獅子
栗姫が寝ている間、獅子は牢の手前の物置部屋で寝ている。栗姫の元へ行くには必ず通るところで、万が一、栗姫が逃げ出したとしても通らねばならない場所だった。
世話役兼見張りが獅子一人なので、食事の用意や睡眠など、どうしたって見張り続けることのできない時間は多々ある。その間、勿論一党のものに声をかけ、侵入者などには警戒してもらっているが、この物置部屋にも仕掛けがあって、通る者がいればすぐに洞内中に分かるようになっていた。
栗姫を助けに来る者だけではない。
栗姫を、殺しに来る者がいるかも知れなかった。
三年前の山崩れの時から、獅子は物音に敏感で、眠りが浅かった。側を誰かが通ればすぐに目覚める。それを知っているから、朱雀や穂刈たちも、獅子に姫の見張りを任せていた。
山の崩れる轟音が、耳の奥底に響いている。
物置部屋の棚の陰で、獅子は体に掛けた薄い衣を掻き抱く。つい先ほどまで灯りをつけて作業をしていたせいで、いつもよりさらに寝入りが悪い。夜寒が手足に沁みていく。
三年前、獅子の母親は、山崩れに巻き込まれて死んだ。
一党の何人かはその山崩れで亡くなった。獅子にとって母は唯一の肉親で、父は獅子の生まれる前に亡くなっていた。
足の悪い母だった。
動きにくい足を抱えて、女手一つで獅子を育てるのは大変だっただろう。当時の頭領だった朱雀の父も、獅子の母のことは気にかけてくれていたが、獅子はといえば、朱雀ら血気盛んな奴らと悪さを繰り返し、その度に母に怒られていた。それでも、摺り足で歩く母の足に、毎日枇杷の葉を貼って湿布にするのは獅子の仕事だった。獅子なりに、大事にしていたつもりだった。
山が崩れたとき、獅子は村にいなかった。朱雀たちとともに、夜通しの鹿狩りに行っていたのだ。鹿を追いかけて山を一つ越えており、空の白む直前、地の震えとともにあの轟音が響いたときには、もう、為す術もなかった。
山に住む者は山のことを知っている。夜明け前の地震でも、一党の多くは生き残ったが、その山崩れで最後まで避難の指示を出していた頭領は死んだ。朱雀が一党を継いだのはこの時だ。崩れた斜面を掘り、何とか村の跡を見つけて、土砂に埋まった者たちを引き出したのは、山崩れから三日後のことだった。
土砂に埋まった者は助からなかった。頭領は土に呼吸をふさがれて死に、獅子の母は、家屋の柱で頭を打って死んでいた。山が崩れる前、地震の時にはすでに、獅子の母は家から出られない状況だったのだと、大人たちが言っていた。
土の中から掘り出された、弱り細った母の足が目に焼き付いている。狩りに出る前、獅子が貼った枇杷の葉が、その細いふくらはぎの裏にまだ残っていた。剥がし忘れたまま、寝てしまったのだ。
どうして、家にいなかったのだろう。
どうして、夜明け前に家に戻らなかったのだろう。
どうして、迷惑ばかりかけて、怒らせてばかりいたのだろう。
せめて自分が家にいれば、背負って、這ってでも――
以来、獅子は深く眠れたことがない。
獅子は一党の雑用に専念するようになり、若くして頭領を継いだ朱雀を手伝った。孤児となった獅子を、一党のみんな気遣ってくれたが、獅子の耳の奥底で、あの夜明け前の轟音が鳴り止む日は来なかった。やがて髪には白髪が混じり始め、半年で、獅子の髪は三分の一が白くなった。明るい茶髪は、もっと薄い、黄金みたいな色に見えるようになっていた。
獅子は懐に入れた布を探る。
今日、栗姫がくれた帯布だった。空色の糸と桃色の糸で綾織りに織ってあり、夜陰の中でも、その柔らかな光沢がはっきりと見えた。
手足の冷えが少しだけ弱まる。耳の奥底の轟音が、僅かに、緩やかに遠のいていく。
意識は常に人の気配を探りつつも、獅子はゆっくり、その目を閉じた。
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