酒席時評 -- 「鳥貴族」

にこにこ先生

誰が「鳥貴族」の思想家か

基本的にエゴイスティックな人種の近代的写実主義や文化批評に意味のある貢献を成し得るには、意味の秩序を撹乱する空虚な小料理を貪る以外に方法はないのだろうか。それにしても全員、漏れなく実によく食べる。


仕事が終わった後に五反田の鳥貴族に集結した我々は、お手拭きや割り箸といったレギュレーションをこなした。早速、A氏が行動に出る。


シャキシャキ国産キャベツを醤油ベースのあっさりだれで仕上げた、「キャベツ盛り」である。


A氏はこのキャベツ盛りがおかわり自由である事を、民主主義の周縁的な貢献の可能性を含めた世界観として大げさに強調した。それは現在の社会現象の深刻な特徴的疾患をまざまざと露呈していた。


ここでB氏が追い討ちをかける。瑞々しいきゅうりをオリジナル塩だれでたっぷりと味わえる、「塩だれきゅうり」を発注した。


この抗いようのない日本的なきゅうりについてはこれまでの批評の成果に照らして、他ならぬ我々が世界観を修正、或いは再構築しなければならないという考えを受け入れるものは、ここにはほとんどいない。しかし、塩だれきゅうりは美味であった。


間髪入れずC氏が「ふんわり山芋の鉄板焼き」を依頼した。ほどなくしてテーブルに置かれたふんわり山芋の鉄板焼きに対して、C氏は突如ヘラで撹拌した。これには辟易し、C氏に一瞥くれるも、お構いなしだ。


複数人の場面で自らのエゴイズムの表出は、意識と言語の対立をラディカルな、撹拌するという形で表現するも、その価値に対し賛否は禁じ得ない。


更にC氏は突如、無分別な行動に出た。他メンバに確認することもなく、くし形のレモンで唐揚げをビショビショにしたのである。


この近代的自我を無視した不条理な時空間に対しC氏は半笑い、という形で逆説の共有を試みるも、ビショビショの唐揚げを前に、一同、目前の無秩序に白々しさを感じるのみである。


一方、おのおのが好きに発注した焼き鳥についても、場のダイナミズムへ発展したとは言いづらい。


串から肉塊を取り外す、取り外さない。全員に共有されたイデオロギーは無く、外す派はシェアのし易さ、外さない派は肉塊が冷める、というメリデメの応酬は率直に言って徒労でしかない。


ここへ来てD氏が酩酊状態も相まって破廉恥極まりない話を、まとまりの無い自らの情念の吐露、でしかない話を展開した。存外に、皆んなの心の結晶を詩的に増殖させた。


全体を通して喜劇的色彩を濃くした飲み会は散会となった。


僕が取りまとめて会計を払った。皆んなは相対的に虚構な夜の街の叙情に流され、喧騒に消えていった。

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