【09-2】天宮於兎子の過去(2)

暫くの沈黙の後、鏡堂は話題を切り替えた。

「幸人さんが、それ程跡継ぎを望んでおられたということは、雨宮神社というのは、相当格式の高い神社なんですね」


「ええ、そうですね。

〇山市の周辺は、大きな農家が多いでしょう?


雨宮神社に祀られている神様は、名前は忘れましたが、雨を司る神様で。

昔から日照りや水害にならないようにっちゅうことで、周辺の農家の信仰が厚かったんですわ。


そのせいで氏子も多く、節句ごとの寄進も、馬鹿にならん額だったそうです。

兄は欲深なところがありましたから、そういうもんを赤の他人に取られるのが、嫌だったんでしょうな」


そこで一旦話を切った天宮明人は、残りの麦茶を一気に飲み干した。

そして仕切り直すように姿勢を正すと、再び語り始めた。


「そして於兎子が10歳の時でしたかね。

自宅で兄が突然亡くなったんですよ」


「事故で亡くなったと、お聞きしておりますが」

鏡堂が訊くと、明人は頷いた。


「ええ、そうなんです。

風呂に入ってる最中に、溺れたらしくてね。

酒好きでしたから、泥酔してたんでしょうね」


天宮幸人の死因を聞いた鏡堂に、緊張が走った。

――溺死?浴室で?

まるで藤本仁一郎と同じ状況ではないか。


「それは事故だと断定されたのでしょうか?」

鏡堂の反応に、明人は怪訝な表情を浮かべた。


「ええ、警察の方が来て、色々調べた結果ですわ。

そもそも当日家の中には、兄以外に於兎子と家政婦さんしか、おりませんでしたからね」


「家政婦さんですか?」

「ええ。嫂が亡くなって以来、親娘の身の回りが、何かと不便だったんで。

家政婦さんに来てもらっとったんですよ」


「その方は警察には」

「色々と訊かれたみたいですよ。

でも結局事故ということになったんで、何もなかったんでしょうな」


「その家政婦さんのお名前とかは、憶えておられませんか?」

「いやあ、憶えとらんですなあ。

何せ20年前のことですからなあ」


「そうですよね。

それで明人さんが亡くなった後、雨宮神社はどうなったんですか?」


「私が継ぐかという話が、親戚の間で持ち上がったんですが、真っ平御免と断りました。

神職なんぞ、私はてんで向いておりませんから。


それで結局本宮にお願いして、新しい宮司さんを派遣してもらって、引き継いでもらいました。

今でもその方が、宮司をされてると思いますよ」


「そうだったんですね。

於兎子さんが、後を継ぐという話にはならなかったんですか?」


「雨宮神社は、男の宮司しか認めんのですよ。

それに於兎子はあの頃、まだ10歳の子供でしたからねえ」


「なるほど、そういうことだったんですね。

それで於兎子さんは事故の後、こちらで引き取られたんですね」


「ええ、そうです。

於兎子には他に身寄りもおりませんでしたし、うちにはあの娘と仲の良い子供らが、三人おりましたんでね」

「引き取られた後、彼女の様子に何か変わったこととかは、ありませんでしたか?」


「そうですね。

父親が風呂場で溺れたせいなのかも知れませんが、妙に水を怖がってましたね。

大雨の日なんかは、特に酷かったですね。

音が怖かったらしくて。


まあ、それもうちの子供らと、一緒に過ごすうちに、収まってきました。

中学に上がる頃には、まったく怖がらなくなってましたから。

父親を亡くしたショックによる、一過性のものだったんでしょうな」


「その後も於兎子さんは、こちらで過ごされたんですね?」

「はい。大学を出るまでは、ずっとこの家から通ってました。

卒業して、警察でお世話になると決まった時に、〇山市内に引っ越しましたけど」


「学生時代の於兎子さんに、何か変わった様子はありませんでしたか?」

「特になかったと思いますよ。

遅くに返って来ることも、一度もなかったですしね」


そう言いながら天宮明人は考え込んだが、すぐに首を横に振った。

「思い当たることはありませんね」


その答えを聞いた鏡堂は、少しの間黙考した後、天宮明人に顔を向けた。

「本日はお時間を取って頂いて、ありがとうございました」


「もうよろしいですかな」

「ええ、色々と参考になりました。

それから、もし於兎子さんから連絡がありましたら、私の方に連絡するようお伝え頂けますか?」

明人は、「分かりました」と言って、頷く。


天宮家を後にした鏡堂は、炎天下の道を歩きながら、今し方天宮明人から聞いた、於兎子の過去に纏わる話を反芻していた。


――浴室で溺死した天宮幸人に、何が起こったのか?

――本当に単なる事故だったのか?

――何故於兎子は、明人家に引き取られた直後、雨の音を極端に怖がっていたのか?

――そして天宮家に通っていたという、家政婦の存在。


彼の頭の中で生まれた、犯人に繋がる道筋の中で、どうしても20年前の事件だけが、異質な光を放っている。

手が届きそうな所にいる犯人に、どうしても手が届かないもどかしさが、鏡堂の心を苛立たせていた。


その日〇山署の捜査本部に戻った鏡堂は、捜査一課長の高階に、天宮家での訊き込み結果を含む、天宮於兎子てんきゅうおとこ周辺の調査結果について報告した。


「結局、20年前の事件は、事故だったということか」

高階は彼の報告を聞いて唸った後、暫く眼を閉じて考え込む。


鏡堂は上長から発せられる次の言葉を、忍耐強く待っていた。

やがて眼を開いた高階は、彼に向かって厳しい表情を向ける。


「やはり天宮刑事の身柄を、早急に確保する必要があるな。

上層部からは、事件の容疑者として、指名手配するよう指示が出ている。

彼女の捜査に当たったお前としては、どう思う?」


「容疑者としての指名手配は性急だと思います。

しかし、それを覆すだけの材料を持ち合わせていません。

残念ながら」


「お前らしい言い方だな」

高階はそう言って苦笑した。


「では、指名手配に異論はないな?」

それを聞いた鏡堂は、己の信念に従って、一つの決断をした。


「課長。指名手配を、一日だけ待っていただけませんか?」

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