【08】第三の事件
『雨男』事件の捜査員たちは、懸命に古賀敏之の行方を追っていた。
これ以上犠牲者を出すことは、断固として阻止したいという思いが、彼らを掻き立てていたのだ。
最初に手掛かりを掴んできたのは、彼の仕事先を当たった加藤刑事だった。
古賀は〇山市内の繁華街でバーを経営していて、従業員に暫くの間店に出ることが出来ないことを連絡していた。
そして店には定期的に連絡を入れると、その従業員に伝えていたことを聞き込んできたのだ。
その報告を受けた捜査員一同は、取り敢えず古賀が無事であることに安堵した。
そして高階捜査一課長は、定時連絡の際に、必ず古賀の居場所を聞き出すよう、加藤刑事に厳命したのだった。
命令を受けた加藤は、定時連絡が入った際に、必死で古賀を説得し、彼の滞在場所を聞き出すことに成功した。
そこは市内にあるビジネスホテルだった。
そして捜査本部で加藤から連絡を受けた捜査員たちのうち、
「古賀さん、無事で見つかってよかったですね」
ホテルに向かう車中で、
彼と同行することが、嬉しくて仕方がない様子だ。
一方の鏡堂は、梶木刑事から告げられた、
そもそも鏡堂は、富樫のようなタイプが苦手だった。
考え過ぎかもしれないが、無理に明るく振舞っているような感じがするからだ。
そして天宮のことも気になる。
――本当に彼女が、事件に関与しているのだろうか?
そんな鏡堂の心中を知らず、富樫は話を止めない。
「鏡堂さん。僕、将来捜査一課の刑事になりたいんですよね。
どうやったらなれるんですかね」
「まずは所轄で経験を積むことだ。
地道に実績を積み上げていけば、その内、声が掛かるよ」
煩わしさも手伝って、ややぶっきら棒な調子で返した鏡堂は、すぐにそれを後悔して、自分の不機嫌さを誤魔化すように付け足した。
「今は、この事件に注力しろ。
高階課長は、ああ見えて刑事たちの動き全般を、怖いくらいよく見てるからな」
「へえ、そうなんですか。
気をつけます。
ところで鏡堂さん」
富樫が急に声を改めたので、鏡堂は、「どうした」という顔を向けた。
「僕がもし捜査一課に抜擢されたら、鏡堂さんとバディを組ませて下さいね」
鏡堂は一瞬、何を言われたのか戸惑ったが、すぐに正面を向き直った。
「そんな先のことを言われてもな」
しかし富樫は、諦めずに食い下がった。
「約束して下さいね。僕、それを目標に頑張りますから」
「ああ、分かったから、ちゃんと前向いて運転しろ。
こんな時に事故でも起こしたら、それこそ捜査一課に来る線はなくなるぞ」
鏡堂は、富樫のストレートな物言いにうんざりして、投げやりに返した。
そうこうするうちに、彼らを乗せた車は、目的地のビジネスホテルに到着した。
四人の刑事は車を降りると、まっすぐフロントに向かう。
そこで事情を話して、古賀敏之を呼び出してもらうと、彼はすぐに内線に出た。
「県警の鏡堂です。
古賀さん、これからあなたを警察の保護下に置きます。
部屋までお迎えに上がりますので、ホテルを出る準備をして下さい」
すると電話口の向こうから、怯えたような古賀の声が聞こえた。
『分かった。すぐに準備する』
鏡堂たち四人は、すぐさま古賀が宿泊する三階に向かう。
エレベーターを降りて、廊下の突き当りにある部屋が、古賀の滞在場所だった。
四人が足早にホテルの廊下を歩いて行くと、突然「ごおっ」という大きな音が鳴り響いた。
全員がその音に、弾かれたように走り出す。
轟音は古賀が滞在する室内から鳴り響いていた。
そして部屋のドアの隙間から、物凄い勢いで水が漏れ出している。
「古賀さん、大丈夫ですか?!」
一番に到着した富樫が、必死でドアを叩いて呼び掛けるが、轟音にかき消されてしまった。
刑事の一人が、エレベーターの前に置かれた、ホテル内の内線電話の所にかけ戻って、フロントに緊急事態を告げる。
鏡堂には、ホテルマンがマスターキーを持って駆け付けるまでの数分間が、恐ろしく長く感じられた。
轟音は鳴り続け、漏れ出て来る水の勢いは全く衰えない。
刑事たちは、中で起こっている状況を想像して、絶望に包まれていった。
そしてホテルマンが駆けつけた時には、室内の轟音は収まっていた。
漏れ出て来る水の勢いも、徐々に弱まっている。
ホテルマンがマスターキーでドアを開錠すると、鏡堂が止める間もなく、富樫がドアノブを引いた。
そして一気に流れ出た水の勢いに押され、弾き飛ばされてしまった。
それを助け起こす暇もなく、鏡堂は室内に飛び込んだ。
二人の刑事たちが彼に続く。
ドアから一気に流れ出た水は、すぐに引いていったが、狭いシングルの室内は、見渡す限り天井まで水浸しになっていた。
そしてずぶ濡れになったベッドの上に、男が目と口を見開いて、仰向けの姿勢で横たわっている。
古賀敏之だろう――と鏡堂は思った。
そして彼の命が既に絶たれていることは、一目瞭然だった。
鏡堂たちは、その死体を見ながら、言い様のない絶望感に襲われていた。
それから30分後。
ホテルの三階フロアは、制服、私服の警察官でごった返していた。
小林誠司を始めとする四人の鑑識課員は、室内の実況見分に当たっている。
ホテルに到着するなり、ずぶ濡れになった鏡堂たちを見た小林は、気の毒そうな視線を向けただけだった。
――これではまるで、敗残兵だな。
ずぶ濡れになったズボンと靴を見ながら、鏡堂は内心で自嘲の笑みを浮かべていた。
富樫に至っては、全身ずぶ濡れである。
鏡堂たちに一つ分かったことは、三件の殺人は同じ手口で行われたということだ。
その方法は謎のままだが、少なくとも今回のケースと同様に、狭い空間を一気に水で満たすことで、被害者たちは溺死させられたのである。
そして事件の興奮から醒めた鏡堂の脳裏に、一つの天啓が訪れようとしていた。
何故古賀敏之は、今日このタイミングで殺害されたのか?
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