?」
そう言ってから春菜はすぐに気がついた。ちいちゃんじゃない。あの女の子だ。こちらを向いた女の子はやっぱりあの千歳だった。
ひとりぼっちで海を見て座っている女の子。記憶を無くし、自分が誰かも分からず、お父さんやお母さんもいない。そしてこの子には側にいてくれる友達もいない。
春菜は胸が詰まって涙が溢れそうになった。この子はちいちゃんじゃない。でもこの子が悪いんじゃない。頼子ばあちゃんがちいちゃんだと思い込んでそうなるように仕向けただけ。そうしないといけなかった頼子ばあっちゃんだって可哀想だ。誰も悪くはないのだ。
春菜は千歳に悟られないように素早く袖でぐいっと目元を拭うと千歳に向かった歩いていった。千歳もずっと春菜を見ている。ちょうど夕日が海に沈んで半分だけ赤く染まっていた千歳の顔が暗く沈んだ。
「何してるん?」
春菜は声をかけた。その台詞は以前に千歳に始めてかけた言葉と奇しくも同じだった。
「海、見てるん」
思いがけず返ってきた答えも同じだった。
「海、見てて面白い?」
そう聞いたらちいちゃんは黙ってしまったっけ。女の子は海の方を見ながら、
「うち、どっから来たんかなあって考えててん」
「あんたは千歳やろ?頼子ばちゃんの娘さんの子供で、頼子ばあちゃんの孫で、どっかの都会で育って、ご両親が亡くなってしまって、この春に頼子ばあちゃんのとこに来たんやろ?」
その子は春菜の目をじっと見て、
「ほんまにそう思う?」
春菜は返事に詰まった。違うと言ったらこの子を傷つけることは分かっている。春菜はぐっと手を握りしめ、決意を込めて話した。
「あんたは千歳や。頼子ばあちゃんがそう言うんやから間違いない。けど、私が知ってる千歳とは違う。それだけや」
その子はよく分からないという様子で首を傾けた。
「そやから私もあんたを千歳って呼ぶ」
ちいちゃんとは呼ばない、という言葉は口には出さず心の中にしまった。
「私のことは春菜って呼んで」
やっぱり春ちゃん、とは呼んでほしくはなかった。そう思うことで春菜は自分の心にぎりぎりのけじめをつける決意をした。
「春菜ちゃん?」
「うん」
「千歳」
「はい」
二人ともくすっと笑った。
「帰ろか。ばあちゃんがきっと心配してる」
「うん」
以前にも同じことがあった。あのときも春菜は千歳を連れてこの道を歩いて頼子ばあちゃんの家まで千歳を送って行ったのだ。春菜は時間が巻き戻されたような不思議な感覚を覚えた。
頼子ばあちゃんは玄関先で千歳の帰りをうろうろしながら待っていた。その様子もまるで同じだ。何もかも元通りに戻ったような気がした。ただ一つのことを除いて。
「ただいま、ばあちゃん。遅なってごめん」
「春菜、これはいったい……」
「千歳、明日学校終わったらいっしょに貝殻拾いに行こか」
「うん、行く」
そんな会話を交わす千歳と春菜を交互に見て、頼子は困ったような少し複雑な笑顔を作った。それはまるで泣き出しそうな顔にも見えた。でも春菜が『ちいちゃん』ではなく、『千歳』と呼んでいるのを聞いて納得したようだった。
「じゃあ、また明日な。おやすみ、千歳」
「うん、学校でね」
帰ろうとする春菜を頼子ばあちゃんが呼び止めた。
「春菜」
「うん?」
「千歳を頼むなあ」
頼子ばあちゃんは春菜の両肩に手を添え、まっすぐに春菜の目を見てそう言った。その目は少し潤んでいた。
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