【07】急展開

2024年7月7日。

『県道1号線車両衝突事故捜査本部』は、朝から騒然とした雰囲気に包まれていた。


まず早朝から登庁していた天宮於兎子てんきゅうおとこ刑事によって、『雨男』のスレッドが更新されていることが確認された。

そしてそのスレッドを見た天宮が、急に過呼吸に襲われ、床に倒れてしまったのだ。


その場に居合わせた鏡堂他、数人の捜査員たちの手で、彼女は仮眠室に運ばれた。

その後過呼吸は収まったが、仕事ができる状態ではないと判断され、天宮は帰宅せざるを得なかった。


その間刑事たちは、更新されたスレッドの内容を見て、騒然としていた。

JINは、次の殺人を予告しているのだ。

それに加えて、『雨男』による、20年前の実父殺しを告発している。


そのことは、今回の事件が、単に現在発生している二件の連続事件に留まらず、20年も前の事件に端を発する、複雑な様相を呈していると思わせたのだ。


次に捜査員たちを騒然とさせたのは、JINのアカウント開示結果だった。

高階捜査一課長の指示によって、JINのアカウント開示請求は、裁判所に対して二日前に行われていた。


そして重大事件に関する開示請求ということで、裁判所からは即座に承認され、SNSのプロバイダーから、情報開示されたのが昨日であった。

その結果アカウントユーザーは、〇山市内に住む人物であると特定された。


ユーザーの名前は藤本仁一郎、市内の小学校の教頭だった。

そして捜査員たちを、更なる混乱に陥れたのは、藤本が今年5月に、自宅で死亡していたという事実だった。


JINがスレッドを立ち上げたのは、6月23日。

その1か月以上前に、藤本は死亡しているのだ。


『雨男』のスレッドは、藤本の携帯電話から登録されていることが分かった。

しかしその日の朝の時点では、藤本の携帯電話が、今どこにあるのか分かっていない。


そして天宮を除く捜査員全員が、捜査本部に集合した時、藤本の死因について調べていた〇山署の加藤和夫刑事から、更なる衝撃的な情報がもたらされた。


彼の死因は、自宅浴槽での溺死だったのだ。

それを聞いた捜査員の誰もが、今回の一連の事件との関連を、想像せざるを得なかった。


「当時、藤本仁一郎の死亡は、入浴中の事故として処理されています。

血液中から、かなりのアルコールが検出されたことが、事故と判断された主な理由です。


死体が発見されたのは本年5月13日月曜日、死亡時刻はその前日の12日と推定されています。

13日当日、勤務先の学校を無断欠勤した上に、電話にも出なかったため、不審に思った校長が教師の一人に、様子を見に行かせたようです。


藤本は独身の独り住まいだったので、市内の賃貸マンションに住んでいたのですが、その教師が部屋を訪ねた際、中から水が流れる音がしたため、不審に思って警察に通報した模様です」


「水が流れる音?どういうことだ?」

加藤の報告を、高階の質問が遮った。


「管理会社に部屋の鍵を開けてもらった警官が室内に入り、浴室で藤本を発見したのですが、浴槽に湯を溜めるための水道から、お湯が出しっぱなしになっていたようなんです」


「その音が、外に漏れていたということか」

「はい、そうです。湯が、浴槽の外まで溢れ出していたようです」


「浴室の外はどうだったんですか?

今回の滝本の事件のように、外まで溢れ出すということはなかったんでしょうか?」

会議に参加していた、県警の刑事の一人が質問した。


「事故調書には、そのような記録はありませんでした。

当時調書を作成した警官に確認したのですが、外まで漏れていたという記憶はないそうです」


加藤がその刑事に答えると、今度は熊本が質問する。

「藤本の携帯電話が見つかっていないというのは、事実なのか?」

「はい、遺留品の記録にはありませんでした」


「そしてその携帯電話から、JINと名乗る人物がスレッドを立て、発信を続けていると」

高階はそう独り言ちた後、黙り込む。

そうして少しの間黙考した彼は、おもむろに捜査員たちに顔を向けた。


「今後の捜査方針を指示する。

先ず藤本仁一郎死亡時の状況について、徹底的に洗い直せ。

周辺に不審人物の存在がなかったかも含めてだ。


それから藤本の携帯電話の履歴と、出来れば位置情報を洗い出せ。

指揮は、末松係長。捜査員は所轄の中で構成してくれ」

高階の指示に、〇山署捜査一係長の末松啓介が頷いた。


「次に、引き続き徳丸夫妻と滝本の周辺を洗い直せ。

徹底的にだ。


特に古賀敏之には、24時間体制で監視を付ける。

熊本班長、こちらは君が指揮してくれ。


以上、2点に絞ってすぐに捜査を始めろ。

これ以上、『雨男』に出し抜かれるのは、警察の恥だと思え。いいな!」


高階の檄に、捜査員たちが一斉に頷いた。

その時、鏡堂達哉きょうどうたつやが挙手して立ち上がった。


「スレッドにJINが投稿していた、20年前の親殺しの件はどうされますか?」

高階は鏡堂を一瞥した後、一瞬の間を置いて、彼に答えた。


「その件は別に思案がある。

鏡堂、この後少し話がある。

いいか?」


その答えを鏡堂は不審に思ったが、敢えて口にしなかった。

そして会議終了後、鏡堂は高階に別の会議室に連れて行かれた。


小会議室には彼ら二人に加えて、県警捜査一課の熊本班長と梶木刑事も移動する。

四人が着席すると、高階が開口一番に言った。


「所轄の天宮刑事の様子はどうだ?

今朝、更新されたスレッドを見て、倒れたそうじゃないか」


「はい、スレッドを見て過呼吸を起こしたようです。

暫く休ませると収まりましたので、今日は帰らせました」


鏡堂の返事を聞いた高階は、一瞬沈黙したが、やがて意を決したように口を開いた。

「天宮刑事だがな。

彼女が『雨男』だという疑いが浮上している」


「それは、どういうことでしょうか?」

鏡堂は、あまりに意外な高階の言葉を聞き、珍しく動転してしまった。


「詳細については、俺もこれから聞くところだ」

そう言って高階は、同席している梶木を促した。

そして梶木はメモを取り出し、説明を始める。


「発端は、徳丸たちの同級生の証言です。

一度捜査会議で、彼らの小学校の同級生に、『雨男』という綽名の人物がいたという、証言について報告したと思います。


最初の聞き込みでは、その人物の特定に至らなかったのですが、後に証言者が友人に当たってくれて、連絡をくれたのです。


該当する人物の苗字までは記憶になかったようなのですが、『雨男』という綽名を付けられたのは、『オトコ』という名の女子児童だったようです」

そこで言葉を切った梶木は、三人を交互に見た。


「確かに女子で『オトコ』という名前は珍しいが、それだけで天宮刑事と結びつけるのは、早計じゃないのか?梶さん」

そう反論しながら鏡堂は、何故か自分が、少しむきになっていることに気づいた。


「鏡さん。無論それだけじゃないんだ」

梶木はそう言って鏡堂を見ると、説明を続けた。


「天宮刑事は、10歳まで〇山市で暮らしていて、ガイシャ三人と同じ学校に通っていたことが判明しています。


そして10歳の時、今から20年前に、父親が死亡したことによって、県内の親戚に引き取られ、成人するまでそこで育てられています」


「父親の死因は殺人なのか?」

そこで熊本が口を挟んだ。


「いえ。20年前の殺人事件の記録には、天宮刑事の父親の件はありませんでした。

少なくとも、殺人事件としては、扱われなかったと思われます」


説明を聞きながら考え込んでいた鏡堂は、高階の顔を向けた。

「それで、課長。この件を私に調べろということでしょうか?」


「端的に言うと、そうだ。

もちろん現時点で天宮刑事が、何がしかの犯行を犯していると、断定するのは早計だろう。


しかし彼女の行動に、不審な点があるのも事実だ。

ガイシャ三人と同級生だったことは、聞いていないんだろう?」

「はい、聞いていません」


「20年前とは言え、完全に忘れているとは考えにくい。

それに小学校時代の綽名が、『雨男』だったことも、隠している節がある。


それにだ。今日『雨男』のスレッドを見て、過呼吸を起こしたのも変だ。

考えようによっては、20年前の父親殺しを暴露されて、ショックを受けたと、考えられなくもない」


「それは穿ち過ぎではないでしょうか。

10歳の女子児童が、父親を殺すというのは…」


「お前の言いたいことは判る。

しかしこれだけ不審な材料が揃ってしまうと、天宮刑事と今回の事件の関りを、疑わざるを得んだろう?」


その点については鏡堂も同意だったので、無言で肯いた。

それを確認した高階は、彼に命令を出した。


「20年前の父親の死亡を含めて、天宮刑事の周辺を当たってくれ。

もちろん本人には気取られないようにだ。

その間、彼女は内勤に選任させることにする」


「分かりました。

梶さん。この後時間いいか?」

「分かった」


二人のやり取りを聞いた高階は、全員を促して小会議室を出た。

そこに県警の刑事が一人、慌てた様子で近づいて来た。


「高階課長。古賀敏之の消息が、不明になっていることが分かりました」

「どういうことだ?」


「先程捜査員が二人、自宅を訪ねたところ、昨夜自宅を出た切り帰宅していないと、同居人の女性から申告があったようです」

それを聞いた瞬間、高階の眉間に筋が走る。


「手の空いてる者を総動員して、古賀の捜索に当たれ!

愚図愚図するな!

必ず生きて見つけ出すんだ!」


彼の後ろにいた鏡堂と梶木も眼を合わせ、頷き合った。

「課長、我々もそちらを優先します」

そう言い残して、二人は捜査本部に駆け込んで行った。

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