第4話 健
健の父親は里子の父と同じ漁村で漁師をしていた。まだ里子の親が存命で、先のことなど何の心配もしていなかった幼い頃、よくいっしょに遊んだ幼馴染である。
健は同じ年の子供にくらべて背が高く、体もがっしりしていて、年中日焼けしている。小さい頃から父親の船に乗せてもらって漁を手伝っているからだと健は思っている。自分も大きくなったら父親の跡を継いで漁師になりたいと思っていた。
「里子は海女になるんか?お母さんみたいに」
「うーん、分からへん。けどうち海で泳いだり潜ったりするん大好きやねん」
「ほな海女になったらええやん。好きなことを仕事にできるってお得なんちゃう?」
「タケちゃんは漁師さんになるんやんな」
「ああ、俺が漁師で里子が海女。ずっとこの海でいっしょに暮らして行けたら最高や」
里子の両親はお父さんが漁師でお母さんが海女だ。それに引っ掛けてそんなことを言ってみた健であった。そのとき里子は俯いてもじもじしていた。ちょっと赤くなって照れていたようにも見えたのは自分の勝っ手な思い込みかもしれないが。
そんな会話をしたのはまだほんの少し前のことだ。そのときはそんな将来が来ることを全然疑ってもいなかったのに。
健は、両親が亡くなり里子姉弟が父方の親戚に引き取られて以来、すっかり変わってしまった里子を気にかけていた。彼の両親も里子姉弟のことを何かと気にかけていて、痩せていく二人を見かねた両親が二人を家に呼んでご飯を食べさせたりしていた。そのことを里子の里親はよく思っておらず、余計なことをするなと怒鳴りこんで来ては連れ帰った後で里子に暴力を振るう。だからおおっぴらに二人を手助けするようなことはできなかった。他の漁師たちも同じような状況だったから、次第に里子姉弟に手を差し伸べてくれる人はいなくなっていった。
そんななか健はずっと里子を守ろうとしていた。里子とはクラスが違う健は給食が余ったら必ず貰ってきて、下校するとき校舎の出入口の下駄箱のところで里子に渡してやる。そのとき里子は、
「ありがとう」
とお礼を言ってちょっとだけ以前のような笑顔を見せてくれる。それが健にはうれしかった。
秋が過ぎて海の水も冷たくなり、強い北風が海辺に吹きつけるようになっても里子は潜ることをやめなかった。健は里子が潜っている間に浜辺で焚き火を焚いた。海から上がってきて歯の根も合わぬほどガタガタと震えている里子を焚き火の側に座らせてタオルで包み込み、背中や腕を一生懸命さすってやった。ようやく全身に血の気が戻ってきて、
「タケちゃん、もう大丈夫」
里子がそう言うまで続ける。
家に戻るとき振り向いて「ありがとう」と言って微笑んだ里子の顔が、前を向く瞬間凍りついたように強張る。健はそんな里子の後ろ姿を黙って見送るしかなかった。
そんな風に里子をずっと守って行けると思っていたその年の冬、健の父が夜引きの船上でウインチに巻かれて大怪我をした。里子の父親と同じだった。彼は幸い近くで漁をしていた仲間に助けられて命は取り留めたが左手を失うことになった。
その事故がきっかけで浜崎家は漁師をやめ、家と船を売りはらって、春を待たずに漁村から去った。健ももちろん両親に付いて行くしかなかったのだが、彼は後に残していかなけらばならない里子のことが気がかりだった。
これは健が後から聞いたことだが、村を去るにあたって健の両親は里子姉弟を引き取りたいと申し出たらしい。しかし里子の里親はそれを拒否した。
「あの女は里子ちゃんと慎吾ちゃんの養育費が欲しいだけや」
父がそう吐き捨てるように話すのを健は沈鬱な気持ちで聞いていた。うちで引き取ったら里子は幸せになれるのにどうしてそれを拒むのか。里子たちを邪魔もん扱いしているくせに!
行き場のない怒りで頭が沸騰しそうになりながら健がきつく拳を握りしめた。
もし俺が大人やったら……そう思うと悔しくて涙が出そうになった。泣くな、里子は一人で闘っとるんやぞ。そう心に言い聞かせてみたけど、もう里子を守ってやれないことが無性に悔しく情けなかった。
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