栗姫と獅子
「こんなにいっぱい! 大変だったでしょう」
「狩りに比べれば大変じゃない。重くもないし」
きゃあきゃあと歓声を上げながら、栗姫は濃い藍色の実や赤い落ち葉の入った袋を見つめた。それからいそいそと後ろを向いて、牢の奥の
「椿の
「あります。染め物はうちでもやるし、俺もやったことあるんで」
竈に火を入れながら、獅子は答える。
「皇宮でもやるのよ。春と秋の行事の一つなの。まあ、基本女房がやるんだけど」
「だろうな。あんたは勝手に自分でやって怒られてそう」
「ふふふ、その通りよ」
栗姫は何故か胸を張った。
鍋に水を入れ、竈にかけて先ずは糸と端布をそこに浸す。椿の灰汁を使って繊維の汚れを落とすと、今度は別の鍋に水と桜の葉を入れて、煮出した。何度か鍋の水を替え、いくつか色の違う染液を作り、最後は常山木の実を鍋に入れる。実は袋に入れて投入した。後で実を潰して煮出すためだ。
十分に煮た実を一度取り出し、栗姫に木の棒と一緒に渡して潰してもらうと、それを再び鍋で煮出す。一通り染液を作り終えたら、栗姫にどれをどの染液に浸すか訊いて、一つ目の染め物を鍋にかけながら、獅子は訊いた。
「やる?」
「やる!」
即座にいい返事が返ってくる。獅子は洗った布や糸と一緒に、長く削った箸を姫に渡した。
数日前に、竈の位置を栗姫でも手が届くところに作り直していた。絶対にやりたがると思ったからだ。勿論、火には触れないよう、火入れ口は牢と反対に作り、熱い石にも触れないように背には分厚い石を並べている。栗姫は鉄格子から腕を伸ばし、格子にへばりつきながら鍋をかき混ぜた。
「私も材料集めに行きたかったわ。木登り好きなのよ」
くるり、ぐつぐつ煮立つ鍋の中に視線を落としながら、箸を回して栗姫が言う。
「何で姫が木登りしてんだよ、服引っかけるだろ」
「そう、服はいつも悩みの種なのよね。でも逆にこの服でも登るコツを覚えたのよ、ちょっと自慢なんだけれど」
「自慢にするもんじゃない気がする」
「皇宮って暇なのよ、特に子どものうちは」
大人になれば、姫といえど何かやるべきこともあるのだろうが、幼いうちにさせてもらえることなど、裕福であればあるほど、なかった。一通りの遊び道具や教養のための本は与えられていたが、物心つく頃にはすでに母を亡くしていた栗姫は、皇宮ではあまり気にかけられない存在だった。
部屋での一人遊びが好きではなかったのだと、栗姫は肩を竦める。
「女房も少なかったから、みんな忙しそうだったし。ひとりで部屋にいるくらいなら、外の空気を吸って体を動かしている方がいくらかマシだったの。皇王陛下の
そうして時折、子どもでも登れる木によじ登って、庭の木から皇宮を見渡していた。
「……空がよく見えた。自分が住んでいる所で、どれだけの人が働いているのかも。あんまりぼんやりしていると、鳥が近くの枝に留まってくれるの」
「それは自慢して良い」
「ぼんやりしてたことを?」
「鳥が警戒しないほど無心になれるのは、凄い。狩りにも有用な技術だし、それだけ心を静められるってのは、そうなれるよう努力したんだろ。格好いいよ」
「……獅子は本当に、変なところを褒めるわね」
ふふ、と笑いながら、栗姫は端布を少し持ち上げて、そろそろいいかしら、と呟いた。
獅子が鍋を火から下ろして、色の染みこんだ布を軽く絞って、もう一度灰汁につける。灰汁が発色を良くしたり色止めになるのだ。酢や
桜の葉で染めた布は、染液の煮出し具合によってそれぞれ朱色から桃色に。
常山木の実で染めた布は、鮮やかな空色になる。
同じく多色に染めた糸を干し竿に引っかけて
「女衆たちが喜ぶよ、作業が少し減ったって」
端布は栗姫のために用意したものだが、糸は、紫苑党の女衆たちからついでにと頼まれたものだった。栗姫が嬉しそうに微笑む。
「
「牢屋で織るのはさすがに無理」
獅子は眉根を寄せて、溜息をついた。
その数日後、獅子がいくつかの丸い棒と
「この前、牢では無理だと言っていなかった?」
「あんたが知ってるような織機は大きすぎて無理。これ、使ったことありますか?」
「無いわね……」
「腰幅までの布なら織れる。目の前で俺もやるから、見て真似てください」
獅子は牢の前で手早く織機を設置して、巻具に糸を通して、ぴん、と張った。そこでふと、先日、躊躇なく織機を所望した姫の言葉を思い出す。
「そう言えば、皇女も機織りするのか?」
栗姫は獅子を真似て織機を設置しながら、頷いた。
「七夕では皇族の姫が織った布を献上するから、一通りは。まあ、大きいものは例によって女房とか職人が織って、姫が自分で織るのは帯布くらいのものなんだけれど」
「その布は献上してどうすんの」
「七夕の後に焼くわね、天に献上するものだから」
うわもったいね、と獅子が目を眇めると、栗姫はでしょう、としたり顔で同意した。
その日は一日、機織りに明け暮れて、織り上がった帯布を、栗姫は獅子に差し出したのだった。
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