第14話 平穏な日々

 秋がきた。頼子ばあちゃんの畑の野菜たちは葉の間や土の中に秋の実りをいっぱいに実らせた。おかげで千歳とばあちゃんは二人で収穫に大わらわの日々を送った。人参、茄子、ほうれん草、かぼちゃ、さつまいも……。

 腰を屈めた姿勢での収穫作業はきつかったけれど、ばあちゃんの作った野菜は自分で育てて収穫したという思いもあって、どれも格別においしく感じられた。


 村の生活はほとんどが自給自足で営まれている。林業を生業にしている家々からは山の幸の松茸や栗が回ってくるし、漁業を営んでいる家々からは季節の魚、貝、海藻。農業を営んでいる家々からは米、野菜が回ってくる。

 基本的には物々交換であるが、みんな人にあげることを考えて最初から余分に作っているから、村全体が共同体として自給自足が成立しているのである。


 村のあちこちにある柿の木には柿の実がたわわに実る。それを採るのは子どもたちの役目と決まっているわけではないが、子どもたちは競って柿の木に登ったり、先に切り目を入れた専用竹竿で挟んだりして柿の実を収穫する。渋柿は皮を剥いてから軒に吊るす。どこの家にも軒から吊るされた干し柿がずらりと並んだ風景は、秋も深まったこの村の風物詩のようなものだ。

 千歳も春菜や村の子どもたちといっしょになってあちこちの柿の木をめぐり歩き、大量の獲物を抱えて意気揚々と頼子ばあちゃんのところへ帰ってくる。



 冬。紀伊半島の南の方に位置する千歳の村は比較的温暖で冬でも雪が降ることはめったになく、山の南斜面ではみかんを栽培している農家もあった。

 年の瀬が近づくと、ばあちゃんと二人で大掃除。千歳も自分の部屋の掃除をする。でも、そこにある物はどれも自分のものである実感がない。何か思い出すかもしれないと思って部屋の本を手当たり次第に読んでみたりもしたが無駄だった。ただ、本の内容はおもしろいなと思った。こんなにたくさんの本を与えられていた本好きの少女はきっと両親にもばあちゃんにも愛されていたんだろうなと思う。


 棚のもの、机の中のものは動かさないで、埃だけを拭き取って元の位置に戻す。捨てるものはない。そこでブリキの缶を見つけた。開けてみると中にはきれいな色々な貝殻が入っている。そのなかにハンカチで丁寧に包まれたものがあった。恐る恐る開いて見ると、なかにはピンク色をしたちょうど桜の花びらのような形をした二枚続きの貝殻が入っていた。

「きれいやなあ」

 しばらくうっとり眺めていたが元通りていねいに包み直すと、缶に入れて再び蓋をした。


 正月元旦の朝。「あけましておめでとうございます」と挨拶したら、いきなりばあちゃんに着物を着せられた。お母さんが小さいときに着ていたものだという。ばあちゃんも今日ばかりは着物を着て畑仕事もお休み。

「もうちょっと髪が伸びたら結い上げてやれるんやが……」

 千歳は髪をずっと伸ばしている。今ようやく肩にかかるぐらいまで伸びた。

 切りたいと思わないということもあるが、以前の千歳の髪は背中の真ん中ほどまでもあったらしい。だからそこまでは伸ばそうと思っていた。ばあちゃんもそうして欲しそうだったし。


 着物を着た記憶はもちろんないけど帯が苦しくて座ったり立ったりすることさえ大変。やたらと裾が長くて手を動かしづらい。二人でお雑煮を食べ、年末に千歳も手伝って作ったおせちをいただく。

 お雑煮をこぼさないようにしつつおせちをつまむ。袖を汚さないようにと動きが慎重になる。


 昼前、「あけましておめでとうさん」

 そう挨拶する声が玄関から聞こえた。千歳が玄関に出たところ着物を着た春菜が立っていた。春菜の髪も千歳と同じくらいの長さだ。彼女はそれ以上伸ばす気はないようで、ずっと同じ長さを保っている。

 今日は頭の後ろで普段はしないような飾りのついた髪留めで横の髪を後ろ側でまとめている。いつも活発な彼女がこんな女の子っぽい恰好をしているところを見て、千歳はちょっと驚いて目を見張った。おばあちゃんも顔だして、

「あけましておめでとう。あれ、きれいやなあ。そうやってると春菜も女の子に見えるな」

「そうか?照れるわあ」

「春菜ちゃん、今のは怒るとこやで」

「え、なんで?きれいって言うてくれたのに?」

「そのあと『そうやってると女の子に見えるな』って言われたんやで」

「女の子らしいってことやろ?怒ることないやん?」

「あはは、春菜は相変わらずやなあ」

 おばあちゃんが笑う。

「えへへ」と春菜も笑う。そんな春菜の様子に呆れて千歳も笑う。


「千歳、羽根つきしよ。羽子板と羽、持ってきたで」

 家の前で二人で羽付きをしていたら同じクラスの女の子が通りかかった。

「これからみんなでトキちゃんの家に集まって遊ぶことになってるんやけど、春奈と千歳も来えへん?」

 トキちゃんこと須崎時子。お父さんが漁師をしていて時子丸という名前の大きな船を持っている。人を雇って遠くまで魚を採りに行くこともあるらしく、外国のお土産を時子が学校で見せているところを何度か見かけたことがある。漁港近くにある時子の家は一際大きくて立派だった。

 千歳は困った。今日はお正月だし、おばあちゃんといっしょにいたい。

「うちら、頼子ばあちゃんの家で遊ぶことになってるねん」

 春菜がきっぱりと言った。

「そうなん?ほな、またね」

 そう言うと、他の子たちはトキちゃんの家へと向かって歩いて行った。別に気を悪くした風もなかったとようで、千歳はほっとした。

「春菜ちゃん、行かんでよかったん?」と聞いたら、

「千歳は行きたかったん?」逆に聞き返された。

「うちは、おばあちゃんといっしょにいたかったし……」

「トキちゃんって、いつも自分の自慢話ばっかりするから、うち好かんねん」

 トキちゃんは学級委員長をしていてクラスでも人気者だ、と千歳は思っている。だから春菜の言葉を聞いたとき、トキちゃんにもそんな一面があるのかと意外な感じがした。

「それより、羽根つきの続きしよ。今度から負けた方の顔に墨ぬるねんで」

「ほな墨持ってくる」

 羽付きの腕前はほぼ互角で、おかげでお互いの顔が墨だらけになった。ばあちゃんば真っ黒になった二人の顔を見て、呆れながらも吹き出した。


 春。村の神社の桜の枯木が今年も満開の花を咲かせた。千歳がこの村へ来て一年が過ぎ、千歳も春菜も6年生になった。各学年は1クラスしかないからクラス替えもなし。5年生からそのまま持ち上がりになる。ただ担任の先生は各学年毎で決まっているから6年生の担任の先生に変わった。


 記憶喪失といっても千歳が何もかも忘れてしまったわけではない。いっそその方が話は分かりやすいのかもしれないが人間の脳って不思議だ。全部忘れているならお箸も持てないだろう。そもそも言葉だって喋れないはずだ。彼女は学校の授業には普通についていっているから学校で学んだことは覚えているらしい。ただ、どこでどんな風に学んだかを覚えていない。そう、どこで生まれ、どんな風に育ったのかという記憶が抜け落ちているのだ。


 再び夏がやってきた。7月になると学校の体育の授業が水泳になる。

 時は1963年。翌年の64年には東京でオリンピックが開催されることになるのだが、それに先立つ1961年、スポーツ振興法が制定され、各学校にプールを建設するための費用を国が補助することが定められている。

 ただ、人口も少ない田舎の村の小学校にプールができるのはもう少し先のことで、まだ川や海で水泳の授業が行われるのが普通だった。和歌山も南部に位置し海に面した千歳の村は、夏には海水浴場が開かれるような広くて長い砂浜と遠浅の海を持っているから、水泳の授業は当然その海で行なわれる。学校で水着に着替えみんなそろって海まで歩く。


 少し沖合に浜辺と平行して25mの間隔で竹の棒が立てられ、それを25mプールに見立てて水泳の授業は行われる。

 これまで水泳の授業と言えば水難事故にあっても溺れることがないようにすることが主な目的とされていて「水練」と呼ばれていた。しかしオリンピックでは競泳という種目があって泳法も4種に決まっている。平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ、そしてクロールである。日本独特の抜き手などの古式泳法での参加は認められていないから、各学校でも4種類の泳法での教育と、水難事故対応というより速く泳ぐことが主目的に変わってきた時代だった。


 海辺で育った子供たちばかりの村では泳げない子はほとんどいない。25mの竹の棒の間をみんなすいすい泳いでいく。ただ、泳ぎ方は色々で大半は平泳ぎだった。背泳ぎやクロールもやればなんとなくできる。バタフライができる子はいなかったし、先生もバタフライを教える気はないようだった。そもそも先生もバタフライはあんまり上手ではないようだ。千歳はそんな子供たちの中でもクロールで上手に泳いだ。

「千歳、泳げるんや」

「うーん、何かよくわからんけど体が憶えてるんかなあ」

 ちいちゃんは泳げなかった。上手に泳ぐ千歳を見て春菜は胸がちくりと痛んだ。


 お盆。頼子ばあちゃんは千歳を連れて村の墓地にやってきた。ばあちゃんは庭で花を育てている。白と紫の色違いの菊、ケイトウ、百合、りんどう、萩。頼子ばあちゃんはそれらの花をハサミで切って、つる草で縛って庭先の水を張った桶に活けた。

 二人で村はずれの小高い丘にある村の墓地まで歩い行く。千歳は水を入れた手提げ桶に柄杓と切った花を入れて運んだ。

 普段から頼子が手入れをしているから、水城家の墓石の周りには雑草ひとつないのだが、お盆ということで改めてきれいに掃き清め、墓石も磨いて上からお水を掛ける。墓石の両側の、竹を切って作った筒にも新しい水を入れて花を活ける。


 ふと墓石の横に小さなお地蔵さんが置かれていることに気がついた千歳は頼子ばあちゃんに聞いてみた。

「おばあちゃん、このお地蔵さんは誰の?」

「誰ってことはないけど、大人になる前に死んでしまった子供たちの供養をしてくださるお地蔵様だよ」

 そう言うと、お地蔵様の前に白い菊の花を一本だけ置き、膝を曲げてうずくまると両手を合わせてお経を唱え始めた。ばあちゃんがお経を唱えている間、千歳も同じように両手を合わせて目をつぶっていた。



 春菜がお墓参りに行ったとき水城家のお墓の横に小さなお地蔵さんが置かれているのを見た。それを見たとき春菜はもしかしたら頼子ばあちゃんは全部分かっているのではないかと思った。その上で千歳に接しているのではないか。でも目の前の千歳に注がれるばあちゃんの優しい眼差しはどう見ても本物だ。自分の孫を見る目に違いない。春菜はその小さなお地蔵さんに手を合わせた。



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