【10-1】事件の結末(1)
2024年7月14日。
県道1号線での、車内溺死事件が発生して、二週間が経過していた。
その後に起こった二件の事件も含め、三件の連続殺人事件は、県警捜査一課及び〇山署の刑事たちによる、懸命の捜査にも拘らず、事態は一向に進展を見なかった。
最大の原因は、被害者たちの殺害方法が、まったく想像もつかないことだった。
特に四人目の犠牲者である古賀敏之の場合、駆けつけた刑事たちがいる、すぐ近くの密室内で殺害されているのだ。
もちろん犯人らしき人物は、その中にはいなかった。
もしいたならば、被害署と一緒に溺死していたことになる。
どの様なトリックを使っても、それは不可能だと思われた。
その事実が、捜査員たちを混迷の中に落とし込んでいるのだ。
朝九時少し前に、捜査本部に登庁した、県警捜査一課の
「富樫君は、もう出て来てますか?」
「ああ、さっき見かけたけど、富樫に何か用?」
末松は、机上に溜まった書類の一つに目を通しながら、彼に答える。
「ええ、ちょっと訊きたいことがあって。
ここにはいなさそうですけど、どこに行ったか、知りませんか?」
すると背後にいた、〇山署の加藤刑事から声が掛かった。
「さっき、地下倉庫に資料を取りに行ったんじゃないですかね」
鏡堂は振り向いて加藤に礼を言い、地下倉庫に向かった。
〇山署の地下一階は、中央の階段を降りた踊り場から、左右に廊下が伸びている。
そして廊下に沿って、資料や資材の保管庫が並んでいる構造だった。
鏡堂が踊り場から左右の廊下を見渡すと、左側通路の突き当りにある、外部に繋がる扉を背にして、
「おはようございます、鏡堂さん」
彼に気づいた富樫が、笑顔で挨拶した。
「おはよう、富樫君」
鏡堂も挨拶を返しながら、彼に歩み寄っていた。
「こんな所まで、どうされたんですか?」
「今日は君に、訊きたいことがあってな」
「訊きたいことですか?」
笑顔で訊き返す富樫に向けた鏡堂の顔が、厳しい表情に一変した。
「君が<
<雨男>、今回の一連の事件の犯人なんだろう?」
「い、嫌ですよ、鏡堂さん。
突然何を仰るんですか?」
そう言って狼狽える富樫を、鏡堂が厳しい眼でじっと見つめる。
すると富樫の表情から、笑顔が消えた。
「鏡堂さん、何を根拠に、そんな無茶なことを仰るんですか?
いくら鏡堂さんでも、許せませんよ」
「根拠か。一つは、あの<雨男>のスレッドだ」
「スレッド?あれが何の根拠になるって言うんですか?」
「まあ聞け。今から説明するから」
富樫の顔を凝視しつつ、鏡堂は語り始めた。
「先ず、あのスレッドを立てたJINという人物は、別の参加者が指摘していたように、今回の事件の犯人だと思う。
つまり『雨男』、お前のことだ。
理由は簡単だ。
もしJINが第三者で、あのスレッドの書き込みのように、『雨男』の犯行を恐れているのならば、その参加者が書き込んでいたように、警察に通報すればいい」
「もしかしたら、警察に通報できない事情があるのかも知れないじゃないですか。
例えば、JINが『雨男』の家族で、犯人を庇っているとか」
富樫はムキになって反論したが、鏡堂はそれを冷笑で返した。
「それはあり得んな。
JINはスレッドの冒頭で、20年ぶりに『雨男』に会ったと言っている。
それにな、JINがスレッドを立てたのは、最初の事件が起きる前だ。
もし家族だとしたら、その時点で、あんなスレッドを立てる意味がない。
違うか?」
鏡堂の反論に、富樫は詰まって黙り込んだ。
そして鏡堂の追撃は続く。
「だからあのスレッドは、犯人による犯行予告と考える方が、筋が通るんだ。
現にその後の書き込みでも、JINは<雨男>による犯行を次々と予告している。
だがな、あのスレッドは、犯人にとってやり過ぎだった」
「やり過ぎ?」
「そうだ。恐らくあのスレッドを立てた意図は、犯行予告というよりも、天宮を犯人に仕立て上げることだったんじゃないかと、俺は思っている」
「天宮さんを?」
「そうだ。<雨男>、20年前の事件。
ガイシャの徳丸夫妻や、滝本純一の周辺で訊き込みを行えば、容易に20年前の天宮に辿り着く。
<雨男>なんて綽名の小学生は、中々いないだろうからな。
況して女子児童だ。
当時の同級生たちに、天宮の印象は強く残っていただろう。
そしてJINの意図した通り、俺たちはすぐに天宮に辿り着いた。
しかしな。JINはスレッドを立てることで、一つミスを犯した」
「ミス、ですか…」
富樫は、力なく鏡堂の言葉を反芻した。
「そうだ。JINは何故かスレッドの中で、藤本仁一郎の事件については、書き込んでいないんだ。
捜査本部にいるお前なら分かるだろう?
藤本の事件は、一連の<雨男>による犯行の一部だ。
しかし20年前の事件については書き込んでいるのに、何故今年の5月の事件については、一切書き込んでいないのか。
それは、藤本と天宮との間に、接点がなかったからなんじゃないか。
俺はそう考えたんだよ。
藤本の過去について調べたところ、15年前に小学校に転勤する前は、市内の中学校に勤務していたことが分かった。
住所も〇山市から変更はないし、元々藤本は〇山市の出身で、事件当時まで、他に住所を移したことがなかったんだ。
一方の天宮は、今から20年前、10歳の時に、〇宮町の元に引き取られ、8年前に大学を卒業するまで、そこで暮らしていた。
だから二人の間に、殺人に発展する程の接点を見つけるのは、非常に困難だ。
絶対になかったとは、言い切れんがな。
だからJINは、天宮を犯人に仕立てるために、敢えてスレッドの書き込みから、藤本の事件を除いたんじゃないか。
俺はそう考えたんだよ」
「分かりました。JINが<雨男>で、天宮さんに自分の罪を擦り付けようとしたとして、どうして僕が、その犯人になるんですか?」
黙って鏡堂の説明を聞いていた富樫が、反論を口にする。
「お前の言う通りだ。
スレッドの内容についての疑問だけでは、犯人を特定することは出来ない。
だから俺も、あの時まで、お前が犯人だという疑いは持っていなかったんだよ」
「あの時?」
「古賀敏之の事件だ」
「古賀の事件…」
富樫がまた、鏡堂の言葉を反芻した。
「お前もあの現場にいたから、言うまでもないが、古賀は俺たちが現場に到着した、ドンピシャのタイミングで殺害された。
しかも、未だにどうやったかは分からんが、一瞬で室内を水浸しにするという方法でな。
古賀は殺害する直前まで、俺がフロントから掛けた内線電話に出ていた。
つまり直前まで生きていたことになる。
その時俺の頭を過ったのは、最悪の想定だ。
あの時現場に駆け付けた、俺以外の三人の中に、<雨男>がいるんじゃないかってな」
「な、何を行ってるんですか?
もしかしたら犯人は、何か室内にトリックを仕掛けていて、あの時偶々それが発動したってことも、考えられるじゃないですか」
「トリックはなかった。
それは、現場検証から明らかだ」
「じゃあ、あの時チェックインしていた、宿泊客の中に犯人がいることも、考えられるんじゃないですか」
「その可能性はゼロではないが、だとしたら、何故あのタイミングなんだ?
俺たちが到着するもっと前に、実行することだって出来た筈だ。
それにな、お前も知ってる通り、犯行当時のあのフロアの宿泊客は、全員県外からの旅行者で、それ以前の事件とは繋がりがなかった」
「だからと言って、僕たち三人のうちの誰かが犯人とするのは、無茶があるんじゃないですか?」
「そうだな。だから単なる俺の思い付きだったよ。
その後、お前の経歴を調べるまではな」
「鏡堂さん。僕の経歴を調べたんですか?
何故です?」
「20年前に、ガイシャの四人や天宮と接点があった可能性のある者。
つまり、当時小学生だったのは、三人の中でお前だけだったんだ」
鏡堂の言葉に、富樫は絶句した。
「富樫。お前、小中と、ガイシャ四人と同じ学校に通ってたんだよな。
小学校は天宮とも同じだった。
二学年下だったらしいが、どうしてそのことを隠してたんだ?」
「べ、別に隠してた訳じゃ…」
言い淀む富樫を、鏡堂が見つめた。
「まあいい。徳丸らの周辺への訊き込みで出てきた、『下の学年で、パシリにされていた子』というのは、お前のことじゃないのか?」
富樫が涙目になって、無言で鏡堂を睨む。
それが彼の肯定を表していると、鏡堂は思った。
「だが、お前が犯人だったとしても、殺害方法だけは、どうしても分からん。
それに動機もだ。
古賀たち四人は、確かに悪質なイジメを行っていたらしいが、一方で、相手をとことんまで追い詰めないような、かなり狡猾な面もあったということだ。
奴らは、お前にだけは、殺意を抱かせる程のことをしたのか?
それから、スレッドにあった20年前の事件だ。
あれが天宮の父、天宮幸人の溺死事件を指すのであれば、お前が犯人とは考えられない。
何故ならば、当時お前はあの場所にいなかったからだ。
なあ、富樫よ。
正直言って俺には、お前を<雨男>として告発する、確固たる証拠はないんだよ。
だが、今言った三点だけは、どうしても知りたい。
今ここで、教えてくれないか?」
最後の言葉は、純粋に謎の答えを知りたいという、鏡堂の欲求から発したものだった。
その言葉を聞いた富樫が、真っ直ぐに彼を見つめる。
その顔には、それまで見せなかった、不可解な笑みが浮かんでいた。
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